ボーはおそれている(Beau Is Afraid) | CAHIER DE CHOCOLAT

ボーはおそれている(Beau Is Afraid)


ミッドサマー』のアリ・アスター監督作品なので、観る前に「ホラーだったっけ?」とジャンルを確認(ホラーだったら心の準備が必要)。私が見た情報では「スリラー」となっていて、ちょっとほっとした。「ホラー」や「ホラー/コメディ」としているところもあるということをあとで知る。確かにある意味「スリラー」で「ホラー」で、結構な「コメディ」だとも思う。まあジャンルというもの自体がノンセンスだともいえる。ボーを演じるホアキン・フェニックスがほんとうにボーなんだけど、途中ふとかっこよく見えるところがあって、そういう時はボーがボーなりにきりっとした気持ちになっているときなのかもしれないなと思ったりした。トータルで3時間弱、四幕構成のようになっている。以下、色々とランダムに書きます。単なる憶測もたくさんあります。長いし、ネタバレ全開です。知りたくない人はここから先は読まないで下さい。


【水】
「ボー(beau)」は、フランス語で「美しい」という意味。こんな名前をつけるあたりからしてすでに愛情表現が重い。スペルの「beau」の中には「eau」、フランス語で「水」を意味する単語が入っている。名字の「Wasserman」とボーの母親モナの家がある場所「Wasserton」に共通する部分「Wasser」もドイツ語で「水」という意味。これと関係があるのか、どうなのか、水や液体にまつわるシーンとエピソードがとても多い。水にまつわるセリフや小物もやたらと多い。

・オープニングは羊水の中にいるボーの視点らしきシーンで始まる。

・大人ボーが最初に登場するシーンでは、彼はセラピストの家の水槽の魚にエサをやっている。

・セラピストと話すボーの背後にもウォータータンクらしきものや、複数の水辺の写真(絵)がある。

・ボーが心配しているのはマウスウォッシュ(液体)を飲んでしまったら病気になるかどうかということ。

・ボーがよく見る夢の舞台はバスルームで、水道の蛇口からは水(お湯)が出ている。

・母親の家に帰るときの気持ちについて、セラピストが現実にそくした予測の例として出すのは「井戸の水」の話。「のどが渇いて、井戸の水を飲んで具合が悪くなったとしたら、その井戸に安全だと思ってまた飲みにいくか」とボーは問われる。

・新たに処方された架空の薬「Zypnotycril 」は必ず水と一緒に飲むように、とセラピストに言われる。

・セラピーセッションの帰り道、水にボートを浮かべて遊んでいる少年が、母親に「そばを離れるな」と怒られている。

・薬を飲んだら、ペットボトルに水がない。水道の水も出なくてパニックになる。

・バスタブにつかっていたら、天井に見知らぬ男がいた。

・車にはねられたあと、暗転した画面は一面水になる。もうひとりのボーともめていたモナがふり返って、その水のほう(画面のほう)に向かって何か叫ぶが、声はなぜか猫のような声になっている(たいていの猫は水が嫌い)。

・豪華客船はもちろん海の上。

・エレインが写真を撮ったのは船上のプールサイド(プールには死体が浮いている)。

・お世話になる家では、ロジャーに「水分補給を忘れないように」、グレースに「お水をたくさん飲んで」と、口々に水を摂取しろと言われる。

・ロジャーたちの家には、海の絵やカジキマグロの像が飾られている。

・ロジャー&グレースの娘、トニはペンキ(液体)を飲むという暴挙に出る。

・森の劇団が上演するお芝居を観ながらボーが迷い込んだ妄想の世界では、嵐がきて、家が壊れて、洪水で流されて、家族と離れ離れになる。

・妄想内のボーが打ちひしがれているとき、空から降りてきた天使のような人物に告白すると「地面が良い水に変わる」。

・気分が悪くなったボーに劇団の妊婦の女性が飲み物を渡すと、ボーはなぜか彼女にマリア像を手渡す。

・少年ボーの顔を水の底から見た構図。そのあと、頭を洗ってもらっているところだとわかる。ただ、水を流すのはモナではなくエレインらしき女の子。水をかけられて視線の向きが変わるとそこにもうひとりのボーがいる。そこからボーがよく見る夢のシーンがくり返される。父親に会いたいと言うもうひとりのボーを母親は屋根裏に追いやって、それを見ているボーに彼女が「戻りなさい!」と言うと、画面いっぱいの水になる(水に潜った視界のような画面になる)。

・家を出て、ボートに乗って湖を進んでいくと、水のアリーナのような場所に着く。

・水のアリーナでの審判でモナの弁護人が話すのは、「毎週カウンセリングに行く途中で、池のアヒルにエサをやる」と「セラピストの魚にエサをやる」というどちらも水のそばでの話。

・同じくモナの弁護人の話。モナがショッピングモールでボーを見失ったとき、彼女は噴水の近くにいた。

・少年ボーが連れの男の子たちを入れたのはバスルームだった。

・モナがキレそうになったあと、ボーのボートは転覆する。最初のパートで、母親に「そばを離れるな!」と怒られていた少年が遊んでいたボートのように。

【足かせ】
もうひとつ頻出するのは足かせ。足首につけられる「医療トラッカー」は事実上足かせではないかと思って観ていたら、森のお芝居では足かせそのものが出てくる。これは舞台上でつけられている俳優が断ち切るものの、妄想でその物語の主人公になったボーが罪に問われて、再び足かせをつけられる。が、知恵をつけたボーはこれを断ち切ることに成功。そのお芝居パートは妄想から覚めたボーの医療トラッカーが爆発して終了。さらにそのあと、屋根裏のもうひとりのボーも足かせをつけられているのが見える。これは母親からの束縛を意味しているのか、グレースが渡した紙ナプキンのメッセージ「stop incriminating yourself(自分を責めるのをやめて)」のように自分で自分を責めて縛っていることを表わしているのか、それとも、ボーが持つ強迫観念のようなものなのか。

【MW】
MWは「Mona Wasserman」の頭文字で、モナが経営する複合企業の名称。赤いだ円の中に白で「MW」と書かれたロゴも画面内のあちこちに出てくる。ボーは仕事をしているふうでもなく、服装やものごとに対する反応にやや幼さを感じさせるところもあって、なぜ、どうやって、ひとりで暮らしているのだろう?という疑問をまず感じた。やたらと治安の悪い場所に立つアパートは荒れ放題。それに対して室内は、老朽化はしているものの、みょうにクリーンなことにも違和感を感じる(ボーの部屋の簡素なインテリアはむしろ好み)。大量にストックされたチルド食品やきちんと揃った家電などもどこか奇妙な感じがする。その謎は、ボーがモナの家で眺める「BIG W HOUSING」の宣伝広告で解明される。そこにはボーが住むアパートの写真が掲載されていて、その横には、「38のリハビリテーション地区が29の州に建設済み。今後、さらに増える予定!(38 Rehabilitation Neighborhoods Already Erected In 29 States -And More On The Way!)」と書かれている。さらにその下に、「私たちの製品を誤用した方々への住居とサポートを完備(Devoted to the housing and support of residents who have abused our producs)」と書かれている。この内容自体がかなり気持ちが悪い。「私たちの製品」というのはおそらく薬関係で、あの地域にいた人たちはそれらの製品を誤用した人たちということなのか。聞こえない音を聞いたり、人の部屋に侵入したり、という彼らの行動の理由もわかるような(ボーの目を通して誇張されているかもしれないが)。ボーはモナの会社が所有する施設に住んでいると考えると、大量のMW製品に囲まれているのも納得。どうして家から出てそこに住むようになったのかはわからないながらも、ボーとモナの関係性がうまくいっていないようなところを見ると、反抗的なボーをとりあえずあの施設に入れているという可能性もある。ボーはどうも自活できそうには見えない。あと、ボーが家に帰れなくなったと電話で話した直後にクレジットカードが使えなくなるのも、モナが管理するカードだから、怒ったモナが止めた、と考えればわかる話。そもそも働いているのかどうかもわからないふうのボーがクレジットカードを持っていること自体に違和感がありすぎた。それと、毒グモのはり紙にとうとつに書いてあるウィンストン・チャーチルのことば「The price of greatness is responsibility」。「偉大さの代償は、責任である」などと訳される。自立するなどと大きなことを言うなら、自分の責任は自分で取れとモナがボーに言っているかのようにも感じられる。


全体を通して、つじつまの合わなさや現実と現実に影響された架空のものが入り混じった感じはまさに寝ているときに見る夢。少なくとも私は、何度も場面が切り替わったり、意味不明に展開していく夢を見ることがある(そういう夢を見たときは起きたら疲れている)。ボーがベッドに入ったとき、時計は「11:42」となっている。そのあと、ドアの下にメッセージが入って目が覚めるのが「1:05」。ここからあとは全部ボーの夢なのではないかと思う。単純に夢オチというにはあまりに複雑すぎるかもしれないけれども、現実や気持ちの反映と妄想が入り混じったボーの夢なのではないかと私は感じた。ただ、ボー本人がどこまでが夢でどこからが現実だと認識しているのかはわからない。


【現実や記憶との関連だと思われるもの】
・ボーが何度も見るという夢の中で、モナはグリーンのワンピースを着ている。このイメージからのつながりか、森の中で助けてくれた女性のドレスも、その後、お風呂のシーンで出てくるエレインらしき女の子の水着も同じようなグリーンになっている。

・ラテン音楽の人たちが部屋に入ってきたのは、その前に彼らの姿を窓から眺めていたから。

・ロジャーはアメリカン・シットコムの父親風。ボーは父親を知らないので、理想の父親像がうまく描けないのかもしれない。

・男の子たちに脅された体験からくる、強い男性は恐いという思いがジーヴスに反映されているのかも。ジーヴスが強いだけでなく、わけのわからない行動をする人物になっているのは、軍隊などはマッチョな世界で自分にはわからないという気持ちがあるからとか?

・薬への恐怖は娘のトニに反映されている。トニと彼女の友だちは、脅されて家に入れた男の子たちへの恐怖からの反映。

・お芝居パートはボーの思い描くヒーロー的なストーリー。

・森で出会ったグリーンのドレスの女性が妊婦だったことから、自分が父親になることを連想。ボーに渡されたマリア像をだいじそうに持つ彼女の手つきはまるでペニスを握るかのように見えなくもない。

・マリア像を手渡したあと、父親ではないかと思う人が出てくる。ここで父親らしき人物が出てくるのは、性や出生にまつわることと父親の存在に結びつきがあるからか。姿はぼやぼやの写真で見た姿から妄想。

・エレーナとのセックスはもちろん妄想。性行為=死というの思い込みは強いものの、自分は死にたくないので彼女を殺してしまう。

・カウンセラーがモナとグルだったというのは、彼が両親、少なくとも父親とは知り合いだったから。最初のシーンで、セラピストはお父さんに会ったことがあると言っていた。モナと面識がないというのも考えにくい。

・屋根裏部屋にいるもうひとりのボーは、モナの思いによって色々な意味で閉じ込められてきたボーが反映された姿。

・モナから言い聞かされてきた父親の死因の話から、父親がペニスモンスターになってしまっているもよう。父親の不在の理由ははっきりしないが、早くにいなくなってしまったことは確かで、モナはボーに父親のようにいなくなってほしくない、ほかの女にも取られたくない、という一心で、セックスしたら死ぬと嘘を話して洗脳していたのでは。この呪いがなかったら、男性として楽しい青春を過ごすことができていたのに、というボーの思いも反映されているかもしれない。ただ、このモナが言い聞かせてきたということ自体も現実かどうかはわからない。

【現実としての矛盾点】
意味不明なところよりもむしろリアルにちょっと気になったところ。一応メモしておく。

・お店から出てきたら、いきなり通りに誰もいなくなっているのというのはあり得ない。

・反抗期の娘がパスワードも設定せずにPCを誰でも見られるままにしておくはずがない。

・監視カメラの映像で未来まで見えるのは(現代の段階では)不可能。そのあと実際に起こるできごとと合っているし、AIの生成映像とも考えにくい。

・電話したら、セラピストが急に自分は弁護士だと言い出す。しかも、ボーはあまりそれを気にしていないようす。

・死体の手にあざがあったから、あれはマーサだということになっているが、コンシーラーとかでいくらでも隠せるのでは? なぜそのままにしていたのか? そもそも頭部がクラッシュしてしまっても、頭髪の色ぐらいは確認できるはず。マーサの死体が本物だという確証もない。

・あれだけの著名人のモナ、盛大に死を偽装したあと、どうするのだろう?という疑問。企業ぐるみですべてを偽装して生きていくつもりなのか。

・これは矛盾というか、むしろ制作の意図だろうけど、エレインがボーに再会して、すぐにことに及ぶことになるのを説得力のないものにするために、あえて大人ボーをイケてない見た目にしたのかも、と思った。


まだまだ細かい仕込みがたくさんありそう。そうとうにへんな映画だった。でも、観終わっていやな感じは残っていない。こういうこともあるかもなーという、なんともあいまいな気持ち。みんなが恐ろしい、すべてが恐ろしい、と感じることは、ボーじゃなくても確かにある。しかし175分はさすがに長かった。上映時間は見てたけど、その時は175分を2時間55分だと認識できていなくて、終わったあとに驚いた(脳内タイムラグ)。