夢のチョコレート工場(WillyWonka & the ChocolateFactory) | cahier de chocolat

夢のチョコレート工場(WillyWonka & the ChocolateFactory)


オープニングのチョコレートの映像と音楽ですでに心をつかまれていた。“Pure Imagination”のインストゥルメンタルを聴いた時点でもうこれは間違いなく良いぞ、とわかってぞくぞくする。1971年の作品なので、私にとってはドストライク。お菓子屋さんに駆け込む子どもたちの服装も店がまえも、もう全部素敵。そして、お菓子屋の店員が歌う“The Candy Man”。この時点で、私の好きなタイプのミュージカル映画だともわかる。前半、チャーリーの学校の先生がデイヴィッド・バットリーだったときには思わず「おお」と声が出た。理屈っぽくて気むずかしげだけど、ウォンカのチョコレート工場が開くという話を耳にしたとたん即授業終了にしてしまう先生の役がぴったり。そのあと、ゴールデンチケットを探す人々の中にはティム・ブルック=テイラーもいる。この2人が出ているという時点で、一気に期待値が上がる(単純)。ウォンカを演じているジーン・ワイルダーは、物腰は柔らかくて紳士だけれども、何を考えているのかよくわからない、という感じがなんとなく不気味ですごく良い。原作はイギリスのこの作品で、ウォンカを歴代アメリカ人が演じている(ジーン・ワイルダー、ジョニー・デップ、ティモシー・シャラメの3人。ティモシーはアメリカとフランスの二重国籍だけど)のも、この何者かわからない感と関係あるのかな?と思ったり。

ここからは各作品のネタバレになることも含みます。

『夢のチョコレート工場』では、最後、ウォンカは無条件でチャーリーに工場を譲る。家族もみんな一緒にそこに住める。原作『チョコレート工場の秘密』も。それに対して、『チャーリーとチョコレート工場』(2005年)では、「工場に行ったらチャーリーは家族に会えなくなる」という条件つきになっている。ウォンカはそれで「厄介払いができる」と言うものの、実はその背景には父親との確執がある。条件があると知ったチャーリーは「家族と会えなくなるなら工場はいらない」という決断をいったんはするし、結局、家族の物語だったという印象が強く残る。工場に行って不思議な体験をして、よく知らないけどなんか良さそうな人からものすごい資産を受け取ってしまう……というとっぴさがおもしろいのに、そこが薄れてしまってなんだか残念。この、家族ではないけれども、信頼できると感じた人に子どもがついていく、というのは『マチルダ』でも同じ。『チョコレート工場の秘密』と『夢のチョコレート工場』、『マチルダ』では血のつながりよりも心のつながりを重視しているところが共通している。ダールではないけど、テリーG監督の『バンデットQ』にあるのも同じ感覚。ある種、英国的なものなのかもしれない。最終的に血縁の家族は素晴らしいという話にしたいのは、アメリカ的なものに共通しているような気が私はしている。ただ、ややこしいのは、『マチルダ』(1996年)はアメリカでの映像化作品でイギリス映画ではないけれども、むしろイギリスでの映像化の『マチルダ・ザ・ミュージカル』(2023年)よりも原作のスピリットを伝えていると思えるということ。でも、必ずしも国によるというわけでもないというのが、血の問題ではないというところを逆に感じさせる状態になっているともいえる。テリーGだってもとはアメリカ人だし、物理的な部分だけで人間を判断したり、定義したりすることはできない、ということなのだろうと思う。

ところで、『トムとジェリー 夢のチョコレート工場』というアニメーション映画もある。これはまさにタイトルどおり、トムとジェリーが『夢のチョコレート工場』に入り込んだような内容で、『夢のチョコレート工場』をそのまんまアニメーションにした部分と、チャーリーと仲良くなったトムとジェリーが活躍する部分を組み合わせた構成となっている。『夢のチョコレート工場』を観てから『トムとジェリー 夢のチョコレート工場』観ると、そのそっくり具合も含めて、なかなかおもしろい。