人生狂騒曲(Monty Python's The Meaning of Life) | CAHIER DE CHOCOLAT

人生狂騒曲(Monty Python's The Meaning of Life)

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ホーリー・グレイル』、『ライフ・オブ・ブライアン』ときて、次は『人生狂騒曲』。監督はブライアンと同じくテリーJ。これは今回初めて観た。まずは劇場公開バージョンを観て、ディレクターズ・カットを観て、テリーJ&テリーGのオーディオコメンタリーつきで観て、“ひとり寂しいあなたに…”バージョン(マイケルが一緒に観てくれます)を観て、と本編を4周。それから、特典映像のメイキングと『よみがえる名作』(DVDリリースのためのリストアの話)、『モンティ・パイソンの哲学』(メンバー5人のトーク)を観た。そのほかにも実にくだらないおまけが色々あって素晴らしい。これはオープニングからエンディングまでスケッチでつづられた、すべてがちょっと(時に完全に)ずれている不条理映画。テリーGが監督した前座の短編映画『クリムゾン 老人は荒野をめざす(The Crimson Permanent Assurance)』がむしろ一番壮大で映画らしいというところもずれていておかしい。わけわかんないなー、好きだ!っていう感覚はフライング・サーカスに近い。音楽も名曲たくさん。本編のスケッチは“オープニング(Opening)”から“ エンディング(The End of the Film)”まで11本。一番好きなパートをひとつ選ぶとしたら、“パート7:死(Part VII: Death)”。どこまでも少しずつずれまくっているのがたまらない。このパートは特に画的にもなんとなく『ブルジョワジーの秘かな愉しみ』っぽさあると思ったら、メンバーみんなの印象に残っていた映画で、この作品にもちょっと影響を与えているんだとか。あと、“パート1:出産の奇跡(Part I: The Miracle of Birth)”もすごく好き。これはとにかくジョン&グレアムのセリフ回しとテンポがめちゃくちゃ良い。ふたりのスケッチはどう考えてもやっぱり最高。衣装はほどよく70年代の名残りあるファッション。衣装デザイナーは『空飛ぶモンティ・パイソン』などを担当したヘイゼル・ペシグからジェームズ・アシュソンに変わっているし、80年代の作品なのでフライング・サーカスとはテイストが違う。でも、グレアムのスーツはすっきりしたシルエットのシングルのジャケットにストライプのシャツでかっこいいし、女装陣(変な日本語)の柔らかい素材のワンピースも雰囲気に合ってる。“パート2:成長と教育(Part II: Growth And Learning)”の高校の制服もとっても可愛い。ロケをした学校の実際の制服はダークなブラックだったけど、いい年したパイソンたちが着たら老けてしまうということで明るいブルーで制作した完全オリジナル。ブルーにイエローのエンブレムが入ったあのブレザー欲しい〜。生徒役はグレアム、マイケル、エリック、テリーJ。一番違和感ないのはマイケル。可愛い。この映画のマイケルは女装もやたら可愛い……と思っていたら、テリーGがコメンタリーでそのことを言ってて笑ってしまった。「Michael is very attractive, isn't he? Eric though, of course, is the babe.(マイケルがすごく魅力的だよね。エリックはもちろんかわいこちゃんだけど)」。このことばがすべてを語ってくれています。しかも、エリックは、「もちろん」、「かわいこちゃん」って。「cute」とか「pretty」じゃなくて「babe」っていうのが、また。テリーGいいなあ。もはやこのことばを思い出しただけでによによしてしまう。この映画ではそんなテリーGの女装も見られます。マカロンのパッケージみたいなドレス着てアメリカンアクセント(ほぼ地声)で陽気にしゃべる案内嬢です(何言ってるのかわからない説明かもしれませんが、見たらわかると思います)。



この映画について、ジョンは「スケッチ集としては尺が長すぎるし、バラバラした印象がある」、エリックは「(ホーリー・グレイルやブライアンのように)ひとりの主人公を置いたほうが1本筋が通る感じになったんじゃないかと思う」というようなことも言っていて、それは確かにそうだと思うところもあるけれども、それでも私はほかの2本とは違うこの映画がとても好き(『アンド・ナウ』はとりあえず入れずに考える)。パート1〜7それぞれの最初にタイトルが入るのはリンクに比べると「意識の流れ」が切れてしまうのは否めないながらも(かといって、「意識の流れ」だけで『クリムゾン 老人は荒野をめざす』の15分を除いた92分を連続させるのはむりがある)、最後(の一歩手前)である意味きれいにまとまってると思った。主人公がいないのは誰の物語でもないということで、それは誰の物語にもなり得るということでもある。最終的にリバティ・ベルが流れるわけだし、これはフライング・サーカスの一部なのかもという気もする、少なくとも私には。……とかなんとか言って、ま、この映画は魚の映画なんですけどね。