グッバイ・ゴダール!(Le Redoutable / Godard Mon Amour) | CAHIER DE CHOCOLAT

グッバイ・ゴダール!(Le Redoutable / Godard Mon Amour)

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観ましたが。終始、“アンヌ”に違和感だった。以前の記事でも書いたように、アンヌはアンヌ・ヴィアゼムスキーそのものではなく、この時代の女性をひとつにしたような存在だというのは知っていたし、方法論として理解はできる。良いアイデアのような気さえする。ただ実際に観てみると、アンヌだけが“現在”に見えた。女性の登場人物の中だと、ふたりの友人のミシェル・ロジェは、スタイリスト、サブリナ・リカルディのインタビューで「実際のミシェル・ロジェには影響されていません」と言われていたくらいだけれど、彼女は60年代の雰囲気をまとっていた。ほかの男性の登場人物もそうだし、ルイ・ガレル演じるゴダールもそう(もっともゴダールは髪の毛を抜いてまでご本人に似せているというルイ・ガレルの役作りもたまものでもある)。アンヌももちろん60年代ぽい服装はしているものの、どこか違う、何か違う。60年代風ファッション特集の雑誌の1ページみたいに見えた。ステイシー・マーティンを鑑賞する映画、という意見があるのもまあうなづける。ここまでの必然性はあるのだろうかというくらいヌードも多い。作品中でアンヌが「必然性があれば脱ぐ」と言っているセリフへの皮肉なのか?と思うほど。ちなみにゴダールのフルヌードもある。知らなかったので驚く。さすがのR15指定。 アンヌといるときは恋愛中の男の人のだめっぷりを全部集めたような人のゴダール(でも一緒にいてそうなってしまう人はパートナーとしての相性は良くないんですよね)。そして、自分は新しいこと違うことをやりたいと思っているのに過去ばかりをほめられて「違うんだ!」となって苦悩する、苦悩しつつも割と勝手に突き進んで、自分でも釈然としない感じになったり……あーあ、まあわかるよ、わかるけどね、とみょうな共感が。それに対して、60年代女性のコラージュであるアンヌは血が通っていなかったという感じが否めない。ステイシー・マーティンは『ニンフォマニアック』ではすごく魅力的で良かったので、単純に彼女のせいというわけではなく、やはりこのコラージュ案が中途半端だったのではないかと思う。ヘアスタイルのシャンタル・ゴヤという選択も正解だったかどうか…… リアルに寄せてあった最後のエピローグが一番良かったとか言ったら怒られるかな。でも全体を通して色々な作品のオマージュは楽しめたし、この時代の背景をかいま見ることができたし、興味深い作品ではありました。映画館で“MAO MAO”聴けたのは嬉しかった。ジャン=ピエール・レオ役を準備されていなくてよかった(ごめんなさい)!