週の半分を家で過ごす生活を始めて2回目。
ずっと家に居ず、なるべく予定を作るように病院から言われ、教育センターのプレイセラピーを予約していました。
約3年ぶりでしたが、出発時に固まることなく、笑顔ですんなり出発できました!
早めに到着し、懐かしい先生とご対面。
教育センターに通っていた頃、私がそばにいれば多少声は出せても、息子が直接先生と話したことはありません。
通えなくなってから先生とは、電話で接するという形でつながっていました。(日常の質問には答えられず、動画の話題だけ話すことができました)
そんな場面緘黙症の息子が、先生の質問に「うん」と答えたり、違う時は詳しく説明したりしていました
「◯◯って知ってる?」なんて自分から話しかけたのには本当にびっくりしました
耳慣れた先生の大阪弁、電話越しに会話できていた感覚を、脳は覚えていたんだなぁ
電話が時に息子のストレスになっているように見えたけど、細々と続けたことがここにきて役立ってる‥‥先生すごいなぁ
当時やさぐれていて先生の言うことに反発していた私‥‥その節は先生ごめんなさい
絶好調だったお昼の食事チャレンジは、また食べ始めに時間がかかるようになりました
病院から、切り上げるように指示されている30分を過ぎてましたが、チラッと見ると、顔をお皿に近づけてじーっと見つめ格闘してる息子。
もう少しで食べれそう‥
格闘をやめた頃に声をかけようと、時間がとっくに過ぎてることに気づかないふりをしているうちに、手でパクっ。
ロースカツ定食の、おかずはほぼ完食いっぱい食べれました
残すと思われた千切りキャベツも、初の青じそドレッシングを自らかけて、(なんだこの味は?)という風に首を傾げながら食べてました
自宅では初めて、何も食べれない日がありました。
何度も格闘してましたが、時間で切り上げました。
そのあと3時におやつを出してみましたが、無理そうだなと判断してそれも時間で切り上げました。
病院の指示で、経鼻栄養は朝夕のみ、お昼は食べれなくても注入は無し。
なのでつい、食べれないとかわいそうな気持ちになっちゃうな〜。
どうすることもできないし、食べれなくても切り替えて楽しく過ごすしかないですね
病院に戻る日のお昼は、お好み焼き食べ放題で、退店少し前に食べ始めることができました!
初めての、もんじゃ用の小さいヘラを使って食べていました
トイレ成功したのも、ニコニコでシャワー浴びれたのも、最初の1回だけ。
1日おきのシャワーが、今は毎回涙の時間となっています。
そこで、昔、遅くなった時によく言ってたセリフを。
「洗うのパスして湯船にドボンしよっか」
境い目恐怖が悪化して、介助も困難な状態になってからずっと入ってなかった湯船。
もう重くて抱っこはできないので、息子の足を持ち上げる構えで。
すると、あんなに慎重だったお湯の温度も確認せず、自分でサッと浴槽をまたぎました
1年ぶりの湯船にニコニコで、気持ちよさそうでした。
出るときも、タイミングなんか全く気にすることなく立ち上がり、自分で浴槽をまたいで出れました
続けるうちに強迫が顔を出しちゃうんだもん、次はもうこうはいかない可能性大の、ビギナーズラックのようなもの‥
だとしても、嬉しかった〜
返事できた食べれた
湯船をまたげた
障害がなければ10歳の子供に感じないだろう喜びを、感じられます(悲しみもだけどネ)。
もし、子供の精神的な病気でいろいろ学ぶことを自分で設定してきたんだとしたら、私の人生順調そのものだ。
関わる人に感謝しながら、この設定をなんとか明るく歩むしかないや。
普通がなんだ!
困難を乗り越えてなんぼだ!
と強がってみせつつ、かしこ