診断当時のこと
2021年1月 高校1年生で脳幹グリオーマという悪性度の高い脳腫瘍と診断されました。
診断と同時に余命宣告をされ、放射線治療で一時的な症状の緩和が見られますがわずかな期間で再燃をします。
この残酷な病気を知ってほしい。
息子の頑張りを知ってもらいたいです。
当時の記事はこちらです。
またSpO2下がる
今日のスタートは訪問看護でした。
訪看さんにグリセオールを点滴していただく。
サチュレーションがちょっと低いので、吸引していただいた。
しっかり引けないので、横向きに寝かせたり、背中をトントンしたり。
その後、訪問マッサージの方が来られて、マッサージをしていただく。
その間も訪看さんが何とか吸引しようと試みてくれている。
またサチュレーションが下がり始めて、80→70→60とどんどん下がり始め、一瞬36まで下がり、また上がってくる。
だんだん不安になって来て、そろそろ訪問予定の訪問診療の先生と看護師さんが「早く来てーーー」と心の中で祈る。
先生が着いて、すぐに「今、一瞬サチュレーション36まで下がりました」と言って、診ていただく。
そのタイミングでまた下がり始め、また復活して…
酸素をマックスの7Lまで上げる。
先生がハイフローの流量も上げる。
どうにか痰を肺から上に上げたいと手を尽くしてくださるが手強い。
そのうちまたモニターのアラームが鳴り始め、サチュレーションがどんどん下がっていく。
見たことのない、SpO2 30→20となり、モニターが赤い表示の「0」になった。
みんなで「◯◯くーん」「頑張ってー」「息してー」と声を掛けて、吸引して、揺さぶり…
「0」が1分?数分?続いて、顔が真っ青になり、唇も青くなっていた。
そこから、徐々に戻ってきて、復活!!
先生が「脈もふれてる。大丈夫!」と。
顔色もみるみる戻っていく。
みんなで「もーーー◯◯くーん、ビックリしたよー。よかったよー」って…
今度こそ、本当にダメだと思った…
よく戻って来たよ。
タイミング良く、先生と看護師さん2人にいていただいた。
前回も看護師さんに来ていただいた時だった。
1人では絶対に戻せない。
先生に「痰で…っていうのは、後から絶対に後悔する」と言いました。
何かできたのではないか?もう少しだけいられたのではないかと思ってしまう。
排痰補助装置も聞いてみたけど、上まで上げられてもそれを出す力がない。
目の反射がないのに咳の反射だけ残ってるとかないし、上げても出せなかったら意味がないと。
マスクみたいなのを付けて、吸引するのもあるけど、それもすごく苦しいって。
そうなると「輸液の量を減らして、痰を減らすしかないですか?」と聞いた。
輸液を減らしていたのにグリセオールや抗生剤が入り、量が増えてしまっている。
少しずつではなく、速い速度で一気に入れて、2つを順番に入れている。
先生は、悩まれて、看護師さんとも相談されて、グリセオールと抗生剤だけにして、エルネオパをストップすることになった。
デカドロンも入らなくなってしまうので、それはまた別で点滴。
グリセオールなども速度を少し落とすのかもしれない。
ひとまずコレでやってみて、様子を見ながら調整することになった。
先生に「できれば痰でではなく、苦しまないでいかせてあげたい」と言いました。
延命措置についても再度確認をして、心臓マッサージなどはしないとお話しした。
息子が落ち着いて、ホッとして、「とりあえず座りましょう」と看護師さんと事務さんと座る…
先生だけ血圧を測りに行ってくださり、「130あるから大丈夫」って。
「ちょっと疲れたから、お茶飲みましょう」とお茶とお茶菓子をお出しして、みんなでペターんと床に座り、お茶をした。
SpO2が「0」になったのは、本当にゼロではなく、血流が悪くなり、測れなくなり、ゼロになっていただけかもしれない…と看護師さん。
先生は、心臓強いね…って。
息子が本当によく頑張っていること、最後が痰が原因でとなってもそこに至るまでに充分頑張っていたからこそだと話していただいた。
話を聞きながら、それでも何とかしてあげたいと思い、七夕の短冊に書く願いを決めていた。
みんなでお茶して、お菓子を食べながら、この先生方でよかったな…とぼんやり思っていた。
いつかは…でも、少しでも後悔が少なく、苦痛がなく、穏やかにと願ってやみません。
ホッとして飲んだお茶は美味しかった
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