診断から2年が経ちました。
よく頑張っていると思います。
振り返るのは辛くなると思いますが記録してみようと思います。
2020年
11月28日 新人戦
後から言われましたが…この時にスタンドから先輩の応援をしていて、「見えにくい」「ダブって見える」と感じたそうです。
12月10日 メガネを作る
12月下旬 眼科に行く
複視、右目が内側に寄っていることから、「急性内斜視」と言われる。
最近、スマホやタブレットの見過ぎで、子どもに増えていると。
目の緊張を取る目薬をさしてから寝る、老眼鏡を100均で買って、授業中など使ってみて、様子を見るように言われる。
2021年
1月15日 眼科
歩き時にふらつきが出て、着替えの時に転倒。
力が入りにくくなり、100回できていた腹筋ができなくなっている事に気付く。
1月16日 眼科 大学病院の紹介状をもらう
1月18日 大学病院 脳神経内科受診
CT、血液検査などをしたよう(夫と受診)
1月19日 大学病院 脳神経外科 MRI
私と受診。
画像を見せられて、「脳にできものがある」と言われる。
即入院。
車椅子を勧められるが歩いて病室へ。
息子がいない所で主治医となった先生から、脳腫瘍と言われる。
先生がメモに「脳幹グリオーマ・脳幹神経膠腫・DIPG」と書かれて、手術で取れない場所にあるため、すぐ放射線治療をすると言われる。
予後についても話があり、「1年」と言われた。
頭が真っ白になり、泣くことも出来ずに「1年というのは生きられるのが1年という事ですか?」と聞いたことは憶えている。
1月21日 大学病院 放射線科
息子、夫、私で放射線治療について説明を受ける。
27回 54グレイ
治療計画の日数の違いで、1月25日〜だと通常のX線、28日〜だとトモセラピー(IMRT)というピンポイントで照射できる機械を使えると言われる。
主治医は早く始めたいとX線でオーダーしていたが放射線医に意見を求めると「絶対トモセラピーがいい」と断言されたので、こちらを選ぶ。
先生が息子に何か質問があるかと聞かれた時に息子が声を上げて泣き始めた。
しばらく泣いた後に「髪が抜けるのが嫌だ」と泣いた理由を言った。
これは理由の1つだと思うけど、今までの不安な思いが一気に噴出した瞬間だったと思う。
これ以降、このように泣くことは1度もない。
1月25日 大学病院 脳神経外科
カンファレンス (主治医、看護師、夫、私)
・食事について
食べる量はムラがあるがむせ込みが強く出ることなく食べられている。
ポテトチップスなどのスナックやパンは窒息のリスクもあり返却しているが本人の楽しみを全て取り上げてしまわないよう検討していく。
・画像上「○○」が考えられる。
手術は難しく、放射線治療を行なっていく。
腫瘍の造影剤が染まっているため、悪性度が高い可能性がある。
・腫瘍のグレード
Ⅱ→放射線治療
Ⅲ〜Ⅳ(造影剤が染まるもの)→放射線+化学療法
今回グレードⅡであることが考えられるが造影剤が染まっているので、化学療法を併用することも検討している。
化学療法は副作用を伴う
→アバスチン、テモダール(効果がないかもしれない)
・学校は1人では難しくなるだろう。
誰か見守りができる状況を。
・放射線治療は外来でも可能か?→放射線科医より可能であると返答
・自宅に帰った場合→誰かが必ず一緒にいる状態を作ってほしい
出血があった場合、(手足が動かない、嘔吐、意識が悪くなるなど)すぐに受診が必要
・母より質問「放射線治療を行なった後、次はないのか?」
→現在、限界量まで照射するため、今回1度きりと考えられる
・「再発は?」→数ヶ月
放射線治療を行なって、一時的に症状は改善するが再発、○○は1年程(数ヶ月)と考えられる
改善も以前のような元気な状態まで戻ることは難しいと考えられる
その他に急変した時にどのように対応するのかまだ早い話かもしれないが少しずつ考えるようにと言われました。
当時の主治医は、この病気の患者さんは2人?
くらいしか診たことがないとおっしゃっていました。
質問をしても曖昧な点が多く、大きな大学病院ですが不安を感じて、セカンドオピニオンをしたいと言って、準備をしていただく事にしました。
長くなったので、また続きは別で…
振り返るのはしんどいですね
次は、普通の記事を書こうと思います。
読んでいただいて、ありがとうございます。