考察材料と備忘録 -120ページ目

実は入ってた

大号令&誓約書(追記続々)

たなべほりもりや

どこかの業界のドン(武力行使派)より

ドン(頭脳)らしいのがこの方

        ↓

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%94%B0%E9%82%8A%E6%98%AD%E7%9F%A5


同年(=1966年)5月、ホリプロダクション社内にスパイダクションを設立。ホリプロの取締役を兼務し、自らザ・スパイダースのマネージメントを手掛ける。メンバーのプレイングマネージャーとして先見の明を大いに発揮し、現在の田辺エージェンシーの基盤を創ることになる。メンバー主演映画数本にて親分肌な役柄で人気を得たほか、加賀まりこらとも映画で共演し、役者も志したが、1970年にマネージメントに専念するため、シングルをリリースして第一線から引退。

1973年4月、スパイダクションの規模を拡大、田辺エージェンシーに改称し、ホリプロから正式に独立

1966年の段階で大手事務所内に自事務所をつくり(wikiには《Hりぷろ内の片隅を間借りする形で(中略)設立》とある)、後に改称&独立、なんてやりかたが既にあったのですね。


元所属先の大手事務所Hは被害者複数、独立側Tは無傷。

2020年7月〜非Bーからは被害者複数、Bーは無 or 少数、をチラッと思い浮かべてしまいます。

1990年代には芸能界の実力者の一角を占めるに至り、1991年、堀威夫・ホリプロ会長の後を受けて日本音楽事業者協会(音事協)の第4代会長に就任。ホリプロでザ・スパイダースのマネージャーだった小野英雄・オー・エンタープライズ社長を同協会常任理事に据え、1999年まで会長を務めた。このほか長良プロダクションの取締役を兼務していた時期もあり、2000年代以降は、芸能界の最有力者の一人として芸能マスコミ等で度々言及されるようになるプロデューサー・放送作家としてテレビ番組の企画・制作にも加わっており、自社所属タレントのタモリの番組(タモリ倶楽部『ジャングルTV 〜タモリの法則〜』など)を自ら手掛けたこともある


田辺エージェンシー設立後は芸能界のドンとして君臨し、基本的には裏方に徹しているが、必ずしも表舞台に出ることを拒否しているわけではなく、メディアの取材に対応することもある。


1990年といえば春馬さんの生誕年ですが、

闇側人間にとっては暴対法だか暴排例だかで、

新しいシノギを求めCM利権に目をつけ動き始めたころ。

"芸能界の実力者の一角"TSKや広告代理店他がバリ島で密約云々。

2000年代以降は《芸能界の最有力者の一人として芸能マスコミ等で度々言及されるようになる》。

自事務所設立後は《芸能界のドンとして君臨》。


マスコミや芸no村の住人は、

Jニならまだ表で名前を言えるけど、

ドンSは名前を言ってはならず。

更にこちらのドンTはドンSより

名前が前面に出てこない。

ということは…?

そして、名前を出せる人の事務所は潰され叩かれ。

出せない人の事務所は潰されも叩かれもせず。

ご親族は貶められ、非血族はアゲアゲ。

繰り返されていますね。


権力ピラミッドの上は雲の上、

一般人に見えるのは雲より下、麓ばかり。


  • 『タモリ倶楽部』といえばてれ朝とTえーじぇんしーの共同制作。てれ朝といえばMステ(春馬さん事件翌週出演予定だった)
  • 名物コーナーの出演者=(俳優じゃないのに)金故意にも出演
  • とある企画に、『アイネクライネナハトムジーク』に出演した歌手&某所歌手部門所属歌手が審査員
  • 同じく、進行に『進撃〜』脚本家妹
  • Tえーじぇんしーの制作番組にMステ以外にも『世にも奇妙な物語』
  • いちごの歌つなぎに、Tえーじぇんしータレ(業務提携)
  • あの日の金故意局歌番組に(当時)T所属の俳優が喪服?で登場(歌手じゃないのに)

色々地味に存在感示されているようで?


https://gendai.media/articles/-/49981?page=3


まずは、'55年に元々ジャズマンだった渡辺晋が渡辺プロダクションを、その後、渡辺プロ所属のギターリストだった堀威夫が'60年に堀プロダクションを設立した。

堀威夫は自分たちのことを「横文字系」と呼ぶ。

「演歌、浪花節の『縦文字系』だったところに、自分たち『横文字系』が現れた」

やくざと密接な付き合いのあった「縦文字系」とは異なる、近代芸能プロダクションの始まりである。そして、田邊もこの流れの中にいる人間だ。

田邊は'38年に東京で生まれた。前出の堀がリーダーを務めるバンドの下働きとして入り、やがてドラマーになった。'66年、自らがバンドリーダーだったグループサウンズの「ザ・スパイダース」と共にホリプロから独立している。

興味深いのは、「ザ・スパイダース」独立の際、田邊は楽曲の音楽出版権をホリプロに残す形で「仁義を切っていることだ。


独立にあたり楽曲の音楽出版権を残している。

某所が南全星の初期5曲の版権をBーのSに渡したのは独立のためだった?

なら、拗れないだろうに?

お金で買い戻そうとして応じてもらえず拗れたのかな?

持ってるほうが半永久的には潤うから、持ったほうは持ち続けたいのは確か。



0094  2007/07/30(月) 21:31:26
堀威夫『わが人生のホリプロ いつだって青春』(小学館文庫)を購う。
この本、目次をみているだけでも面白い。「ワゴン・マスターズの人々」、
「舟木一夫の離反」、「スパイダース大噴火」、「チャールズ・ブロンソンにアタック」、「突然の引退*1表明に困惑」…。
第三章に登場する守屋浩さんは、さいきん刊行されたビリー諸川『昭和浪漫 ロカビリー』(平凡社)のインタビューで、こんなことを述べておられます。

―ホリプロは、最初は堀(威夫―引用者)さんと守屋さんのふたりだけだったと聞きましたが?
「そのとおり!(笑)。そもそもオレが北海道でうたっているときに、昭和三五、六年の頃かな、
当時堀さんが一緒にブッキングなどの仕事をしていた東洋企画の谷(富次郎)社長と喧嘩になって、ひとりで事務所を出ちゃったんですね。佐川満男やスパイダースといった多くのタレントを残して。そしたら堀さんから、『こうこうしかじかで、ひとりになっちゃったんだけど、守屋、おまえだけはオレに付いてきてくれ』とか言われて……。
オレもこの世界に入れたのは、もとはといえば、堀さんのところへボウヤ(バンド・ボーイ)業を志願したことが始まりだったから、
『わかりました。オレだけは付いていきましょう』と答えたんですよ(笑)。
ところが事務所といっても場所がない。電話もない。それで、堀さんはオレのアパートにやってきて、二週間ほどオレの部屋と電話を使って仕事をしていましたね(笑)。それがホリプロの始まりですよ。
でもそんな具合だから、お金がない。たしか月給一万五〇〇〇円でしたね
エエエえェ〜〜一万五〇〇〇円ですか? もう大スターの頃ですよね?

「ええ。にもかかわらず、衣装を二万五〇〇〇円で新調させられて、堀さんにバンス(借金)させられるわけですよ」
―生活がたいへんじゃないですか。
「ほんとうにたいへんでしたよ(笑)。
華やかなスポット・ライトの影にバンス有りっていうやつでしたね(笑)」(p.47-48)

しかし『わが人生のホリプロ』によれば、守屋浩を『檻の中の野郎たち』の主役に抜擢したことが、渡辺プロとの大喧嘩の原因となってしまった(p.91)というのですが(ホリプロ旗揚げ前の話)……。
                     
0095 2007/08/01(水) 21:56:41
  >>94
噂では聞いていたけど本当だったんだ!。
堀さんが守屋浩の営業をするために出来たのがホリプロだったんだ。
行き当たりばったりの自転車操業!。タコが自らの足を食べるような演歌の世界。
でも給料が1万5000円で洋服代が2万五千円だなんてお笑いの世界かもね^。
足りないおこずかいは、守屋浩クンお得意のパチンコで稼いでいたなんてネ?

昭和35〜36年で月給15,000円、洋服代25,000円…。

もう大スターでも、事務所にお金がなければ、大スターが事務所に借金させられる。

…春馬さんの場合も、母親の散財ではないのでしょう。

そもそも借金こさえ、母子のヒモ状態だったのは、むしろ非血族。

HりぷろとNBぷろが大喧嘩(所属タレを東宝映画の主役に抜擢したことが原因)。

ちなみにこのМ屋H(Hりぷろ)という人は熱心な◯会員で、クリスチャンの妻と離婚…


春馬さんご両親の離婚の原因って、事務所は芸能活動のために入会勧めるもご実父拒否、むさし抜擢によりママさんが強制的に?お礼参り的に?入らざるを得なくなり、会員のあの人と再婚するなら、とか、そんな変なことはさすがにないよね?

初期の春馬さん仕事があまりに◯会色強いので、当たらずとも遠からずな気はしますが。

その後春馬さんが◯会拒否になったのがご両親離婚を知ったから、だとしたら… うーん🤔



終焉間近




そういえば近畿童(Jニ)がthe alfee(TNB系)と番組してたし、
すmap独立騒動のときTNBが引き取る話があったし、
スマイル〜所属タレントが、某所(NBぷろ系)春馬さんときんきーぶーつに出演してた…