ひょんなことから(2) | 考察材料と備忘録

ひょんなことから(2)


こちら↑のコメ欄やりとりで、K'を思い出しました。


K'といえば、のひとつに

このショットがあります。

https://x.com/YOHEI_HOSHINO/status/723863550406479873?s=20


 

https://t.co/vPEVtfPSWE」 / X https://share.google/tqw9ffaPBx2JdFQJV

Xユーザーの星野陽平さん: 「こちらは、田辺エージェンシーの田辺昭知社長。温厚そうですが、ケイダッシュ川村会長は田辺社長の舎弟です。写真は、内田裕也著『ありがとうございます』(幻冬舎アウトロー文庫)より。  


https://share.google/awZDMhQJYzWVHX8cI

「あらゆるもの飛び越えた存在だった」 裕也さん「ロックンロール葬」 | AERA DIGITAL(アエラデジタル) 


3月17日に他界したロック歌手、俳優の内田裕也さんの「ロックンロール葬」が3日、青山葬儀所で営まれた。ビートたけしさんや指原莉乃さんら多彩な面々が参列。葬儀委員長は田辺エージェンシーの田邊昭知社長副葬儀委員長をイザワオフィス井澤健社長、ケイダッシュ川村龍夫会長、世話人をバーニングプロダクション周防郁雄社長ら、芸能界の大物たちが務め、別格の存在だったことがうかがわれた。


てっきりこのタレント氏は、

そちら側の所属かと思いきや、


内田裕也 - Wikipedia https://share.google/3maOEhJDuJGsqk4gz


事務所渡辺プロダクション(1959年 - 2019年)

NBぷろだったんですね。


更に驚いたことに、

1958年、19歳のとき[2]、自身がバンドマスターのブルージーン・バップスを結成[2]。メンバーには美川鯛二(現・中村泰士)、北原謙二などがいた[3]1959年、大手芸能事務所である渡辺プロダクションに所属し、同年に日劇ウエスタンカーニバルへ初出場する。1960年かまやつひろしなどとサンダーバードへ参加するが、ジャズ志向が強いバンドであったため脱退し、山下敬二郎とレッド・コースターズ、田川譲二とダブル・ビーツなどのバンドを渡り歩く。1962年寺内タケシとブルージーンズにヴォーカリストとして参加。


地元映画館関係者の兄弟。


寺内タケシ - Wikipedia https://share.google/VbJKLzInGPBOm69Xk



作曲家、編曲家、音楽プロダクション経営者、実業家としての顔を持つ。


茨城県新治郡土浦町祇園町(現・土浦市出身


(中略)


父、龍太郎は茨城県の保守系地方議員であり、土浦市議会議長を務め、筑波研究学園都市の推進役として知られた。また、映画館や電器屋などを手広く手がけた実業家でもあった。


(中略)


1962年の結成当時はロカビリー色の強かったブルージーンズだが、1963年1月のステージ転落事故を機にエレキバンド化を決意、メンバーを入れ替えた。この頃、ロカビリー出身の内田裕也[注釈 3]や、「ザ・スパイダース」のセカンドギターだった加瀬邦彦[注釈 4]が加入。


(中略)


療養生活後、渡辺プロダクションとの確執などからブルージーンズを脱退し、音楽事務所「寺内企画」を立ち上げた。


(中略)


2004年12月、エレキギターへの優れた演奏と青少年への情操教育への貢献が認められ、文化庁長官表彰を受けた[13]。2005年6月には衆議院第一別館において、国会議員をはじめ関係者を集め「ハイスクールコンサート国会報告会」を開いた。


(中略)


2008年には数々の社会貢献活動を多として緑綬褒章を受章した[15]。


(中略)


寺内タケシ記念館


ザ・ヒロサワ・シティ(茨城県筑西市)に2022年10月31日オープンし、前日には長男の章や生前親交があった大沢桃子らによる記念コンサートが開かれた[1]。エレキギターや写真、ステージ衣装や賞状・トロフィーなど約1500点を展示しており、入場無料だが予約制[1]。寺内タケシ東京後援会による記念館計画にシティ側が協力を申し出て実現した[1]。







地元ですけど、私の知人の男性は他◯だと聞いたといってました。裏系の知り合いもいるというか田舎なので知り合いの知り合いとかでつながってますから情報は漏れやすいのは確かです。お母さんばかり言いますが母ではなく父つながりの話でしたけどね。事務所と裏系の話と聞きました。「やってはならないことをした」と言ってましたけどなんだかわかりません。まさか私はそうは思っていないんだけど。確かに芸能界全体が、まるで存在していなかったようにスルーしてますよね。