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周防郁雄(すおう いくお)は、日本の芸能界で「ドン」とも称されるバーニングプロダクションの創業者(1971年設立)です。直接の所属ではありませんが、渡辺プロダクションの周辺で活動し、その後独立して芸能界における強力な影響力を持つに至りました。郷ひろみなど多くのスターを育成し、メディアに大きな力を持つ人物として知られています。 


周防郁雄と渡辺プロダクションの関連・経歴


人脈と独立: 渡辺プロダクションを創業した渡邊 晋と美佐の周辺にいた人物のひとりとされ、同社周辺の人間関係から芸能界の重要人物となりました。


バーニングプロダクション: 1971年にホリプロなどから独立し、バーニングプロダクションを設立、その後、芸能界の「支配者たち」の1人として、多大な影響力を築きました。


「ドン」の存在感: 音楽出版やタレント管理で強い力を持っており、郷ひろみや小池徹平、ウエンツ瑛士などを輩出しました。メディアへの影響力も非常に大きく、古い芸能界とメディアのつながりを象徴する人物とされています。


後継者: 2024年に創業者である周防郁雄が退任し、息子の彰悟が2代目代表取締役社長に就任しました。 

周防郁雄は、日本の芸能界において、渡辺プロダクションが築いた近代的な芸能事務所の構造を引き継ぎ、独自の「バーニング帝国」を築いたといえます。 



周防郁雄(すほう いくお)は、日本の芸能界における最大手事務所「バーニングプロダクション」の創業者であり、長年にわたり「芸能界のドン」と称されてきた人物です。 

マネージャーから出発し、独自のマネジメント手法と業界への影響力を背景に、所属タレントの独立・独立後もバーニンググループ傘下として援助する仕組みを築きました


主なポイントは以下の通りです。


1. 周防郁雄とマネージャー・独立の歴史


出自: マネージャーとして芸能界のキャリアをスタートさせ、後にバーニングプロダクションを設立。


独立の援助(バーニンググループ): バーニングを辞めたタレントやマネージャーに対し、独立後もバーニングパブリッシャーズ(音楽出版)や関連会社(バンクス、オフィスプロペラなど)を通じて業務提携し、援助する形式を確立した。


実態: 独立は「訣別」ではなく、あくまでバーニングという大きな影響力の傘下でビジネスを継続させる、実質的な「のれん分け」に近いケースが多い。 


2. タレント・事務所への影響力


バーニング系グループ: 小泉今日子、郷ひろみ、内田有紀、ウエンツ瑛士、小池徹平、三浦翔平など、多くの有名タレントを排出した。

「干される」懸念: かつてはバーニングの意向に沿わないタレントや事務所はメディア(特にテレビ局)から干されると噂されるほど、キャスティングに強い影響力を持っていた。


近年の動向: 2024年末、脳梗塞のため社長職を退任し、長男の周防彰悟氏が後継として代表に就任(自身は相談役会長)。 


3. 周防郁雄による独立援助の構造


バーニングパブリッシャーズ: 音楽著作権ビジネスを武器に、タレントの独立後も「楽曲の権利」を通じて連携・収入を確保する構造を確立した。


提携と監視: 独立・移籍を認める代わりに、バーニングの関連会社との業務提携や資本関係を受け入れることで、業界の秩序を維持する支配手法をとってきた。 


4. タレントの退所・独立の事例


内田有紀: 長年バーニングプロダクションに所属していたが、2025年末に退所し、「テンビーンズ合同会社」へ所属することを発表。独立形式だが、これまでの歩みが重視されている。 

2025年時点の報道によると、バーニングは「沖縄の乱」と称される親族間の骨肉バトルや、後継者問題(長男の彰悟氏への移行)など、世代交代の時期を迎えている。 


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『芸能人はなぜ干されるのか?』芸能事務所のダークサイド : 読書メモの部屋 

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芸能人はなぜ干されるのか?/星野陽平 | マイケルを読む


そして、第7章が、本書の白眉ともいえる「バーニングプロダクションと暴力」


当初、南沙織を抱える程度だったバーニング事務所は、75年に郷ひろみが移籍してきたことえ、有力事務所となり、日本テレビの「スター誕生」などによって衰え始めた渡辺プロの影響力の低下から、有能マネージャーが流出。彼らに支援を行うことで、楽曲の権利を手にしていったバーニングは、利権の獲得を広く外部に求め、業務提携によって利権を拡大させ、ナベプロのドンと呼ばれた渡辺晋亡きあと、周防は芸能界のドンとして、君臨することになる。渡辺プロが、ヤクザの商売だった芸能置屋稼業をを近代的な稼業にしたとすれば、バーニングは暴力団の力を芸能ビジネスに取り込んできたーー

バーニングと、90年代活況を呈した音楽業界でもっとも時代を牽引していた音楽プロデューサー長戸大幸。彼が率いるビーインググループとバーニングの関係。顔を腫らした長戸は、こう言った(らしい。)

「・・・原盤製作で金を投じている者の権利が保護されるから、音楽著作権のビジネスは美味しい。でも、バーニングは、カネも払わず、あとから入ってきて「よこせ」と言ってくる。それじゃ、ヤクザと同じだろう。俺は東京ではもう仕事ができない。長戸大幸の名前も使えない。これからは、ビーイングに代わって、エイベックスというレコード会社がバーニングと組んで音楽シーンを独占するだろう。松浦は連中に仁義を尽くす男だ」

登場する有名タレントは、華原朋美、小室哲哉、YOSHIKI、工藤静香、木村拓哉、GRAY、フォーライフレコードを設立した吉田拓郎、井上陽水、小室等、泉谷しげる・・・

談合が行われる中で、もっとも利益を得られるのは談合破りである。《音事協》という談合組織の仕切り役であるバーニングは、タレントの引き抜き禁止という芸能界の秩序を維持するために暴力を誇示する必要があった。周防郁雄は、汚れ役を任じ、芸能界の闇を肩代わりしたことで「芸能界のドン」となった。


有能マネのひとりがO里。



渡辺プロダクション(ナベプロ)のマネージャーだった大里洋吉氏の独立と、その後のバーニングプロダクション周防郁雄氏を中心とした芸能界の勢力図の変化は、日本の芸能界における構造転換(いわゆる「ナベプロ帝国の弱体化」と「バーニングの台頭」)を示す重要な歴史的出来事です。

具体的な経緯と関係性は以下の通りです。


1. 大里洋吉氏の独立(1977年)


渡辺プロの時代: 昭和40〜50年代、渡辺プロダクションはキャンディーズやザ・ピーナッツを擁する「芸能界の最大手」でした。


独立の経緯: ナベプロの制作部長であった大里洋吉氏は、サザンオールスターズの原田真二やアーティスト志向のタレント発掘を手掛けていましたが、渡辺プロの経営方針と衝突したこともあり、1977年、自身の会社「プロデュースハウス・アミューズ」(現アミューズ)を設立して独立しました。


影響: 大里氏の独立は、ナベプロが抱えていた才能あるスタッフとタレント(サザンオールスターズなど)の流出を招き、ナベプロ一強体制が揺らぐ一因となりました。 


2. 周防郁雄氏の台頭とバーニングの伸張


「芸能界のドン」の登場: バーニングプロダクションの周防郁雄氏は、ナベプロの最盛期に歌手のプロモーションで協力関係を築きながら、徐々に力をつけました。


バーニングのスタイル: 音楽出版権や原盤権の重要性にいち早く気づき、独立したスタッフ(大里氏含む)や、ナベプロ以外の勢力と連携して「バーニング系」と呼ばれる巨大なグループを形成しました。


ナベプロの弱体化: ナベプロの「タレント管理」中心のビジネスモデルが古くなる中、音楽・映像・関連会社を巻き込んだバーニングの「プロダクション・システム」が主流となりました。 


3. 関係性とその後


アミューズとバーニング: アミューズは独立したとはいえ、サザンオールスターズの音楽出版権の一部はバーニングパブリッシャーズが有する(デビュー曲〜いとしのエリーまで)など、両者は深い関係を築きました。


現在の状況: 周防郁雄氏は「芸能界のドン」として長く影響力を持ち続けてきましたが、近年は長男の彰吾氏へバーニング社長の座を引き継ぐなど、高齢化による世代交代が進んでいます。また、2026年には長年バーニングに所属した内田有紀が退所するなど、大きな転換期を迎えています。 


大里洋吉氏の独立は、ナベプロの「支配」から、バーニングを含む「複数の大手事務所が協力・競合する時代」へ移行する決定的な分岐点でした。





周防郁雄(バーニングプロ)の関連性

周防氏は新栄プロダクションを経て、バーニングプロダクションを設立、多くの関連会社を傘下に持つ業界の最大実力者。

直接の雇用関係はないが、大里氏の独立初期に周防氏がサポートを行っていたという話や、両者が芸能界において重要なポジションにいることが示唆されている。 



渡辺プロダクション(ナベプロ)出身のマネージャーが独立する際、バーニングプロダクションの周防郁雄代表(当時、現会長)が支援・バックアップしたケースは、芸能界の勢力図を築く上での重要な背景となっています。

周防郁雄は「芸能界のドン」とも称され、多くの独立マネージャーやタレントに対して、バーニングの資金やメディアへの影響力を背景に支援を行ってきました。