あ?あ?あ? | 考察材料と備忘録

あ?あ?あ?


https://ja.m.wikipedia.org/wiki/Act_Against_AIDS

Act Against AIDS(アクト・アゲインスト・エイズ)は、芸能事務所のアミューズを中心に音楽業界が力を合わせ展開してきたエイズ啓発運動。略称AAA1993年7月20日に設立、2020年7月20日に活動終了。

音楽優位の事務所発祥&中心で、

音楽業界が力を合わせ展開した活動だけど、

1993年に俳優の岸谷五朗・寺脇康文が発起人となり[1]、音楽業界やゲーム業界[2]を中心に、ミュージシャン、俳優、タレント(主に岸谷・寺脇の所属事務所である、アミューズ所属者やその友人)らが集まり無償で出演するコンサートイベントとして開始された

俳優が発起人(の体)で開始。

音楽業界の大御所がいる事務所なのに?

この1993年って何だろう?

大御所ってどうしてたんだろう?

と思って見てみたら

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B5%E3%82%B6%E3%83%B3%E3%82%AA%E3%83%BC%E3%83%AB%E3%82%B9%E3%82%BF%E3%83%BC%E3%82%BA

活動期間
  • 1977年 - 1985年
  • 1988年 - 1993年
  • 1995年 - 2000年
  • 2003年 - 2006年
  • 2008年
  • 2013年 - 2015年
  • 2018年 - 2020年
  • 2023年 - 活動中

なんと(ユニとしては)活動していない時期でした(正確には、翌年からソロ活動メインになる直前)。


数年休んでは復活し、

ブランク期間はソロ活動してたり病気だったりなわけですが、こうやって↑見ると、稼ぎのあるとき(の税金とか)とないとき(の上納金とか人件費とか固定費)って、かなり不安定なんじゃないかな、と。

1993年11月の34枚目シングル「クリスマス・ラブ (涙のあとには白い雪が降る)」を最後に小林がサザン(桑田ソロ含む)との共同作業から離れた[354]。(中略)

これ以降の作品は自身によるプロデュースとアレンジで発売するようになった。12月には年越しライブを開催し、1994年からは桑田がソロ活動を始めた[363]。同年12月に日本武道館で開催されたAct Against AIDSイベントにサザンが出演した。この時から関口が休養から復帰し、久々にメンバーが6人揃っている[369


また

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E5%B0%8F%E6%9E%97%E6%AD%A6%E5%8F%B2


にあるように、大御所氏は1987年から

関わっていた共同作業者と離れ(たのが1993年)

セルフプロデュース開始が1994年です。


この共同作業氏は

同時期に別のユニのプロデュースを本格化。

1995年には大御所氏と別ユニ、共同作業氏関与の新旧がコラボ。別ユニは様々チャリティ活動。

いずれも、チャリティからは逃れられていない?

小林が「まっさらなバンドをプロデュースしてみたい」とメジャーデビュー時(1992年)からプロデュースしていたMr.Childrenは当初なかなかヒットしなかったが、アルバム『Versus』(1993年)の頃から徐々にブレイク。1995年にはかねてからデビューさせたかったAKKOとギタリスト・藤井謙二をMY LITTLE LOVERとしてデビューさせる。楽曲のほとんどが小林の作詞作曲によるもので、シングル3作目の「Hello, Again ~昔からある場所~」(藤井との共作)、1stアルバム『evergreen』共に200万枚を超える大ヒット。ヒットメーカーの名を不動のものとし、当時trfやglobeのプロデュース業で大活躍していた小室哲哉とイニシャルが同じことから「TK時代」と呼ばれた。MY LITTLE LOVERは2000年代に入ってからは、以前ほどの売れ行きを見せなくなったが、Mr.Childrenは依然として大きなセールスを続け日本を代表するモンスターバンドとなった。


また1995年には、桑田とMr.Childrenを共演させたシングル「奇跡の地球」を発表

https://media.nippon-donation.org/2850/


話を戻しますが、某所もう一人の大御所は、

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E7%A6%8F%E5%B1%B1%E9%9B%85%E6%B2%BB

1990年3月21日に21歳で、シングル『追憶の雨の中』で歌手デビュー(デビュー時のキャッチフレーズは“イナカモン、バイ。”)。1991年春にラジオ番組fm yokohama『ROCK AGE』でラジオDJ(ラジオパーソナリティ)デビュー。同年秋からはTBS系ドラマ『あしたがあるから』でテレビドラマデビュー。端整なルックスで俳優として注目を浴びる。


1992年の自身出演ドラマ『愛はどうだ』の挿入歌に起用された「Good night」のヒットで歌手としても注目され、1993年に大ヒット月9ドラマ『ひとつ屋根の下』で次男役での出演と「MELODY」のヒットで知名度が全国区になり、同年のNHK紅白歌合戦に24歳で初出場する。

やっと全国区に?くらいでしょうか。

まだ稼ぎ頭の活躍・安定ではなかった模様。


目を転じて。もうひとつ。某所といえば

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%97%A5%E6%9C%AC%E9%9F%B3%E6%A5%BD%E5%88%B6%E4%BD%9C%E8%80%85%E9%80%A3%E7%9B%9F

一般社団法人日本音楽制作者連盟(にほんおんがくせいさくしゃれんめい、英語: the Federation of Music Producers Japan)は、日本の芸能事務所で構成される業界団体である。略称は音制連(おんせいれん、英語: FMPJ)。


音楽関連ではもう1つの業界団体として、日本音楽事業者協会(音事協)が挙げられる。


概要


1986年(昭和61年)に設立。229社(2019年6月時点)の音楽プロダクションで構成される[1]。音楽制作者、実演家の権利擁護(貸レコード使用料、商業用レコード放送二次使用料、私的録音録画補償金の分配業務および肖像パブリシティ権の擁護・啓蒙活動など)、分配業務の支援活動などを主な業務[2]とし、著作隣接権擁護に関わる諸問題の解決、音楽プロダクションの地位向上に努めている。


設立の経緯


1980年(昭和55年)6月に日本初のレコードレンタル店が東京都三鷹市で開業し、その後日本全国に同様の店が続々開店し繁盛したのが契機となり、著作権法の隙間を狙ったとも言えるこの商法にレコード販売により印税収入を得、かつ音楽制作者の著作権を擁護する立場にある音楽プロダクションやレコード会社などは危機感を抱き、1981年(昭和56年)10月にレコード会社13社が大手レンタル・チェーン4社に対して複製権の侵害を訴え東京地裁へレコード貸与の差止め請求を提訴したのに端を発する。


その後、国会における「貸レコード規制法案」の審議を経て、1984年(昭和59年)5月の著作権法改正により貸与権が新設され、レコードレンタル店から使用料を受け取る団体として日本芸能実演家団体協議会(芸団協)が指定され、著作権者への分配窓口の役割を担う任意団体として設立されたのが音楽制作者連盟(FMP)である[1]。

こちらの組織団体の中心でもあります。

発端から実稼働まで5〜6年。

運営資金も必要ですね。


また大御所氏に話を戻すと

(93年)12月には年越しライブを開催し、1994年からは桑田がソロ活動を始めた[363]。同年12月に日本武道館で開催されたAct Against AIDSイベントにサザンが出演した。この時から関口が休養から復帰し、久々にメンバーが6人揃っている[369]。


1995年5月に35枚目シングル「マンピーのG★SPOT」で本格的に6人での活動を再開した。

ユニとしては活動休止期。

ソロ活動準備期? (もしや契約形態がかわった?)

チャリティイベント当日はユニで出演。

2008年1月にメンバーは「サザンという看板に頼らないで、サザンの活動だけをあてにしないで視野を広げていこう」という方針を決め、5月19日に30周年に伴う53枚目シングル「I AM YOUR SINGER」の発売やライブなどの活動・プロモーションの発表と同時に、2009年以降はメンバー個々の自由な発想による音楽活動を展開するべくサザンとしての活動を無期限休止にすることを発表した[注釈 63][393]。この活動休止については、発表の当日にNHKの『おはよう日本』が報じたほか、民放各局でも報道や特集が大々的になされ、発表後には所属するアミューズの株価が大幅下落し、「サザンショック」と言われた[394][395]。また、発表直前の2008年5月12日の東京スポーツ紙上で「サザン解散か」などといった誤った報道がなされ、ファンおよび世間に動揺を与えることになった[396]。これを受け桑田は自身のラジオ番組で「(サザンの)解散は絶対にない」と断言し、憶測や解散説を一蹴した[75][397]。


2009年から各自がソロ活動を行う。2012年12月に、桑田とスタッフの間で35周年を迎えるにあたっての話が持ち上がったことがきっかけで、「ファンをはじめとした多くの人たちと、楽しめるときに大いに楽しもうじゃないか」とサザンの活動を再開をすることにメンバー5人の気持ちが合致した[注釈 64][398][399]。この活動休止期間は、2010年に桑田の食道がんによる休養と闘病、2011年に東日本大震災の復興支援のための「チーム・アミューズ!!」結成[44]や桑田の「宮城ライブ」の開催[400]などがあり、「これまでにない濃密な5年間」と振り返っている[398]。

関口はサザンが長く続いた秘訣を「『休み休みやることかな』としか答えようがない」と述べている

休み休みやれてるのは(本来の稼ぎが滞るときも)誰か、何かが補ってるからではないのかな?と思いますた。





大御所ユニのwikiに

2008年に無期限活動休止を発表した

とありますが、チャリティwikiには

2007年以降は三浦春馬が活動に積極的に参加、岸谷五朗や寺脇康文の意思を受けつぎ、2016年以降は正式にメイン(MC含む)として活動した。また、三浦は仕事で多忙な合間をぬって、2014年・2016年・2017年の3回に渡りラオ・フレンズ小児病院へ視察を行った。

とあり、ちょっとぎょっとしました。

この文章では、春馬さんが彼らの意思を受け継いだ体ですが、2021年は春馬さんの意思を受け継いだ設定で募金呼びかけてませんでした? 


あと、個人的には、春馬さんがチャリティに引き込まれたのは、非血族の所属先絡みなのでは?と見ています("Y口組の美空ひばり"みたいに直系の…)

(そこに異を唱えたから…?!)。

チャリティが始まり終わった7/20が、春馬さんの契約更新日に近いのも、たまたまなのかあえてなのか

考えてしまいます。


おまけ


https://gendai.media/articles/-/47179?page=6


水原弘といえばもう一つ、今だからはじめて話すハチャメチャな事件もありました。


水原の第1回レコード大賞受賞を受けて勝新太郎さんが、


「これはねお前、おミズのためにやる〝花興行〟だからね」


と。ハナコウギョウとは裏社会の言葉で、要はおカネ集めの慈善興行です。後日、「水原弘誕生パーティ」とある招待状を受け取りました。


発起人

数百人(省略御免)

その代表


石原裕次郎

美空ひばり

勝新太郎


発起人数百人は当然ハッタリ。もちろんみなさんノーギャラです。


おミズ

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/%E6%B0%B4%E5%8E%9F%E5%BC%98


◯べ◯さみもおミズもNBぷろ。

美空ひばりはY口組系事務所。

石原裕次郎(1934.12.28〜1987.7.17

勝新は大映


アクト against AIDSの"AIDS"が "ANYTHING"にかわったというものの、実はA社を含むんじゃ?なんて、冗談モードで思っていたけど、実ははじめから アクトagainst A社 企画だったりしないか?と、ハナコウギョウの話を読んで結構真面目に考えてしまってます。


追記: 大御所に直、でなく、稼げなくても納めないといけないなら…