芸能マスコミはマスコミではない | 考察材料と備忘録

芸能マスコミはマスコミではない

こんな書込もあります。2013年。S防ドクトリン系


28  2013/12/01(日)17:37


芸能マスコミは、マスコミではありません

書いているのは記者ではなく、コピーライターや小説家や構成作家まがいの 人たちです

彼らはほとんどまともな取材を行っていません。。。


芸能記事のタレントのイメージの好悪は、

事務所からの 袖の下の多さに比例してランク分けされています


保険会社みたいに見積り表もあります

 (いわゆる担表=Bーニ◯グタレント一覧表のこと)


芝居の台本に最初にかかれているような、

キャラクター設定らしきものもあります

キャラクターは好い悪いにかかわらず、

タレントが出演しているドラマやCMのイメージをモチーフにしていることが多いようです。

いい役の人(上納金の多い人) は当然、

事務所のイメージ戦略と同一にかかれます


悪い役の人(当然上納金を渋っている人たち)に対しては

 “ぼろくそに書くぞ"と脅して、

あわよくば口止め料 (=継続すればそれが上納金となる) を

せしめようとします


どんな清廉潔白なタレントに

対しても悪い記事は書けます

たとえ胡散臭い記事であっても悪いイメージとあらば 事務所は無視できませんし、変な役でドラマに出ていた人たちはなおさらです


春馬さん事件のマスコミ(週刊誌・スポーツ紙・月刊誌)報道の多くも、これだったのではないでしょうか?

記者でもなく、取材したわけでもなく、創作。

(今&現実はさておき、一応)真実を報道する・高い信頼性のある(はずの)全国紙では、春馬さんやご親族の個人的な事情を報じていません。


芸NO村で、長(おさ)(格)が、タレントをコントロールするために、(上の枠内の表現を借りると)「ぼろくそに書くぞ」と脅し、あわよくば口止め料・上納金をせしめよう、とする話はいくつか見聞きしたことがあります。

恐ろしくもお気の毒なことに、春馬さんの場合はそれをご親族に対してしたのではないか?の疑義があります。

だから、実際にぼろくそに書かれた後は何も言えないし動けないんですよね。

嘘でも書かれ出されたら大衆は信じるし、嘘でももみ消す(orそれ以上出されない)ためには大金を要する。

本当のことを書いてもらうため(芸能界やマスコミを黙らせるだけ)の金額を個人が出せるわけもなく(あんじゃW氏が、もみ消すために出すつもりだった額と、売上の桁違いの話をしていましたね。芸能人が出そうと考える額でも桁違いなら一般人が出せますか? 出す意味がありますか?泣き寝入りするしかないんです。我々と同じ一般人ですよ?)。


そのつもりで、初期報道を読み直してみると&この数年来あれこれ調べ、見聞きしたことを合わせ考えると、これは嘘・これは間違い・これは創作・これは誘導…と分かることも多々あります。


少なくとも初期報道内容の真実は「俳優三浦春馬(30)が亡くなった」だけで、それ以外は事実でないこと、と見て良いのではとすら思います。


固定観念や先入観、思い込みを取っ払って、

一般社会の常識が非常識、非常識が常識という芸能界、と別の物差しやメガネを用いないと。

見るべきものが見えず、見る必要のないものを見てしまう。


たとえば、当初報道は「自◯か?」「自◯と見られる」が主でした。

「自◯でした」の断定・断言ではありませんでした。

が、

そうなんだろうな、というストーリーやツールや手法を沢山垂れ流し、そう認識させられる(既成事実化する)流れでした。

報道は、捜査前であり「自◯とは言っていない」と言える状況にありました。

視聴者が勝手にそう判断した、という、責任転嫁・言い逃れできる状態でした。

警察や病院やご親族の公式発表はありません。

何なら「警察はそう言ってない・マスコミがそう言ってるだけ」と警察が言った説。

マスコミは「警察から聞いた」(どの段階で? 息のかかった人から?息のかかってない人から?)、

事務所は「警察がそう言うからそうなのでしょう」のスタンス。そして、一部の人しか見ないタイミングや媒体で、死因は自◯、とまともではない説明。


たとえば、捜査員が涙した話。

記事が出たタイミングだと、それこそまだまだ捜査中、なのになぜ外部に話せるのか漏れるのか? 

そんな環境・状況だったんだ…と可哀想がるか、

その捜査員や記者は誰(本物)? 守秘義務は?となるかで、記事の解釈は変わります。


たとえば、前の晩送って行ったスタッフに礼儀正しく挨拶した話。

ただでさえ人気のないエリアに深夜なのに、誰が折良く見聞きできるものか? 

情報源は当事者か仕込か創作かしかあり得ない。


たとえば、春馬さんが芸能界を辞めたかった話。

「町工場でも何でも良いから人目につかないところで細々と暮らしたい」「農業」云々、春馬さん自身も話したようですが。

他方、芝居することの幸せや喜び、俳優・役者であることの自負心、その道に入れてくれた親御さんへの感謝…肯定的に話し、辞めなくて良かった、よくぞ好きでい続けた、夢は未来は、等々も数々発信しています。

その時時でそれぞれ本気や本音でもあり、またそれが変わることもある… 

それなのに、ある時点の一言だけで、辞めたかったのに辞めさせなかった判断するのも、春馬さんの変化や成長や可能性を否定することになりはしないか?と思うのです。


芸能マスコミは真のマスコミではない。

真のマスコミ以外の人が、取材もせず、袖の下の多さにより垂れ流した情報を見抜き、一掃しませんか?

その思いで、読み直し考え直し、認識を改めませんか?


母親を云々しても事件の解明にはならない。

母親を云々して(させて)いる、のに近親者を云々しないさせない側に迫るほうが、意味がある。