S助労組/『芸能人はなぜ干されるのか』 | 考察材料と備忘録

S助労組/『芸能人はなぜ干されるのか』

「芸能界/事務所にとって、タレントの独立や移籍以上のタブーは労組結成」と読んだことあり。
それを調べようとするうち辿り着いたのが、
業界の黒い話を語らせたら…の星野陽平氏、
その著書を取り上げたこちら(お借りします)

実際、法的に何の問題もないからこそ、ことあるごとに芸能人は独立や事務所の移籍を試みようとするのです。しかし、事務所は決してこれを許そうとしない。当該の事務所だけでなく、業界全体として芸能人にそのような自由を認めないよう連動して動きます(そのための◯事協という組織がある)。その結果、芸能人は独立を諦めるか、仮に成功しても、「干される」という苛烈な制裁を受けることになります。


売れっ子であればあるほど縛りはきつい。


当該事務所だけでなく業界全体、◯事協(表裏権力と癒着&実力行使)が連動して阻止に動く、と。 


1事務所vs1タレントの話ではなく、業界vs1タレント。


(お借りしたブログ記事のタイトルの表現を借りると)

"蟻"に法的に何の問題もないからこそ、

"象"は真っ当でないやりかたをとる。


法にも警察にもマスコミにも味方になってもらえないからこそ、蟻の仲間への見せしめとしても機能する。象による武力行使、治外法権、無法状態を見せつけられ、蟻は諦める。

それが象の狙い。

最終的に勝訴するにせよ、長い法廷闘争のあいだ仕事の中断を余儀なくされ、世間から忘れ去られてしまうことも多い。事務所ともめているというニュースが流れただけでも、人気商売の芸能人にとってはダメージが大きく、事務所もそれが分かっているから強気に出てプレッシャーをかけてきます。


春馬さんについてのネット掲示板に《死に一直線→》と書き込まれたのが(私の記憶違いでなければ)2014年12月31日の昼頃。

年明け1月か2月には《事務所と揉めてんだ》というのもあった。

一般視聴者、部外者市民が、春馬さんが事務所と揉めてるかどうかなんて知るはずもなく。

ということは発信者は…。




《事務所ともめているというニュースが流れただけでも人気商売の芸能人にとってはダメージが大きく》。


…例の誓約書には《彼が某団体とトラブルに遭っていたのは業界の周知の事実です》とあった。


某団体とは? 

この誓約書を出したのは? 


上部団体×2、下部団体×2、の話もあった。

芸能界の問題の根幹は、このような芸能人が連帯して事務所に抵抗する手段が存在せず、個人で戦わざるをえない状況にあることです。個人と業界全体では、力の差がありすぎて最初から結果は見えている。おそらく法に問えば独占禁止法に抵触するような状態がまかりとおっている


そして実際春馬さんは仲良しやよりどころとなる存在から引き離されてもいた。

個人対業界なんて、力の差がありすぎて正に蟻と象。


独占禁止法に抵触するからこそ、事前事中事後の体制・根回しを万全に整えての数年間。

癒着連合軍(象)の前に蟻に成すすべがあろうはずもなく。

実際、芸能界の歴史は、自由を求める芸能人が各個撃破されてきた歴史といってもいい。芸能人の選択肢は、干されるリスクを承知で正面突破を図るか、独立をにおわせてそれを交渉材料に事務所に待遇改善を図るか、の二択です。


春馬さんは「自由」を求める、「自由」な人間なんだと語り、正面突破を図っていました。

芸能事務所は、一度甘い顔をすれば堤防が決壊するように他の芸能人に独立や移籍の波が波及することを知っており、全力で彼らを見せしめにするはずです。


芸能事務所、だけでなく、そのバックが、上部が…。

《全力で彼らを見せしめに》したわけですよね。

こうした散発的な抵抗は、力関係から見ても芸能人に不利で、よほどの大物芸能人でないと対等には戦えません。(中略)芸能人がまともな労働環境を手に入れるには、労働組合のような組織的抵抗を可能にする仕組みを構築するしかない。(中略)「世界最強の芸能人労組」と呼ばれるハリウッドの労働組合は望めないにせよ、組織的抵抗を可能にする組織が作られないと、この問題は前に進まないでしょう。


だからこそ、労働組合を結成しようとするのも分かるし、だからこそ、全力で叩き潰したわけですよね。

業界を二分する? 

どっちにつくかを、あれやこれやで表明させて?

実は、日本の芸能界においても、労働組合を立ち上げようとという動きは過去にあったのです。漫才ブームさなかの1982年、過酷なスケジュールの仕事を強いられて次々に体調を崩していく仲間の芸人を見かねたS田S助が、自ら委員長となって労働組合を結成し、Y本興業と戦おうとしました。賛成に回った芸人にはA石◯Sん◯、◯寛◯、◯ール◯神・◯人の◯神などがいました。S助らは3月1日にY本興業と団体交渉を行い、「週1回の休日をよこせ」、「賃上げ、ギャラ査定の明確化」、「健保制度確立」などの条件を掲げました。現代の水準から見ればどれも当然の権利と思われるような内容ですが、Y本側は「そんなに休みたければ一生休んでろ」とまったく取り合わず、交渉は決裂します。


こうして「S助労組」は失敗に終わったものの、その後芸人たちが自分の労働条件についてY本と交渉するという下地ができた点で、この運動は芸人の間では評価されているようです。S助というと、一般には暴力団関係者との交際が発覚して引退したダーティなイメージがつきまとっていますが、意外な一面を発見できたのも本書の収穫でした。

1974年芸能界入り

1977年コンビ結成

1982年に労組を作ろうとするも失敗に終わり

1985年解散

2011年8月23日黒い交際発覚を理由に引退(期間中一貫してYCA所属)


S田S助氏の労組結成の話は知らなかった。

それを知ると、あの引退劇も(30年ほど経ってからとはいえ)何か違う視点が。

当時賛成側にいた芸人のその後も見るに…。


そういえば、数年前、闇営業絡みからこんなのも


https://www.zakzak.co.jp/article/20190726-AZKTRT2TUBJ6HBXBJYL7A2WUVM/?outputType=amp


Y本芸人が「労働組合」設立の動き 東のK藤浩次、西の◯む◯んが委員長に!?


2019/7/26 20:13


…で、これまた体よく丸め込まれたその後だったような。