6/26時◯風◯屋◯士◯行◯事件 | 考察材料と備忘録

6/26時◯風◯屋◯士◯行◯事件



在籍していた◯◯が、宿舎で暴行(私刑)を受け◯亡した事件。(中略)リンチ◯事件とも呼ばれている

(中略)

力士を◯亡させて刑事事件へ発展したのは協会が発足して以来、本事件が初めてのことである


所属者が所属先関係施設で私刑を受け刑事事件に発展


6月26日◯◯が稽古時間中に心肺停止状態となり、搬送先の◯病院約1時間後に〇亡が確認された


所属先関係施設内に所属先関係活動中に心肺停止状態になり、搬送先で搬送約1時間後に〇亡確認


救急車で◯◯を搬送した◯市消防本部は、巡業先を管轄する◯県警◯署に「労働災害の可能性あり。不審◯の疑い」と連絡していた病院の医師は死因を急性心不全と診断、◯◯署は虚血性心疾患に変更して発表した


搬送した市消防本部は「労働災害・不審〇の疑い」

病院医師は「急性心不全」

警察は(更に病名を)「虚血性心疾患」に変更して発表


遺体に残された外傷や「◯亡した(被害者)〇〇はマ〜」という不可解な証言(被害者)に死因の責任を転嫁する当時の師匠の発言や(本人)の遺体を(〇〇県の)実家に渡そうとせず現地で火葬にしようとしたことから、(本人)の両親が死因を不審に思い、地元の〇〇市に遺体を搬送し、6月28日に〇〇大学医学部公費承諾解剖を実施したことから、暴行の事実が発覚した



外傷、被害者素行言及の不可解な証言、被害者に◯因に責任転嫁する上長(組織長)発言、所属先主導で急ぎの火葬企図…

管轄外の大学医学部で解剖したからこそ事件事実発覚

検察側の主張によると、(被害者)が稽古や人間関係の厳しさから部屋を脱走したことに(親方)が憤慨して、6月25日にビール瓶で(被害者)の額を殴り、さらに数人の力士に対して「かわいがってやれ」と暴行を指示したとされている。翌26日も通常は5分程度のぶつかり稽古を30分ほど行い、(被害者)が倒れた後も蹴りを入れたり金属バットで殴打するなど集団暴行した。警察の任意取調べに対して、(親方)や数人の兄弟子が容疑を認めた




https://bunshun.jp/bungeishunju/articles/h2438


被害者の部屋からの脱走に長が憤慨し

6月25日殴り→複数人に暴行指示

同26日稽古の体で、時間が内容は稽古以上の集団暴行→11時過ぎ意識を失う

→心肺停止(12:40頃)

→搬送1時間後に◯亡確認

→病院は◯因を「急性心不全」、県警は(検視を怠り)「虚血性心疾患」「事件性なし」発表

同26日23時頃ご遺体が新潟のご実家へ

同27日被害者母親が親方や警察署に連絡、親方が新潟に説明に(到着15時頃)

(段取りしていた通夜告別式の日取りを白紙に戻し解剖に)

同28日解剖、鑑定結果は「多発外傷による外傷性ショック◯」、暴行による◯人。


こうした事態を受け、〇〇協会は2007年10月5日に15代〇〇を解雇したと発表した。日本〇〇協会が年寄を解雇したのは1997年1月の16代〇〇(元小結〇〇)以来2例目、部屋持ち親方としては史上初のことであった


2007年10月9日、解雇された15代〇〇の後継として部屋を継承するために〇〇が急遽現役を引退し、16代〇〇を襲名した


〇〇県警は死因特定の遺体の組織検査の結果、長時間にわたる殴打や圧迫を受けて壊死した筋細胞から血液に漏出したミオグロビンやカリウムが通常よりも高い値で検出され、これにより挫滅症候群の症状を示したことが死亡の原因になったと判断した。火の点いた煙草を押しつけたと思われる火傷の痕などもあり、暴行と死亡との因果関係が立証されたため、2008年2月7日、元15代〇〇と(被害者)の兄弟子3人を傷害および傷害致死容疑で逮捕した。また(被害者)の遺族に無断で遺体を火葬しようとしたことも発覚しており、暴行の事実を隠蔽しようとした疑いがもたれた。同年2月29日、元十両〇〇らこれとは別の兄弟子3人(うち1人はこの時点で引退済)が〇〇県警に書類送検された(いずれも不起訴処分)。現役の2名は3月場所の出場停止処分を受けた


…解剖すればこんなに詳細に分かるんですね。

あらゆることを曖昧に(二転三転)するのに14時10分だけは一貫してるけど、「死因は自◯」との説明。

上記引用文《長時間にわたる殴打や圧迫を受けて壊死した筋細胞から血液に漏出したミオグロビンやカリウムが通常よりも高い値で検出され、これにより挫滅症候群の症状を示したことが死亡の原因》との差よ…



兄弟子の1人は自身の公判において、「2007年6月20日に(被害者)の父親が、脱走した(被害者)が部屋にとどまることを懇願しに来たが、その際に(被害者)は部屋の屋上で喫煙し吸い殻を階段から投げ捨てており、日頃から近隣住民の苦情を受けていた(親方)の妻がこれに憤慨し暴行を指示した」旨を証言している。なお、この暴行の際に十両以上の力士は不在であったとされている



世間の見方は非常に厳しかった