やっぱり帰ろう。


ひな子は後ずさりした。

が、その時涼の背中がマンションの1階を抜けてなぜか裏へ回った。

恐る恐る様子を見に行く。


すると小さな看板が出ている。

木製の看板に「六」と書いてある。

大きくとった窓から温かい明かりが漏れている。

明らかにレストランだった。

ひな子の肩から力が抜けていった。


なんだー、よかった…。


少し足早に涼のほうへ歩いていく。涼は口元に笑みを浮かべて言った。

「まあ入って。ここ”むつ”っていうんだけど、結構おいしいよ」

「へ、へえ」

今までの不安を隠すように余裕ぶってひな子は返事した。

涼に腰を抱かれて温かい店内へ入る。

中は20畳ほどの広さで、15人くらいが入れるほどの洗練された雰囲気の小さな店だった。

「いらっしゃいませ」

若い女の子が声をかけてきた。

「予約の奥田です」

「かしこまりました。ご案内します」


予約してくれてたんだ。こんな雰囲気のいい店を。


ダークブラウンの家具やダウンライトで統一された店内は満席に近い状態だった。

こんなにわかりにくいところにあるのに満席に近いということは、よほどおいしい店なのだと思った。

ひな子は感激した。

そして今まで失礼な想像をしていた自分を恥じた。

少なくとも涼は自分を気に入ってくれているのだと感じた。

本当にどうでもいい女ならこんなところに連れてこない。そう思うと素直に嬉しかった。


案内された奥の席に座る。

「どうやってこんなところ見つけたの?」

コートを脱ぎながら聞いてみる。ひな子の狙い通り、涼が鎖骨の見えるワンピース姿に意味ありげな視線を送った。

「ん?高校の時この近くで古着屋のアルバイトしてたんだけど、仲のいいお客さんがオレに紹介してくれたんだ。しばらく来てなかったけど、今日久しぶりに食べたくなって予約した」

「え?高校生の時こんなところに?」

「…まあ、な」

あいまいな返事だった。なんとなくひな子はその「客」が年上の女のような気がした。…それは置いといて。

「なんにする?」

メニューを開いて涼が聞いてきた。どれも選びがたい香ばしそうなパスタやピザ、メインディッシュの名前が並んでいる。

「そうだね」

「これウマイよ」

涼のしなやかな指先が「茄子とトマトとチーズのペンネ・グラタン風」を指す。

名前がすでにおいしそうだった。

「じゃあこれ」

迷わず決める。

涼もそれを選んで、それから二人で食べる「海と山の幸サラダ」と「オマール海老とわたり蟹のスープ」を1品ずつ追加し、店員を呼んだ。