久しぶりの更新になってしまった。
実は、昨日ふと何かが舞い降りて勝手にメールを打ってた。
関東に住む親友へだった。
彼女とは昔から、精神世界を共有できる尊い絆がある。すごく近くにいて時間を共にした関係ではないけど、何ていうのかな…
ソウルメイト。
お互いにそんな感じだね、って話してる。
後から聞いた話だけど、私がメールを打った時、携帯のアドレスが全削除されて、誰にも連絡取れない状況だったらしい。
必然として起こること。
やっぱりあるんだと思った。
私はただただ、すがるような感覚で打ったメールだったのだけどさ。
改めて思う。
『生きよう』
そう思えるのは、大切な誰かが居るから。それしかない。
これが真実なんだと痛感した。
人は絶対に一人では生きていけない。
彼女とメールをしていて深くそう学んだ。
誰かの喜びを心から共有して、嬉しくって泣けてきちゃうこと。
あるいは。
誰かの悲しみを痛いほど沁みて涙が止まらないということ。
これが『愛』という真実なんだと思う。
それは、恋でも友でも家族でも、みな同じこと。
〈寄り添う〉ということは、そういうことなんだと思う。
私が病気になったのは、この真実に対する不信感からだったに違いない。
父親。
母親。
私が幼少期から見てきたもの、聞いてきたこと、全て暴力だったから。
恐怖。
この一言に尽きる。
また、もう一つの要素として、摂食障害の根本には『性的暴力』の傷痕が絡んでいることが多いと思う。
実際、私もそうだ。
直接にセクハラされたりレイプされたわけじゃない。でも、父親や母親から「恋愛や性行為は罪なことである。汚らわしい、排除すべきものである。」と教えられてきた。
従順で、優等生な私は、その教え通りに生きてきた。
その潜在意識が、私の女性性を殺していった。
胸もお尻も生理も無い体を、清く正しいものだと思い込んだ。
私は、正直、両親の作ってきた家庭環境は立派な虐待だと考えている。
でも、
時は戻らない。
前にしか進まない。
涙が枯れるほど、泣いたから。もういいや。
誰かをうらやんでも、親を憎んでも、現実は一つ。
それならば、幸福に貪欲に生きるしかないじゃない?
一人じゃないなら
何とか生きていける。
孤独だけは避けて生きたい。
こうやって。
『糸』が出逢って、布を創って、笑っていれば、何とか歩けるだろう。
険しい道でも、死ぬよりは愉しいんじゃない?
そういや、前に、私が死にたいと言った時。
「死んでも意味ないよ。だって、来世持ち越しやから。死んでも苦しみは変わらんから、無駄やで。」
って、アッサリバッサリ斬られたなあ。(苦笑)
ははは。
結局、人生そんなもんや。みんな苦労してるんや。
だからって「自分も甘えちゃいかん!耐えなきゃ!頑張らなきゃ!」って思うのは病気になるだけ。
そうじゃなく。
「みんな辛いねん。だから、寄り添いたいねんなあ、手繋ぎたいねんなあ、愛に触れたいねんなあ、笑いたいねんなあ。」、って心を治めるってことやと思う。
それが幸福への鍵かもしれない。
私には恥ずかしながら、好きな人がいる。99%叶わない恋。ほんまはちょっと切ないけど。
でも。
恋を出来る心が戻ったことが1番の喜びだと思う。
誰かを大切に想うということは、自分自身を大切に想うことと同じだから。
ようやく私、少し、自分を大切に想えるようになったんかな?って…
