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東京から京都へ 東海道53次をオッサンが一気に歩く無謀旅
通算14日目 吉田宿(豊橋市)ー岡崎市
このブログは、私が一人旅で行った東海道五十三次を徒歩で巡る旅の記録。
#ハイキング
本記事は、年甲斐もなく一気歩きを目指したものの途中中断となり、再開した後、愛知県岡崎市に到達する歩き旅の話。
宿泊場所の偏りにより、歩く距離が長めの日
私の東海道53次 西半分版 再開後の3日目。
スタートは愛知県豊橋市。
昔の名称は、吉田宿。
今日の目標地点は、北西にひたすら進んで岡崎市。岡崎宿だ。
事前のシミュレーションでは、歩行距離約32km。約7時間半。
歩く距離としては、今までの東海道歩きの中でも、長距離な方。
しかも、寄り道、食事などもあり、常に計画より2,3割増しに結果はなるから、今日は長めの歩きを覚悟しなくてはならない。
もう少し短く計画したかったのだが、他の記事で書いたように、宿が無い地域があるためだ。
私は最初にグーグルマップで「ホテル」を選んで、ありそうかどうか、大まかな様子を見る。
それで幾つもありそうなのを見てから予約サイトのアプリで実際に探しだすのだが、この辺の地域はホテルの場所に偏りがあって、豊橋や岡崎にはたくさんあるが、その途中にはほとんど出てこない。
そんな感じで止む無く岡崎中心部を探さざるを得ず、距離が長めになった。
Youtubeを見てると、若者で東海道歩きをしてる人はネットカフェなども使ってるようだが、私はできれば避けたい。
ということで、今日も出発!!
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足まめ問題を克服?
今日は再開して3日目。
5月の小田原スタートの歩き旅では、3日目はもう足マメに悩まされてた。
でも、現在の足は快調。問題はほとんど無い。
ここまでの感触で、苦戦した5月との最大の違いは足の指の乾燥ではないかと思っている。
5月は既に夏日もあって、気温が高かった。
その蒸れた状態で、いきなり箱根の山登りだった。
そして箱根の下りは雨の中。
蒸れた足でグラグラする石畳の下り。
皮膚に影響が無いはずが無い。
それに比べ、今回ははるかに気温が低い。
そして天気も良い。
なので、足の蒸れは明らかに軽い。
これなら5月と違って、足まめで断念となる恐れは無さそうに思える。
朝の混雑
吉田宿を出る道は、まず豊川を渡る。
橋は朝の渋滞。
渡った先を左に折れて、川の少し下の旧道を進むのだが、その道も混んでいる。
やはり車社会だ。
そして、東京側からの東海道歩きの朝は、常に後ろから日差しを浴びる。
その内に太陽を左から受けて、到着する頃は前からの夕日に向かって進む。
身体の左半分だけが日焼けしてしまいそうだ。
やればできる
この辺から少し工場地帯らしい。
歩道が無いところが時々あり、道端の雑草すれすれに歩く私のすぐ横を大型トラックが通り過ぎる。
ガイドブックによると幾つも史跡があるのだが、とても、落ち着いて探していく雰囲気ではない。
ここの一里塚は、江戸から74里。
290km超を示している。
考えてみれば凄い距離だ。
徒歩旅を実際に始める前の私だったら、徒歩で290kmなんて10000%考えられない距離だ。
でも、本気でやってみればできる。
本気にならなかったら、今でも想定外のままだったに違いない。
「できる」「できない」は、実は自分の頭で決めているだけなのかもしれない。
国道と旧道
東海道の旧道は、現代の国道1号とどのような位置関係なのか。
旧道を知らないと疑問に思うだろう。
大雑把に言うと、宿場と宿場の間は大きな国道沿いとなる事が多い。
そして時々、国道から分かれて如何にも旧道という道に入り、その先が宿場町に繋がっている感じだ。
そして宿場の反対側の外れに差し掛かると、また国道に合流する。
この繰り返しとなる。
慣れてくると、こんな緩やかに曲がる道や、地図上のくねくねした道を見るだけで、旧道だと見分けがつくようになる。
東海道全体で、国道1号と旧道の重なりがどの程度あるかと言うと、私の感覚に過ぎないが、3, 4割程度といったところか?
ただ、この日の豊橋から岡崎間は、国道1号沿い比率が比較的多めのルート。
大型トラックの交通量の多い国道沿いは、歩いていても落ち着かない。
なので、国道を逸れると静寂が訪れ、安心できる。
そしてこの日のルートでも、国府から御油が近づくと、だんだん長閑な雰囲気に。
風情ある街並みに変わっていく。
維持する努力
街並みの先は、国の天然記念物、御油の松並木だ。
綺麗な並木なだけでなく、近くの小学校や愛好会の名前でちゃんと苗木も植えられていて、古い松並木を維持する努力の跡が見える。
ただ古いものが残っているんじゃない。
やはりこういう地道な努力が、何百年もの昔の景色を今に残してきたんだろう。
他の松並木でも、枯れた松の木も見てきた。
簡単じゃないとは思うが、少しでも未来に残して欲しいと思う。
そして、御油宿とその先の赤坂宿とは、東海道でも例外的なわずか1.5kmしか離れていない。
余りの近さに、当時は客の奪い合いまであったのだそうだ。
なので少し歩くともう赤坂宿。
マンホールの蓋も、歌川広重の浮世絵の赤坂宿のデザインだ。
そして、その浮世絵のソテツが、赤坂宿の浄泉寺に現存してる。
これも凄い。
これも誰かが残そうとがんばった結果だ。
ここでは、旅籠 大橋屋を見学。
驚くことに、2015年に創業366年で旅籠屋の幕を下ろしたのだそうだ。
松尾芭蕉が泊まって俳句を詠んだとも言われる。
出来ることなら、営業している内に訪れてみたかった。
きっと素晴らしい体験になっただろう。
宿場町の外れにはきれいな川。
そして、宿場町を出ると再び、国道へ。
ここで、日本橋から314km。
先に小さく見える表示は・・・・いよいよ岡崎市だ。
ただ、今日のルートはここからも長い。
引き続き、国道と合流、分岐を繰り返して進む。
名鉄線の先に、藤川の松並木。
そしてエネルギー補給。
そしてまた延々と、国道1号を進む。
流石に今日の距離は長いな・・と思ってると、岡崎が近づき、どんどん道路が大きくなって車線も増えてくる。
そんな巨大な国道1号の脇にも、わざわざ旧東海道を模した歩道が。
味気ない国道も、ほんのわずか情緒を感じさせた。
岡崎宿27曲り
そして、とうとう岡崎宿 冠木門。
ここが、27回も曲がると言う岡崎27曲りの始まりだ。
ここからは、もうどこまで正確に辿るか。。。
この辺はほとんど石碑が形跡を微かに残すだけ。
実物は無い。
本陣跡は、今やコンビニか。
流石に27回は忠実に曲がらず、夕暮れ前に中心部に辿り着いた。
夕日に照らされる、乙川と岡崎の街並みがキレイだ。
夜の仕上げタイム
この日は晴れの一日だったが、夜になると放射冷却か、少し肌寒かった。
でも、吞兵衛にとって岡崎の夜は、とっても温かかった。
とても不思議なんだが、
徒歩旅は、訪れた街を、地方を、好きにさせる。
長く静岡県を歩いていた時、私は静岡県が好きになった。今でも大ファンだ。
今日は豊橋、岡崎にきて、たった一日なのに、ここがすっかりお気に入りになっている。
自分の足で歩いてきたからなのか?
今日初めてなのに、もう通になった気分だ。
いつも通り、飲み過ぎて、すっかりいい気分。
明日の夜は、いよいよ名古屋に到着だ。

























































