この日は刑務所にいたことを思い出します

毎年書いているような気がします


この頃、私は炊事工場でした

免業日(作業がない日)で舎房にいると

突然の揺れ

それも大きな揺れでした

3人で軽いパニックです

大声を出しても誰も来ない舎房で

自分たちだけ逃げ遅れるんじゃないか

古い舎房なので崩れるんじゃないか

このまま自分たちだけ放っておかれるんじゃ

ないかと

しばらくして先生(刑務官)が来ました

炊場、全員就業だから準備して、と

訳もわからず私たちは工場へ

大きな地震が来てボイラーは今日はもう

使えず出来ているものを

夕食に出す準備をしました

ヘルメットを被っての作業でした

一般工場はもう作業をやめて

舎房に戻っていたようです

どうにか夕飯を出して舎房に戻りました

電気や暖房は使えず寒くて暗いなか

ラジオを聞いて外の世界がとんでもないことに

なっているのを知ったのです

東京にいる家族は無事なのか

どういう状況なのか

ネットも電話も使えないので

ただただ心配するばかり

東北の子もいたので安易なことは言えないけど

同じ部屋で生活して同じ工場で働き

24時間家族以上に一緒にいる人たちです

寄り添うことしかできないけれど

誰も彼もが互いの家族を心配していました


数日間は非常食でした

温かいものを食べられるのは幸せなこと

なんだなと冷たい非常食を食べながら

思いました 


炊事工場なので毎日お風呂に入れましたが

シャワー入浴になりました

一般工場ではしばらく入浴はなかったそうで

私たちはシャワーとはいえ

入れるだけマシでした


テレビが見れるようになり

津波の様子を見て

これが本当に日本で起こっていること?

外の世界を知らない私はどこか

テレビや映画の世界のような非現実的な

感じでした


ただ刑務所でも一般工場は作業をせずに

舎房にいるし、電気も暖房もつかず

入浴もなし

この異常な状態ですから

外はもっと大変なことになっているのは

わからないながらも想像はつきました


この時、刑務所というのは本当に安全で

私たちは守られているんだなと思いました

この状況下で住むところがあり

食事も時間になったら出てくる

外では被災された方が不自由な生活を

しているというのに

犯罪者の私たちがこれで良いのだろうか

私たちは不自由だが本当の不自由ではない

何も本当は困っていないし

なんでも与えられている

とても考えさせられました




あれから14年

この日を忘れてはいけないと思います