はじめまして | ちょこボラ!しよう

ちょこボラ!しよう

「ちょこボラ」とは、「ちょこっとボランティアする」こと。今すぐ簡単にはじめられる「ちょこボラ」の数々を紹介します。

 はじめまして。単行本ライターの藤原千尋です。
 正直、ボランティアとはほとんど無縁、どころか「タダより高いものはない!」が信条のひねくれモノのワタシですが、だからこそ“通っぽくない”アプローチ=「ちょこボラ」というテーマから、ボランティアすることについて考えてみようと思います。なぜボランティア部外者の自分がボランティアについて考えてみる気になったのか? そのきっかけとなったちょっとした体験についても、おいおいお話してゆくことにしましょう。

 さてみなさん、「ちょこボラ」って何だか、知ってますか?  「ちょボラ」なら、テレビCMで耳にしたことがある人もいる? でしょうか。
 そう、「ちょこボラ」も「ちょボラ」も意味はいっしょ。“ちょこっとだけやる”ボランティアのことをいいますが、「ちょこ」の語感にそこはかとただようキュートさ(?)を意識して、ちょボラではなく「ちょこボラ」でいくことにしてみました。

 ちょこボラについてお話する前に、みなさん、「ボランティア」って、どう思いますか?
 ボランティアっていうと、どんな感じを想像しますか?
 「う~ん、ボランティアっていえば、災害に遭って困っている人とか、お年寄りや身体障害者の人を手助けすることでしょう?
 お金をもらわずに行なう善意のお手伝い。だいじなことだと思うし、すごいことだなとは思うけれど、何だかむずかしくてたいへんそう。興味がないわけじゃないけれど、いきなり飛び込むには、ちょっと敷居が高いかな…」  おそらく、こんなふうに思っている人がとても多いのじゃないでしょうか。
 やるなら気合いを入れて、本格的に取り組むもの。徹底的に“善意のヒト”と化して、滅私奉公の精神で参加するもの。「ちょこっとだけ、お手伝いさせていただきますぅ」なんていう軟弱な心がまえでは、とうていつとまらない…。ボランティアには、とかくこんなイメージがつきまとっているのではないかと思います。
 かくいう私も、ボランティアに対して、「たいへん。責任重大。軽い気分で参加するのは不謹慎で迷惑。マジじゃないなら、やっちゃいかん」と、37歳になる今日まで、かたくなに思い込んで生きてまいりました。
 だって、部外者の自分がいったいどのくらいヒトさまのお役に立てるのかも不安だし、そもそも、“ヒトさまのために”って考えじたいが、ちょっとギゼン入ってないか? それほどこころざしが高くもない自分がボランティアに参加するなんて、やっぱりおこがましいかも…云々と思案したあげく、結局、なあんにも行動を起こさないまま、ボランティアとはまったく無縁の生活を送りつづけていました。
 でも、ボランティアって、ホントのホントに、そんなに敷居が高いものか? 困っている人を助けるのに、そーーんなに高いこころざしが必要なのでしょうか?
 自分の空き時間を使って、できることだけをマイペースでお手伝いする。習い事感覚で、自分の人生を豊かにするためにトライしてみる。そんなふうに気軽に始める「ちょこっとボランティア」があったって、よいのじゃないでしょうか?
 もちろん、相手の迷惑も考えずに「楽しそうだから、ボランティアしに来ました~♪」なんていう軽薄な態度でやるのは言語道断。いくらマイペースで気軽にといっても、相手を不愉快にさせないという最低限のマナーは、当然わきまえるべきです。
 でも、このマナーさえ守ってのぞめば、ちょこっとだろうとドバっとだろうと、「役に立ちたい」気持ちに優劣はないはず。むしろ、ムリなく楽しくボランティアできて、相手の「困った状態」の改善にひと役果たせたということになれば、やるほうもやってもらうほうも万々歳なのじゃないでしょうか。
 誰もが「誰かのために何かをしたい」という気持ちを少なからずもっていると思うんです。そういう気持ちって、ギゼンだとかタテマエだとかいう以前に、見過ごしてはいけない尊い感覚じゃないでしょうか。そんな気持ちを大切にしながら、大上段に構えず、マイペースで楽しくお手伝いして、それでいてちょこっと人のお役に立てる。そんな「ちょこボラ」の精神こそが、ボランティアをより身近なものに変えていくのかもしれない。そんな気がするんですよね。
 とにかくむずかしいことは考えない。気取らず、かまえず、背伸びせず、「まずは楽しんじゃおう」の気持ちで自分のできることから始めてみる。そんな一人一人のとるにたらない「ちょこボラ」が、大きな大きなボランティアになっていくと思うと、何だかとってもワクワクした気分になってきませんか?