東日本大震災で被災し家族を亡くした宮城県石巻市の男性が、熊本地震で大きな被害を受けた熊本県益城町(ましきまち)に入り、支援活動を続けている。5年前、同町のNPO法人が石巻でラーメンの炊き出しをしてくれた恩返しをするためだ。募金を集め、住宅問題の解決に東日本の教訓を生かす取り組みを始めた。
平成23年3月11日、石巻市渡波(わたのは)地区の藤田利彦さん(53)の自宅を大きな揺れが襲った。窓の外を見ていると、大型トラックや壊れた家などが流れてくるのが目に入った。「津波だ!」。絶叫したと同時にドーンという衝撃。藤田さんと母、おばの3人は自宅もろとも海に投げ出され、2人は帰らぬ人となった。
その2カ月後、同地区を訪れたのが、益城町のNPO法人「ボランティア仲間 九州ラーメン党」(浜田龍郎代表)だった。
救援物資もあまり届かないなか、藤田さんは「浜田さんたちが作る温かい豚骨ラーメンをみんな涙を流しながら食べた」と振り返る。以降、浜田さんは毎年炊き出しを行っている。
藤田さん自身もボランティア団体「石巻市復興を考える市民の会」を立ち上げ活動を続けてきた。
そして大震災から5年がたち、今度はラーメン党の地元で地震が起きた。激しい被害にもかかわらず、浜田さんは本震翌日の4月17日から炊き出しを開始。藤田さんは浜田さんのために石巻で募金を行い、約150万円を集め、6日に益城に駆けつけた。
藤田さんが被災地入りした理由はもう一つある。住宅問題に関する自身の経験を伝えたいと考えたのだ。
「生きるために必要なのは住、食、衣の順番。住む場所が定まらないと人生も定まらない。石巻では多くの人が家を失って大変な思いをした」。避難所生活や車中泊が長引いて関連死が起きている現状に「5年前の教訓を全く生かせていない」と危機感を隠さない。
「家はどうなっているの」「住める状態なの」「車で寝ているの」
被災者から状況を聞き、災害用の段ボール製仮設テント「オクタゴン」12棟をまずは益城町の島田地区に贈ることを決めた。オクタゴンは床面積約11平方メートル、天井までの高さ約2メートルのドーム形。屋外でも少なくとも6カ月は使用できる優れものだ。
「必ず仮設住宅の申し込みをしてほしい。その後は無理にローンを組んで家を再建しなくても、250万円で建てられるコンテナハウスだってある。こうした情報を広めるのが、5年前に被災した僕の仕事」と藤田さん。恩返しと、教訓を生かしてほしいという思いがこもる。