こういう場所で生活している人たちは
どんな生活してるのかなぁ???
とか考えつつも、我々は黙々と長江を渡っていきます!
そんな中、船の上で優雅に写真を撮っていると
遠くにボート的なものに乗ってる人が!?
どんどんはっきりと見える位置まで近づいてきます。
まさか助けを求めているのか!?
と思いきや、こういうボート体験をする場所に到着しただけでした∑(゚Д゚)
より近くで山々を見物出来たし、良い経験になりました(・ω・)b
夜は街のイルミネーションがとても綺麗でした。
上陸はしてないけどΣ(゚д゚;)
三峡では、四川盆地を出た長江が、盆地の東を塞ぎ東西方向へ走る
巫山などの細長く険しい褶曲山脈を貫いて流れている。
長江の両側に高い山が聳え立ち、時に霧や雲が立ち込め
風景は山水画のように雄大である。
風景の美しさだけでなく中国の歴史・文化の上でも重要で
古来より詩文にうたわれた風景や古建築が三峡周辺に散在している。
三峡は「瞿塘峡は雄大、巫峡は秀麗、西陵峡は奇絶で険しい」
(瞿塘雄、巫峽秀、西陵奇)と評される。
一方で、ダム建設前の三峡は長江の水運の難所であり
夏の増水時には水位が上がり航行には危険が伴った。
三峡地域には瞿塘峡・巫峡・西陵峡のような険しく
幅の狭い峡谷の部分と、広くなだらかな寛谷の部分があるが
これは地質の違いによる。
三峡独特の景観である峡谷部分は石灰岩が多く
風化には極めて強いが水には溶食されやすく
水の流れる部分だけが深く削られてゆく。
また石灰岩には垂直の亀裂ができやすく
水が亀裂の中に入り、その底部を侵食してゆく。
谷が深くなると両岸の岩が平衡を失い
垂直に発達した亀裂に沿って谷に落ちるため
両岸が切り立った崖になってゆく。
砂岩や頁岩の多い地域は浸食がより進むため
うってかわって広い谷が形成されている。
巫山に代表される四川盆地東部の褶曲山脈群は
7000万年前の燕山運動により形成された。
これらの山脈は西南-東北方向に走り
南から北へ向かって次第に低くなっている。
これら山脈と大巴山脈(巴山)の間にできた
低くくぼんだ部分を通って古代の長江は東へ流れていたが
地殻の上昇により峡谷もますます深くなり
現在のような険しく切り立った地形になった。
[瞿塘峡]
一番上流にある瞿塘峡は長さ8kmと短いが最も雄大な部分でもあり
高さ1000mを超える山脈を一刀両断したような峡谷を長江が貫く。
李白の詩『早発白帝城』で「両岸の猿声(えんせい)啼いてやまざるに
軽舟(けいしゅう)すでに過ぐ万重(ばんちょう)の山」
(兩岸猿聲啼不住、輕舟已過萬重山)とあるのは
瞿塘峡にある夔門(きもん)の情景である。
夔門は100mの幅の長江両岸に、川面からの高さが1,200mに達する
石灰岩の高い断崖が門柱のように迫るところで古くから
「夔門天下雄」とその雄大さを称えられてきた。
北岸には白帝城と白帝廟の建つ白帝山があるが
ダム湖の蓄水により湖に浮かぶ島となっている。
[巫峡]
続く巫峡は、重慶市と湖北省の境にある40km以上の長さの渓谷で
巫山山脈を北西から南東へ貫いて巫山山系の間を東西へ流れる。
巫山の十二峰をはじめとする秀麗な景観が多くの文人に霊感を与えてきた。
十二峰のなかでも神女峰は最高の見どころで雲の中に突端を突き出している。
山が迫るために川面を太陽が照らすことは少ない。
[西陵峡]
最後の西陵峡は70km近く続き、巫山の東で南北方向に並行して走る
山脈を長江が次々貫く。両岸は険しい岩の峰に囲まれる。
いくつかの寺院と集落がある以外に人の姿はなく
七つの渓谷と二つの急流があり危険な場所である。
三斗坪は、かつて一戸の家が三斗の米を元手に店を開き
旅人に食事と宿を提供したとの言い伝えからきている地名だが
この場所に幅2,309mの三峡ダムが建設された。
船はダムを迂回する閘門を経て航行する。
西陵峡下流の急流は、1970年から1988年にかけて
建設された葛洲壩ダム(三峡ダムの38km下流)により
流れが緩やかになり航行が楽になっている。
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