旅館の玄関をくぐると、明るい笑顔の女将さんが出迎えてくれた。
女将「まあまあ、ようこそいらっしゃいました」
優しい笑顔に思わず頭を下げると、頭上で春の言葉が聞こえる。
春「お久しぶりです、本日からお世話になります」
彩「え?」
思わぬ言葉に声を上げると、女将さんは笑顔をますます深める。
女将「お久しぶりにいらしてくださった上に、こんな可愛らしい方をお連れで……」
女将さんは明るい声を上げて、春を見て続ける。
女将「本当にいつぶりでしょうかね、前はJADEの皆さんでいらしたから……かれこれ数年も経ちますかしら?」
彩「……!」
(JADEの皆さんと来たことがあるんだ……)
女将さんの言葉に目を丸くすると、春はわずかに複雑そうな表情になる。
春「ああ、だが今回は……」
女将「心得ておりますよ、ご予約も離れの個室とのことでしたから。ああ、そうそう。神堂さんといえば……」
私をチラリと見てから、女将さんが意味ありげな言い方で何かを言いかける。
春「女将……」
春の静かに言った言葉に、女将さんがハッとしたように口を手で押さえる。
女将「ほほほ、そうですわねえ。お話は、また後ほどに致しましょう」
春が最後まで言う前に、女将さんは納得顔をしていた。
彩「……」
(さっき女将さんは、いったい何を言いかけたんだろう……)
春が止めてしまったことでかえって気になって、女将さんの対応と相まって何だかモヤモヤしたものが胸の奥に残った。
春が予約したという離れの個室に案内され、荷物を簡単に片付けた後、お茶を入れて一息つく。
彩「緑茶を飲むと、さらに日本に戻ってきた気がする……!」
たあいもないことを言いながら、私は座卓の向かいの春をチラッとうかがった。
(春の様子は、いつも通りだけど……)
玄関先で交わされた、女将さんとのやり取りがやっぱり気になって、思い切って聞いてみることにした。
彩「ねえ、春……。 さっき女将さんは何を言おうとしていたのかな?」
春「さあ……」
彩「え、さあって……」
春は私を真っ直ぐに見据え、繰り返す。
春「何を言おうとしていたのか、俺には分からない」
(……もしかして、はぐらかされた?)
春らしくない強引すぎる否定の言葉に、チクンと微かに胸が痛んだ。
(わたしには教えてもらえないことが、何かあるんだ……)
あの瞬間、女将さんと春の間で通じ合った何かにまた胸がモヤモヤする。
(……でも、せっかくの旅行なのにこんな小さなことで落ち込んでなんかいられない)
彩「……そっか!あ、私カメラを持ってきたんだよ。後で写真撮ろうね!」
だから私は、ほんの一瞬だけ感じた寂しさから目を逸らすことにした……。