足元が危うく見えることが
増えてきたかな?
と言うようになってからも
継続的 治療的な対応ではなく
そして
何かあった時のために
もう少し近くの医師と病院を頼れるように と
新しい病院を訪ねた 義母
自分のからだが
そんなに悪くなっていると実感はないし
思えないんだと
電話越しに訴えていた義母は
寄り添う 誰かを必要としている
と感じたものでした
寄り添うことのはじめは
そばにいることからのはずなのに
目の前にいることが分かっていても
安心を与えてあげられないのは
とても切ないことだな と
感じたりもしていました
人工透析の効果に近い効き目...
と説明されて
飲みにくい 新しい薬を
義母は忠実に服用しているとか
そして
その効き目なのか
義母は義母なりに
体調も
気持ちももとに戻って
元気に
落ち着いて過ごしているといいます
義理の弟のがんばりで
遺産分割協議書に沿った作業が
進んでいる
そのことを
生活のはりにしているようにも
感じます
わずか 200m 300m ほどの所にある店に行って
補聴器を注文してきたという義母
歩くのも
歩いたあとも大変だろうに
自分の足と
自分のからだで過ごしているのです
足元がちょっと心配だから
ついて来てくれない? と
家内を呼んでくれれば
家内も安心だろうに
けれど
自分の足と
自分のからだで過ごしているのです
寄り添うということを
そばにいてほしいという思いを
ぼくも母から教わったことがありました
そばにいてくれる安心より
またひとりになる時が来るかもしれない
それを思う方が苦しい
と
思えば贅沢な話だなぁとも思うのです
けれど
肉親でなければ確かめられない
肉親だから
感じさせたり 感じたりすることがある
そうとも思うのです
「なぁに贅沢なこと言ってるの!^^
ほら買い物いくよ!」
と笑い飛ばしてやるのも優しさなら
笑い飛ばしてしまうのも厳しさだったり
するのです
義母は
自宅の整理をいっしょにやろうとしている
ちゃんと相手の言うことが聞こえないのでは
子どもたちの足手まといになるし
共有名義人としての
責任が果たせない
きっとそう考えているのです
だから
補聴器を買いに行った
こんなに高価なものを
(お一人でと店の人は言わなかったらしいけれど)
大丈夫ですか?
と聞かれるほどの年齢なのに
寄り添うということを
こうしていても教えてくれる義母
笑顔の時間が続きますように
