BlueSkyのブログ

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瞳が心の窓ならば、言葉は心のかけら・・・
 なんてことを思いながら (*^.^*)
  普段はドイツ語や英語を相手に翻訳の日々。

徒然なるままに・・・




めずらしく? ひとりで過ごす夕方


モスバーガーって

日本のどこまである店なのかな⁇

なんて考えながらね^^;








何があっても不思議はない


何があってもいいように...


そんな思いが

ぼくの中のどこかにあるけれど


それって

武士道の教えだって

誰かが言っていた


おかしいね^^;


ぼくの祖先には

父方も母方も

お侍さんはいなかったように

思っていたんだけどね





ブロ友さんのひとりが教えてくれた


スピリチュアルな捉え方をしてみると

ぼくの時間はどこかで

お侍さんにつながっていたとしても

不思議はないかも知れないね と








何があっても不思議はない


何があってもいいように...


そうやってわざわざ? 時間をかけて⁇

自分探しをしている


なんと20代になる前から? 

という感覚があるから


よくもまぁ 続くもんだとも思うけど




最近

フラッシュバックのように


出なかった答えや

その答えにつながっていくのかな? という

景色が パッと 

頭にひらめくことがある


そうか! そうだよな‼︎ と




でもその答えのひらめきは

長く残っていない^^;


えっとね、たしかこうだったと思うな...

みたいに(^^;;






ぼくの脳細胞は大丈夫かね⁈^^;

なんて思いながらも


長持ちしない

そのフラッシュバックみたいなものを

つなごうと焦りもしていない^^


分かるときにはきっと

分かるようになるだろ と






そんな自分を

家内や友人に話して聞かせるのも

ちょっと面白かったりする







自分のやりたいことを

やりたいようにやるべき...


どこかで聞いたその言葉が

何となく胸に落ちていたんだけど


これって


自分のための あるがまま なんだなと

さっき気づいた^^



















さて


お義母さんとの話しは

うまくできたかな





やりたくないと言っている人工透析

少しでも楽に最後を迎えさせたい...

けれど

それは かなわぬ希望?



認知症が進んで

何が理解できているのか

どこまでがほんとのことを言っているのか

よく分からない⁇ というような

状態だとか...






自分のからだに何が起こっているのか

ちゃんと分かりたい

そう言っていた母でさえ

いくつもの話しをつないで

理解することはできなかったね



治らなければ

治せる病院 
治せる先生を探さなくちゃ


そう言っては行動しようとしている

義母の様子が切ない




それでもたぶん

自分の病気は治せないものだと

お義母さんは分かっている


ただ

分かっているとしても


お義母さんは

分かち合うということを知らずに


教わらずに暮らしてきた


そんな気もする





いのちにどう向きあえばいいか

あとに残る子どもたちへの想いを
どうすればいいか

を語る言葉を持っていないみたいにみえる



だからその話しは

同じところを

ぐるぐる回っている


回れば回るほど

認知症が進んでしまったとしか見えない















言葉は心のかけらなんだと

何年も前のぼくは思うようになった


言葉にすれば伝えられると思っていたから




だから

言葉が使えるようにならなくては

と思っていた




けれど

大人になって

この歳になって^^;


言葉になれない思いもあるのだ

と教えられた



言葉にして分かりあおうと思うほど


その思いが強いほど

目の前の その相手から離れてしまう

思いもあるということを

感じるようになった



母がそうだったように

義母とぼくらの間には病気がある


世代の違いもあれば


親と子 の違いもある



だからなのか


ぼくが信じていた言葉は今

その違いを超えることができないでいる





それでも


お義母さんには


ぼくらも受け止めきれない

切ない現実を

話して聞かせてあげたい


そう感じる







父がそうだったように

家族の安心や甘えがあるから

いらだちは

恐ろしいほどの言葉になって

ぼくらに襲ってくる



その目を見ながら

同じことを何回も何回も

話さなければならないだろうけど


何度でも

話して聞かせてあげたい


そう感じる





心のかけらが言葉になるのだとしたら


言葉から

心ができてもいいよね


そう思うから





そう


たとえその言葉が伝わらないとしてもいい


それでも


その言葉は


お義母さんのところへは

届くはずだから












いつものダウンコートは手に持って

ちょうどいいくらいの

今日の天気^^



子どもたちの声が聞こえてくる

公園近くを歩いていたら

こんな姿^^





何してるの? と声をかけながら近づいたら

にゃぁ とひと声^^


ん? 何だって⁇ と言ってみたら

にゃぁ ともうひと声^^




ほっといてくれ! 

と言っていたのか


それ以上近づくな!

と怒られたのか

よく分からない^^;



ねこの気持ちが

もう少し分かるようになりたいものだね^^;





ちょっと曇り気味だけど

おだやかな今日の天気



公園近くにある

紅梅も白梅も

すっかり花が開いてる









季節が変わっていくのを感じる感覚は

変わっていないように思うけど


この半年


目に映る景色の見え方が

変わってきているような気もするのです





やっぱり

みんなに見えないものが見えている⁇

ような


年齢の違いなんだろうね

とは思うけれど


その色を

みんなにも見せてあげたいと思うけれど...

という感覚に加えて



何か違うものが

ぼくの中に生まれているように思うのです





この感覚


まだ言葉にできません


言葉にする不自然さを

お前はもっと分かるべきだ⁈ と

20代のはじめの頃

友人に言われたことがありましたが

(その友人はもう

そのことを忘れているでしょうね^^; )


言葉にして

残していくのが

ぼくらしさだろうと思うから


この感覚が

自然に言葉になるのを

待とうと思うのです





もしかすると

誰かと話をしているとき

あ! それだ‼︎ と

言葉になるかもしれないとも

思います


いえ

ならなくてもいいのです



そう

ぼくなりの

あるがまま の

ひとつの形なのかもしれません







モネという画家は

描くことの悲しさを語ったことがあると

どこかで読んだ気がします



それに似ているのかな?^^;



言葉の裏と表みたいに












さっきのにゃんこを探してみようかな^^



何となく春っぽい日です







みんなにも素敵な時間を