犬の肺高血圧症の基礎知識
病名ではなく、病態です。その原因には様々なものがあり、一番の原因として僧帽弁閉鎖不全症が存在するため、よく遭遇する病態です。肺高血圧症は肺動脈圧が持続的に高くなっていることを指します。かかりやすい犬種
原因にもよるが、まだ不明です。かかりやすい年代
成年期からシニア期にかかりやすいとされています。症状
- 疲労しやすい
- 呼吸困難
- 咳
- チアノーゼ
- 失神
- 腹水
- 肝臓腫大
- 皮下浮腫
原因
大きく分けて3つに分類されます。- 肺血流の増加:先天性短絡疾患
- 肺血管抵抗の増加:フィラリア症、肺疾患
- 肺静脈圧の増加:僧帽弁閉鎖不全症
以下はあちこちのサイトからのまとめと
経験からの独自の追記、
ゆっくりと段階的に進行する一般的な僧帽弁閉鎖不全症とは症状の出方がかなり違い、肺高血圧は相当に悪化するまで心雑音や散歩時の息切れなどの僧帽弁閉鎖不全症の典型的な症状が軽いことが多く、一気に悪化するため肺高血圧の症状が出た時には中期から末期のことが多い。
循環器の専門医でないとその発作は飼い主の話からはてんかん発作と間違われることも多い。
発作の動画を見せても、そもそも肺高血圧症の知識不足から正確に診断できない先生は少なくない。
(動画サイトではてんかん発作と間違われた肺高血圧の犬の発作の動画がてんかん発作としてアップされている場合もある。
小型犬の老犬はてんかんと肺高血圧を両方患っている場合も多く、飼い主もどちらか区別がつかない事もよくある。)
そのため発見が遅れてしまい、僧帽弁閉鎖不全症自体の治療開始が遅れてしまうため一気に悪化することが多く、非常に予後は悪い。
以下、肺高血圧の際に出やすい症状
眼振や痙攣が無いのに、いきなり悲鳴をあげ身体を突っ張らせて失禁や脱糞など。睡眠時に起きることも多いので悲鳴でかけつけるため、倒れる瞬間は見られないことが多い。
意識はあることがほとんど。
(意識を失う時は血流の低下による酸欠からの場合が多くその場合は悲鳴は無い。)
てんかんに比べて発作時間がかなり短い。数十秒で治まることもある。
てんかん発作では少なくとも数分。
悲痛な悲鳴は激しい胸痛のため。
てんかんでは痙攣があり声は出ないことが多い。
てんかんの発作はおさまった後に意味もなく部屋を歩き回る異常行動や、立ち上がろうとしてヨタヨタと腰を抜かすなどの発作の余韻があるが、
肺高血圧の場合の発作にはだいたいそれは無く、発作が治れば数分でケロリとして元気に見える。
何ごともなかったかのようにすぐにご飯を食べたりもする。
心雑音のグレードはその診察タイミングによりバラつきがある。発作時や発作直後以外は雑音はごく軽いことも多いが、発作は夜間や明け方に起きることが多いので、日中に診察した時には特に異常無しと言われてしまいグレードを軽視され僧帽弁閉鎖不全症の投薬すらまだ必要無しとされてしまうことも多い。
循環器の専門医ならば、無麻酔の超音波検査だけでも通常の僧帽弁閉鎖不全症には起こりえない肺からの右心室への高速の血液の逆流を見つけられることで、確定ではないが肺高血圧のだいたいの診断ができバイアグラを使う治療を始めてもらえる可能性が高い。(確定診断は人間の場合は肺の血管にカテーテルを入れる血圧測定によりできるが、犬の場合はほとんど行われていない)
肺高血圧の診断がつけばバイアグラが犬の肺高血圧の特効薬になるが、まだその知識があり治療を行う先生は犬の循環器専門医と開業医なら勉強熱心な先生以外はまだ日本にはあまり多くない。 海外では常識の治療だが、バイアグラに代わるペット用の肺高血圧の治療薬はまだ無い。
日本の場合にはバイアグラは獣医師は国内での仕入れができないため、個人輸入したものを獣医師が処方してくれるか、患者が個人輸入し持ち込むよう指示される場合もある。
その他、僧帽弁閉鎖不全症の急激な悪化原因は
弁の腱さくの断裂による血流の悪化などがある。
こちらも無麻酔超音波の検査で弁の動きを見れば判る。
特に老犬の場合、てんかん発作か心臓発作か判りかねる場合は、全身麻酔でないとできないMRIでのてんかんの精密検査よりは、
麻酔無しで超音波の検査を先にした方が良いと思われる、これはどの開業医でも言われること。
ただ、ここで重要なのは超音波の検査を受けるのは循環器の専門医であること。もしくは大学病院か循環器センターなど、必ず専門医が居ること。
せっかく超音波の検査を受け、画像にしっかりと病の証拠が写っていても、その画像を解析して正確な診断をくだせる先生でなければ意味がありません。
どうかみなさんの大切なワンちゃんが
モカのような誤診をされませんように。
29日はモカの命日です。
あの日から一年、
助けてあげられなかった無知だった自分を責め、後悔と涙が今でも込み上げます。
かかりつけの先生を信頼することは大切ですが、それと同時に納得できないことは疑うことも大切だったと実感し、今でもとても後悔しています。