少し疲れている
たぶん
(まあ いつも疲れている
とくに この数年)
人に疲れる
自分に疲れる
何よりも「言葉」に疲れる
直接的または間接的に 人とやりとりするための「言葉」に。
そういう時は、沈黙して、バックエンドで目をつぶっているべきなのだと思う。
思うのだが。
そのような種類の言葉は自分の心を蝕み、消耗させてゆくとわかっているのだから。
それなのに半ば神経症的に、脊髄反射でまた言葉を発する。
そしてそのあとに
「黙っていればよかったのだ、黙っていれば」
と唇を噛む。
ネットでの言葉のやり取りに足を突っ込んでから何年だろう?
アナログモデムのBBS時代からだから20年はゆうに経っているはずだ。
それ以前とそれ以降で、自分にとって色々なことが変わった。
精神的には、あまり良くない方に変わったかもしれないと、最近は思う。
リアルで対面:音声と非言語情報(表情、ジェスチャー、視線etc)
↓
電話(音声のみ)
↓
ネット(文字のみ)
下へ行くほど、余計な神経を使う。
それに原則として、文字にした部分のみしか、情報のやりとりがない。
こちらが与えようとした情報のみを与え、
相手が返そうとした情報のみが届く。
リアルで対面しているときは、本人の制御を逃れた情報が流出する。
言葉ではAと言っているが、Bという情報が自然と伝わったりする。
文字のみだと、(作品として練ったものでなく、使い捨ての道具としてのコトバであればあるほど)、
額面のみしかそこには存在しないと私は割り切っている。
というか、自分自身が、額面のみしかわからないように制御する部分がある。
そしてその事が存外に自分の神経を摩耗させることがある。
その挙句、疲れ果てて
「黙っているべきなのだ。」
「ルーターの電源を引っこ抜いてしまえ。」
「携帯もどこかに埋めてしまえ。」
セッションをすべて切断し、シャットダウンせよ・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・本気でそう思うことがある。
なんだか、とても息苦しいのだ。
私が心の底で求めているつながりは
非言語部分なのだろう。
だが、それは残念ながら得られないと諦めている。
私が詩を書くとき、それはコトバによりコトバではあらわせないものを表そうとするときだ。
ただ、それはとても抽象的なつながりは生み出しえても
皮膚感覚のような原始的なつながりは生み出さない宿命だ。
私が渇望しているのは、もっと生物としての根源的な部分なのだろうか?
それが、この数年繰り返し私の脳裏に浮かぶ問いだ。
器用に距離を上手にとって、
人と触れ合わないように注意しながら、「擬似ふれあい」を演出することは下手ではない。
それが擬似ふれあいであることも十分に認識して、そこにいらぬ幻想を持つこともない。
なんだか、やけに乾いているところがあるのだ。
諦めているのか、何なのか。
世の中には、それを「つながりがある」と感じられる人々もいるのだろう。
それは単なる社交辞令であり、場の繋がりなのだ。
またこちらも、それ以上踏み込まれることは望んでいない。
というか、一方的にこちらに勝手な思い込みを持たれて、ずかずか迫ってくる人は山ほどいたから、
いい加減学習し、防御するすべを身につけようと思ったというのもある。
実際に触れるまで、自分がそれを渇望していたことにすら気づかない何か。
気づいた時には、もう手の届かないところに取り上げられてしまう何か。
まるで夏の日の陽炎か逃げ水のように。
谷川俊太郎の若い時の詩の一節を思い出す。
からだの中に
ああからだの中に
私をあなたにむすぶ血と肉があり
人はそれ故にこんなにも
ひとりひとりだ
からだの中に
楽器にすがりつくように練習する。 真っ黒な宇宙にひとりきりである。
そうパワーは続かないのだが、何もしないよりは救われる。
「詩と言葉」 更新しました
(まあ いつも疲れている
とくに この数年)
人に疲れる
自分に疲れる
何よりも「言葉」に疲れる
直接的または間接的に 人とやりとりするための「言葉」に。
そういう時は、沈黙して、バックエンドで目をつぶっているべきなのだと思う。
思うのだが。
そのような種類の言葉は自分の心を蝕み、消耗させてゆくとわかっているのだから。
それなのに半ば神経症的に、脊髄反射でまた言葉を発する。
そしてそのあとに
「黙っていればよかったのだ、黙っていれば」
と唇を噛む。
ネットでの言葉のやり取りに足を突っ込んでから何年だろう?
アナログモデムのBBS時代からだから20年はゆうに経っているはずだ。
それ以前とそれ以降で、自分にとって色々なことが変わった。
精神的には、あまり良くない方に変わったかもしれないと、最近は思う。
リアルで対面:音声と非言語情報(表情、ジェスチャー、視線etc)
↓
電話(音声のみ)
↓
ネット(文字のみ)
下へ行くほど、余計な神経を使う。
それに原則として、文字にした部分のみしか、情報のやりとりがない。
こちらが与えようとした情報のみを与え、
相手が返そうとした情報のみが届く。
リアルで対面しているときは、本人の制御を逃れた情報が流出する。
言葉ではAと言っているが、Bという情報が自然と伝わったりする。
文字のみだと、(作品として練ったものでなく、使い捨ての道具としてのコトバであればあるほど)、
額面のみしかそこには存在しないと私は割り切っている。
というか、自分自身が、額面のみしかわからないように制御する部分がある。
そしてその事が存外に自分の神経を摩耗させることがある。
その挙句、疲れ果てて
「黙っているべきなのだ。」
「ルーターの電源を引っこ抜いてしまえ。」
「携帯もどこかに埋めてしまえ。」
セッションをすべて切断し、シャットダウンせよ・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・本気でそう思うことがある。
なんだか、とても息苦しいのだ。
私が心の底で求めているつながりは
非言語部分なのだろう。
だが、それは残念ながら得られないと諦めている。
私が詩を書くとき、それはコトバによりコトバではあらわせないものを表そうとするときだ。
ただ、それはとても抽象的なつながりは生み出しえても
皮膚感覚のような原始的なつながりは生み出さない宿命だ。
私が渇望しているのは、もっと生物としての根源的な部分なのだろうか?
それが、この数年繰り返し私の脳裏に浮かぶ問いだ。
器用に距離を上手にとって、
人と触れ合わないように注意しながら、「擬似ふれあい」を演出することは下手ではない。
それが擬似ふれあいであることも十分に認識して、そこにいらぬ幻想を持つこともない。
なんだか、やけに乾いているところがあるのだ。
諦めているのか、何なのか。
世の中には、それを「つながりがある」と感じられる人々もいるのだろう。
それは単なる社交辞令であり、場の繋がりなのだ。
またこちらも、それ以上踏み込まれることは望んでいない。
というか、一方的にこちらに勝手な思い込みを持たれて、ずかずか迫ってくる人は山ほどいたから、
いい加減学習し、防御するすべを身につけようと思ったというのもある。
実際に触れるまで、自分がそれを渇望していたことにすら気づかない何か。
気づいた時には、もう手の届かないところに取り上げられてしまう何か。
まるで夏の日の陽炎か逃げ水のように。
谷川俊太郎の若い時の詩の一節を思い出す。
からだの中に
ああからだの中に
私をあなたにむすぶ血と肉があり
人はそれ故にこんなにも
ひとりひとりだ
からだの中に
楽器にすがりつくように練習する。 真っ黒な宇宙にひとりきりである。
そうパワーは続かないのだが、何もしないよりは救われる。
「詩と言葉」 更新しました
言葉メモ:谷川俊太郎の詩から
言葉からこぼれ落ちたもの
言葉からあふれ出たもの
言葉をかたくなに拒んだもの
言葉が触れることも出来なかったもの
言葉が殺したもの
庭を見つめる <谷川俊太郎>より抜粋
鳥は空を名づけない
鳥は空を飛ぶだけだ
鳥は虫を名づけない
鳥は虫を食べるだけだ
鳥は愛を名づけない
鳥はただふたりで生きてゆくだけだ
鳥 <谷川俊太郎>より抜粋
飛行機はまるで空をはずかしめようとするかのように
空の背中までもあばいてゆく
そして空のすべてを見た時に
人は空を殺してしまうのだ
飛行機が空を切って傷つけたあとを
鳥がそのやさしい翼でいやしている
鳥は空の嘘を知らない
しかしそれ故にこそ空は鳥のためにある
空の嘘 <谷川俊太郎>より抜粋
被災地に残されたペットのその後…
原発事故から1年半…警戒区域で見捨てられ天国へ行ったペットたちのショッキングな写真集…
かなりショッキングです(涙)。
視聴注意
私は 冒頭2分で崩壊しました・・
今なお500の犬と2000の猫が隠れ暮らしているといいます
…救いたい。
自分の大切なこの子たち(猫)と災害で引き裂かれ、行方がわからなくなったらと想像したたけで耐えられない。 そのあと、こんなことになるのを想像すると発狂しそう。
留守中に大地震が起こって、猫がパニックで外に行ってしまったとか、色々ね・・
マイクロチップは埋め込むべきかもしれない
動物連れの人が入れる避難所 はわずかだろう。
私は動物を見捨てて避難しろと言われたら、体にロープくくりつけてでも絶対に応じない。
幸い一戸建てだから、テントででも寝泊まりできる。 車で暮らしてもいい。
行政が何を言ってきても、猫と一緒でなければ、そのままそこで一緒に死んでやろうと思う。
かなりショッキングです(涙)。
視聴注意
私は 冒頭2分で崩壊しました・・
今なお500の犬と2000の猫が隠れ暮らしているといいます
…救いたい。
自分の大切なこの子たち(猫)と災害で引き裂かれ、行方がわからなくなったらと想像したたけで耐えられない。 そのあと、こんなことになるのを想像すると発狂しそう。
留守中に大地震が起こって、猫がパニックで外に行ってしまったとか、色々ね・・
マイクロチップは埋め込むべきかもしれない
動物連れの人が入れる避難所 はわずかだろう。
私は動物を見捨てて避難しろと言われたら、体にロープくくりつけてでも絶対に応じない。
幸い一戸建てだから、テントででも寝泊まりできる。 車で暮らしてもいい。
行政が何を言ってきても、猫と一緒でなければ、そのままそこで一緒に死んでやろうと思う。