失敗は失敗のもと...... | 京都伏見 ぶちかまし超・次郎らーめん

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コミックに出てくるような劇画風、エンターテイメント系らーめん屋を目指すハジケタ馬鹿な親爺が書いているブログ。56の歳になるまで飲食関係の仕事など全く無し!....なのに飲食をはじめる大バカ者の日記です。他人の不幸は面白いぞ!潰れるのが楽しみなら読むべし!

毎度おおきに! 京都伏見ぶちかまし超次郎らーめん でございます。
今回は「失敗は、失敗のもと」みたいなお話をしてしてみたいとおもいます。

こんなテーマ投稿をしたいと思いましたのは「コバさん」と云う方の、熱い(我が事の様に)、忠言コメントに触発されたものです。

「失敗は、失敗のもと」??????
「おっさん、それを云うんなら”失敗は、成功のもと”と違うんかい」と云われそうなんですが.......。

いえいえ、そうではなく「失敗は、失敗のもと」なんです。

私だけなのかもしれませんが、人生振返って見ると同じ様な間違いを繰り返し、繰り返し起こしているんですよね。人間が持って生まれた行動特性とか、思考特性とかといった部分の事を言いたいのですが.....

分かってもらえるでしょうかね?
「そらお前だけやろう。普通の人間はそんな事は無いでー」と云われるのかもしれませんが?

私は、昭和の人間ですから例えが旧いのですが、植木等さんってコメディアンが歌った歌詞の一節「分かっちゃいるけど、止められない」と云う様な感じの事なんです。

「ここでは、折れんとあかん」
「ここは、譲らなあかん」
「こんな時は、逃げたらあかん」
「人に尽くす」
「謙虚になれない」

等など...

後になって考えてみると「失敗したなあ....あの時、ああしてれば」と考える様な事といいますと、決まって「失敗は、失敗のもと」見たいな失敗なんです。

そんな自分の「繰り返すだろう失敗」を未然に防ぐ手段としては二つ方法があります。

一つは、自分の行動特性、思考特性と云うものを十分に理解しておくことです。
しかし、知っておくだけでは、愚かな自分だけでは、過ちの修正はほとんど出来ません。(私の経験では.....アホなんで)

そこで、必要なってくるのが良き助言者、あるいは忠臣を自分の廻りに置く必要がでてきます。

更に必要なのが、周囲から忠告や忠言をしてもらえる様に、平素から人の意見を受け入れる姿勢を、周囲に示しておく必要があります。

歳を負う毎に「耳の痛い事を云ってくれる人」が、だんだんと少なくなってきます。

それは、「俺には、経験がある、キャリアがある」というような思い上がりが、己の行動の端々に出てくるんですね。

そうすると、徐々に

「あの、おっさんには何を言うてもあかんで....頭が固い! ほっとけ」

てな、具合になってしまうんです。
そうなったら、ほんまに終わりなんですね。どんどん周囲が離れて行ってしまう。

歳を負う毎に「柔軟性を保つ」ことが、本当に大切になってきます。

「柔軟性を保つ」には、積極的に、若い人、広く社会とコミュニケーションを図って行く事が必要不可欠ではないかと考える今日この頃でございます。

コバさん、色々とご助言ありがとうございました。心から感謝致しております。

今回は、少し長くなりましたね。
この辺で失礼いたします。 さようなら、さようなら