「 あー、人生、積んだわ。 」

 

 

 

 

2002年7月。14歳の夏。

 

 

 

 

蒸し暑い快晴の日に、

私は病院の屋上に立っていた。

 

 

 

 

右目の視野が突然消えて、

入院になった時は

「 学校サボれてラッキー 」

くらいにしか思ってなかった。

 

 

 

 

状況は思ったよりは悪く、

私の病気は「難病」だった。

 

 

 

 

「 根本的に治す方法は今のところ

 ないです。 」

 

「 手足が動かなくなったり、

 喋れなくなったり、失明する

 可能性もあります。 」

 

 

 

 

そうなるとも限らないけど、

そうならないとも限らない。

 

 

 

 

幼い頃から成績は優秀で、

学年で一番を取ることもあったり、

友達ともうまくやれる性格で、

 

 

 

 

このままうまく生き続ければ

そこそこの人生を送れると

思い込んでいた矢先だった。

 

 

 

 

“ 将来 ”という言葉が、

こんなに真っ黒だと思った

時期はなかった。

 

 

 

 

こんなに周りに気を使いまくって

いい子でいたのに、←笑

なぜ、私だけこんな目に会うん

だろう。

 

 

 

 

ふと、屋上から下を覗き込んだ。

 

死んだ方が楽なんじゃないかと

真剣に考えた。

 

 

 

 

その時、風とともに、声が聞こえた。

 

 

 

 

「 まだやりたいことやって

 ないんじゃない?

 このまま死んで本当にいいの? 」

 

 

 

 

不思議な体験だった。

入院して、初めて涙が出た。

 

 

 

 

そうか、私、まだ生きなきゃ。

 

 

 

 

その時に決めたこと。

① 一番好きな人と結婚する

② 社長になってお金持ちになる

 

 

 

 

14歳の私にとっては、

これが自由への切符だと思った。

 

 

 

就職ではなく、社長だったのは

 

 

 

 

お金持ちになりたいと15歳年上の

兄に相談した時に

ベンチャー企業の社長か

大手企業の役員レベルだと

言われたのと、

 

 

 

 

私の身体が動かなくなった時に

社員では働けないと思ったから

だった。

 

 

 

 

中3の秋、学校に戻った時

人に合わせることを辞めたと

いうか、

人とうまく喋れなくなった私は

一気に友達がいなくなった。

 

 

 

 

この時、ずっと私のそばにいて

くれた友人が何人かいた。

 

 

 

 

大切な人は、必ず残るんだと

感じたと同時に、ずっと大切に

しようと思った。

 

 

 

 

山本芽生(めい)。

1988年。静岡のど田舎で

待望の長女として生まれた。

 

 

 

 

15歳と14歳離れた兄が2人。

雛人形で一部屋占領されるくらい

親戚中に生誕を喜ばれた。

 

 

 

 

両親は共働きで、幼い頃は

祖母に溺愛されながら育った。

 

 

 

 

中3の時に、突然の難病で

右目が見えなくなる

(今は見える)

 

 

 

 

人生はここから一変。

 

人の言うことを聞けなくなった

代わりに、自分で考えて行動する

癖はこの頃からついたのだと思う。

 

 

 

 

当時付き合っていた彼氏と

遠距離したくないという理由で

地元の管理栄養士養成の大学へ。

 

 

 

 

そこで、大学3年まではバイトに

明け暮れほとんど学校にいかな

かった私が、

 

 

 

 

遺伝子工学、腸内細菌楽に魅了

され、大学院まで進学することに

なる。

 

 

 

 

偶然にも、私の「 難病 」と

腸内細菌が密接に関連してると

いうことを知り、

3年間は本当にずっと実験に

明け暮れるリケジョだった。

 

 

 

 

ある程度研究の世界に満足し、

地元の食品メーカーへ就職。

 

 

 

 

元々経営を勉強するのに小さめの

会社の方がわかりやすいだろう

入ったはいいものの、

 

 

 

結構な激務とブラックな労働環境

の中で、かなり精神的に揉まれて

いった。

 

 

 

 

同期の中では仕事ができる方

だったので、将来を期待される言葉

をかけられることに

徐々に不快感を覚えた。

 

 

 

 

「 ずっとここにはいなくない 」

 

 

 

 

就職して1年後には、

18歳から付き合っていた彼と

結婚。

 

 

 

 

 

そんな中、

ある日、他部署の課長に言われた

一言で、吹っ切れた。

 

 

 

 

「めーちゃん、仕事を楽しいもの

だと思ってない?勘違いすんなよ。」

 

 

 

 

ここにいたらやばいなと

感覚的に思った。

 

 

 

 

あまりにショックだったのか、

結婚したての家に帰って

旦那さんを見た瞬間に

涙が止まらなくなった。

 

 

 

 

「 仕事、辞めたい・・・ 」

「 そんなに嫌なら辞めたら? 」

 

 

 

 

晴れて専業主婦になったが、

この仕事が私にとって一番

向いてないものだと2ヶ月目

からわかった。

 

 

 

家計の整理や、食費の管理、

保険の仕組みを学び適正な保険を選び、

掃除・料理・洗濯の効率化などなど

全ての仕組み化はたった1ヶ月で

終わり、、、

 

 

 

つまり、

まあ、暇だった。

 

 

 

図書館に行って本を借りまくった。

 

 

 

ある社長の本に

「最初、簿記を取った」と記載されて

いたのを見て、

暇だったので1ヶ月勉強して日商簿記2級

をとった。

 

 

 

ここまでで、終わったらまた暇になって

なんでもいいから働きたい!と

税理士事務所の事務にエントリーするも

全て不採用。

 

 

 

なんか、間違ってるんだな。

そう思って、ふと思いだす。

 

 

 

私、管理栄養士だった!w

 

 

 

 

大学の先生にメールをした。

「病院で働くには、どうしたらいいか

お話を聞かせてください!」

 

 

 

そこからあれよあれよと2日で

病院の臨時職員の採用が決まる

 

 

 

 

偶然にも、そこは、14歳で私が

入院していた病院だった。

 

 

 

 

ラッキーなことに、調理もない。

栄養指導、栄養管理という仕事。

(調理のある仕事は1社目で

こりごりだった。)

 

 

 

ここで、3年半働くことになる。

 

 

 

はっきり言って、

こんなに楽しくやりがいのある仕事は

ないんじゃないかというくらい

熱中した。

 

 

 

目の前の患者さんが、どうしたら

もっと良くなるか?

 

 

 

毎日勉強して、毎日改善して、

臨時職員にも関わらずいろんな

仕事をさせてもらった。

 

 

 

そんな中、たまたまメルマガを

とっていた方が

起業家とその卵の集まる

オンラインサロン を始めると

いう話が飛び込んできた。

 

 

 

 

「いつか起業したいと思ってる

から、一回覗いてみようかな」

 

 

 

 

そんな気持ち入った私は、

どんどんのめり込んでいった。

 

 

 

 

そこには、楽しそうに働く

大人がいっぱいいた。

 

 

 

 

病院の患者さんとは真逆に

見えた。

 

 

 

 

「もっとこれをしておけば

よかった」

 

そんな言葉を吐きながら、

死を待つ人を見るのが辛かった。

 

 

 

 

1週間前は仲良く喋っていた方が

急にいなくなってしまうのは

悲しかった。

 

 

 

 

ふと、14歳の記憶が蘇る。

 

 

 

 

「 まだやりたいことやって

 ないんじゃない?

 このまま死んで本当にいいの? 」

 

 

 

 

私は、シンプルに、

「 楽しく生きる技術 」を伝えたい

そう思った。

 

 

 

 

起業の道へ進んだはいいものの、

何をしていいやら全くわからな

かったので、コンサルタントを

つけて始めた。

 

 

 

とにかく、夢中だったが、

とにかく、怖かった。

 

 

 

 

この「怖さ」がなんなのか?

私にはさっぱりわからないまま

無視してビジネスを続けていた。

 

 

 

 

半年後、

腸内細菌・生化学マニアの私が

作った栄養講座で

40万円以上の売上が

経った時思った。

 

 

 

 

「あ、やばい。こんなに簡単

だったんだ・・・」

 

 

 

そう思いながらも、ずっと抱えて

いた違和感が無視できないレベルに

なっていた。

 

 

 

 

「このまま、ずっとこの怖さを

抱えてビジネスはできない・・・」

 

 

 

 

お客様と関わる時間だけが

私の癒しで、それ以外の時間は

ずっと何かに怯える日々だった。

 

 

 

そんな時、潜在意識という言葉

に出会った。

 

 

 

いや。実はもう少し前に出会っては

いたが、怪しすぎてみようとはして

いなかった。

 

 

 

 

紐解かれていく、

私の中の真理。

 

 

 

 

3ヶ月ほど、売上を立てることを

辞めて、向き合ったこの理論。

 

 

 

 

そして、いろんな人との出会いで

外されていった私の中の思い込み。

 

 

 

 

起業をして1年後の2018年9月。

 

 

 

心も身体もすっかり軽い状態で

初めて月商150万円を超え、

2年目の終わりには年商1億

達成していた。

 

 

 

 

ただただ幸せを感じて、山手線で

涙することもあった。w

(ただの不審者w)

 

 

 

 

封印されていた、私の

スピリチュアルな部分も解放され

(てか、そんな力があるとは

知らなかったがw)

 

 

 

 

お客様の成果もグングン

伸びる結果となった。

 

 

 

 

□ 1週間で-4kgのダイエットに成功

□ 高校生の時からの赤ら顔が改善した30代ママ

□ 便秘薬を手放せた女性

□ 自分のペースで

  月商100万超のクライアント比率50%超

 

 

 

 

「関わる人の楽しい時間を増やしたい」

「死ぬ前に、「楽しかったな〜」って

人を増やしたい」

 

 

 

 

そんな思いで生み出してきた商品が

ここまで手にとってもらえ、

それを体現してくださるお客様が

たくさんいる「今」ができたことは

 

 

 

スタート地点の私もびっくりする

結果だと思う。

 

 

 

「潜在意識」x「ビジネス」x「お金」

この方程式を解くことに

躍起になった3年間。

 

 

 

 

たいして頭も良くない、

時給1040円の田舎の管理栄養士から

経営者への転身の秘密。

 

 

 

 

凡人の非常識な成幸法則

 

 

 

 

これまでも、これからも

「精神的にも物質的にも

豊かに楽しんで生きる技術」を

 

このブログ、オンラインサロン、

講座、個別のコンサルでお伝え

していく予定だ。

 

 

 

 

これを読んでいるあなたが

どんなに辛いシチュエーションでも

どんなにつまらない日々を送って

いても、

どんなに自分に自信がなくても

 

 

 

 

大丈夫🙆‍♀️

 

 

 

 

生きている誰もが

幸せで豊かな方向にしか流れない

人生の中を生きているから。

 

 

 

 

最後に、

ここまで元気に私を育ててくれた

両親と、いつも支えてくれる夫、

そして、信じてついてきてくれる

大切な友人とクライアントさんに

感謝いたします。

 

 

 

 

 

最後まで、お読みいただき、

ありがとうございました✨