今日は、芝公園にある人権プラザで行われた勉強会に参加してきました。

 

テーマは、「インターネットといじめの問題」。

 

登壇者は、御本人もネットの被害者であるスマイリーキクチさん。

 

1999年のとある日から、地獄は始まったそうです。

足立区で起きた残忍の事件。

主犯格と名前も年齢も似ているからという理由で、ネットに面白半分に書き込まれ、そこからあれよあれよと言う間に、デマが広がる。

 

つい前日、「ガラケー女」という事件も全く同じで、背格好や、着ていた洋服、犯人をフォローしていたという理由から、やってもいないのに、犯人にされ、他者から暴言をはかれる…。

 

そんな怖いことありますか?今回の、ガラケーの方は、すぐに間違いだったと訂正されましたが、それでもコメントには、「死ね」「消えろ!」などの誹謗中傷が書かれていました。

 

スマイリーさんも同様に、消しては書かれを繰り返し、精神的にも参り、自分で解決の糸口が見つからないこともあり、警察署を訪れたそうです。

 

しかし、その時に通された部署が、スマイリーさんの事件と全く管轄の違う部署だったので、軽くあしらわられ…なんの解決にも至らなかったそう。

 

更に、「事件が起きたら動きます」となんともびっくりな発言が飛び出してきたそうです。

 

私が更にびっくりしたのは、根拠のない話なのに、世間が本当だと信じてしまうこと。

2ちゃんねるなんてひどいもんで、「消してください!」と頼んでも、「では、それが本当かどうか証拠を持ってきたら消します」と平気で言うことも、私は考えられません。

以前、私もペアーズというアプリで顔を勝手に使われて、被害を受けました。そこで、その会社に「消してくれ!」と直談判したら、「本当に本人かどうかわからないから、免許証と自分の写真を送れ!」とか言われて、「は?」となったことを思い出しました。

 

スマイリーさんの凄いところは、誹謗中傷を受けても、「死ぬんじゃない!生きよう!」と思い続けたことです。

私なら、勝手に犯人にされて…誹謗中傷を受けたら、心が折れて消えたくなってしまいます。

「白ゆき姫殺人事件」という映画がありましたが、まさにそれが現実にあるんですよね。

 

警察も相談に乗ってくれない、弁護士に相談しても無駄。

 

そこに、さらなる悲劇が…

 

なんと、テレビでもコメンテーターをしていた警察上がりの方が、著者の中で、デマを本当だと思い込み、スマイリーさんを匂わせるようなことを、本の中で書いたそうです。

そこから、更に拍車がかかり、スマイリーさんの恋人にも被害を加えると脅迫され…

 

「本当にダメだ…」

 

と思い、警察に行ったときの一言が…

 

「じゃあ、被害が出たら動くから。」

 

で終わりだったということ。

 

びっくりですよね。

 

そんなこんなで、10年が経ってようやく、スマイリーさんの思いに共感をしてくれる警察の方とめぐりあい、事件として動いてくれることとなったそうです。

 

ブログに、事件の関係性がないことや今後の対応などを伝えたのですが、それでも誹謗を行う人が多くいて、結果は、一斉検挙となったそうです。

 

しかし怖いのは、ほとんどの人がいい仕事についているような方や、見た目が普通の人ばかり。

 

そして、誹謗を書き込みすれば、必ず個人が特定されます。

 

もう一度いいます。

 

特定は可能です。

 

ですから、書く時に、本当にそれを書いていいのかを考える。

 

感情に流されることをしない。

 

これが大切なんですよね。

 

そして、被害を受けている側は、

 

・証拠を集める

 

・挑発しない

 

ことが大切なようです。

 

そんなスマイリーさんも、今では幸せなのかとおもいきや…今も、自宅のポストには、警察の方から、毎日見回りの報告書が届くそうです。今後もこれは続くであろうと話されていて、一度被害者になると、その傷は消えることはなくて、ずっと被害者なんだなぁ…と感じました。

 

言葉は、人を喜ばせます。しかし、人を悲しみに追いやることもできます。

 

だから、気をつけていかないといけないんですよね。

 

最後には、昨今のスマホを使った事例を上げて、話をしてくださいました。



 

スマホは、便利で生活の一部ではあるが、言葉と同じで、使い方を間違えると、一気に反対の世界へ持っていかれます。

 

中高生は、「ノリ」でふざけることしますが、このノリこそが本当に命取りにもなる。

 

正しいことを言えば、しらけさせたことが原因でイジメに合う。

 

だから、イヤイヤ付き合う。

 

そこで、事故や事件に巻き込まれる…。

 

「嫌なものは嫌だ」

 

それを言葉や態度に出すことが正しいことだとわかっていても、日本の文化は、「我慢する」「みんなとその場の空気を合わせる」これがルールなんだとなっています。

 

確かに、我慢することは必要です。合わせることも大切。

 

しかし、人が苦しんでいるの目の前にしている状況で、その気持を我慢したり、場の空気を合わせることは正しいことでしょうか?

 

私は違うと思います。

 

それは、罪を犯しているのと同じ。自分が主犯格でなくても、同罪です。

 

その使い方が少しでも変化すれば、イジメもなくなると思うんだけど。

 

人間には、「理性」があるのですから。

 

私がここ数年感じているのが、子どもを裸にしてその写真をインスタにあげている人が多いことです。

 

子どもはその裸を「載せて欲しい!」と頼んでいますか?大人が、勝手に判断して載せていませんか?「私の子どもなんだから!なにしても自由でしょ?」と返答が返ってきますが、子どもは親の所有物なのでしょうか?

 

子どもは、生まれながらに「人権」をもって育っています。

そこをきちんと尊重してあげて欲しい。

 

また、スマイリーさんが話していたのですが、

 

「子どもに対して、スマホの前でも裸になってはいけない。と教えていってください。」

 

という部分は、本当に共感できました。

 

後半は、世田谷一家殺人事件で、残された遺族である入江さんと、スマイリーさん、そして山崎さんで、トークセッションが行われました。

 

テーマは、「イジメ」について。

 

ここでは、印象的だったのはやはりネットでのコミュニティーが当たり前になっている時代だからこそ、アナログですが、人と人が寄り添ったり声を掛け合うことが改めて大切なのではないか?という話です。

 

今は何でもAIやICTの時代ですが、表情を読み取れるのは、やはり「人」だと私は思います。普段の行動を観察して、少しでも異なることがあれば、声を掛ける。

 

保育の現場でも、おたより帳で保護者の方々とやり取りをしている中で、いつもと文字の雰囲気が違えば、声をかけていくようにしました。そこで、虐待を未然に防いだこともあります。

 

この点を考えると、やっぱり大切なのはコミュニケーションなんだなぁ…と。

 

そして、生きていることの素晴らしさを伝えていくこと。

 

「世の中が完璧を求めすぎるから、個性を受け入れることができない。それが理由で差別が始まる。」

 

入江さんの、

 

「シンパシーとエンパシー」のお話の中にあった、

 

・相手の思いに立つこと

 

・苦しみを吐き出す権利

 

・哲学とは普遍的な理解である

 

ということや、

 

「悲しんでいい」「助けを求めていい」

 

悲しみを封じ込めることが、美徳ではなく、思いを伝えることが、美徳となるように私達は、変えていかなければならないんだなぁ…と感じました。

 

山崎さんも、

 

「子どもに、「尊厳」や「法」を教えるのは難しいが、それはそれでいい。子どもが興味のないことを尊重していくことも大切であり、何よりも大切なのは、家庭で子どもたちに対して、「尊厳」をしていくことが重要なのではないか?」

 

と話されていました。

 

長い夏休みが終わると、また学校へと行かなければならない日々がやってきます。

 

学校へ行くことが楽しみな子はどのくらいいるでしょうか?

 

私は、イジメに合っていたので、本当に行くのが苦痛でした。

 

9月になると自殺をする子は増えます。

 

どこかで、今の世の中に諦めを持ち、きっかけさえあれば、この世界から消えることをためらわずに実行します。

 

私達ができることは、子どもたち一人ひとりに対して、

 

「生きていていてくれてありがとう」

 

そう、声をかけ続けていくこと。

 

生きていることに対して、希望や自信をもってもらうこと。

 

だってそう思いませんか?

 

子どもは、「宝物」なのですから。

 

きくちさん、入江さん、そして山崎さん、本当にありがとうございました。

 

帰りがけに、新宿で「こども六法」を購入しようと、本屋さんを歩き回りましたが、どこも品切れ。

 

ダメ元で、最後に入った本屋さんで、ラスト1冊を無事に手に入れました。

 

子どもたちや、保護者の皆さんにもぜひ、おすすめします!!