こんばんは。
河西です。
さて、昨日は母の誕生日でした。
母と私の出会いは、遡ること37年前でしょうか。
私は、医師から
「女の子が生まれる!」
と言われていたようで、その当時は、創業100年近い会社を経営していた、祖父や父は、生まれてきた子どもが、予想外の男の子で大変喜んだそうです。
しかし!
姉のほうが男勝りで、小さい頃からいつも姉に助けてもらっていました。
今もですが。笑
母は、資生堂の美容学校卒で、ファッションにはとても敏感な方だったと思います。
保育園時代は、柄☓柄のセットアップを着て登園し、田舎ですから、周りはTシャツにデニムという出で立ちの多い中で、かなり浮いた存在だったと思います。
現に、
「お前の服装なんだよ!!」
なんて言われた経験もありました。
そして、小学校→中学校へ進んだのですが、
小学校高学年で、何故か身体が巨大化し…
母は、食事には気を使っていた方だったので、どうして子どもがこんなにブクブク太るのか…と歯止めをかけたかったに違いありません。
私自身、そんなに太っていた意識はなかったのですが、
親戚から
「よくその身体を、その細い足首で支えられるよね」
と言われていたので、相当…だったのでしょうね。
まぁ、いじめられました。
容姿、そして声が高かったものですから声を含め。
自分を強く見せる為に努力もしましたが、田舎というのは
「みんなと一緒」
「男はこうであるべき!」
みたいなキヅナが強く、小学3年から中学時代は以前のブログにも書きましたが、
https://s.ameblo.jp/chloe69/entry-12125788467.html
暗黒期だった気がします。
まぁ、よくここまで生きてこれたなぁ…という。
中でも、私をイジメていた?からかっていた?子が、駅でたまたまあったのですが、隣りにいるのが母と知らず
「こいつ、声が高くて気持ち悪いんだぜ〜」
「ほら、早く声出してみろよ!」
と、いつものようにからかいだし…
母がブチ切れるという。
そして、私がそれを宥めるという…笑
「悔しくないの!!??」
そう問い詰められましたが、私は人生の半分を諦めていたので、悔しくもなんともなかったのと、そのときお守りにして読んでいたのが、室井滋さんの「ムカつくぜ!」でした。
室井さんの本は、自分の心にスッと入ってくる内容で、世の中は広いんだ!こんな狭い世界で、窮屈に生きることはない!と思わせてくれた方でした。きっと、この本と出会えていなかったら、今はこの世にいなかったかも…。
そんなこんなで、高校に入学して、高校では何故か激ヤセをして…そこから、自分の着たい服を着られるようになりました。
当時は、派手な服が全盛期。
ありとあらゆる服を着て、何故か雑誌にも載って…更に、NHKや民法にも出演して…。
と面白い世界が広がっていきました。
メイクをしたのも高校生だったのでは?髪色も、金から始まり青、紫…ほとんどやった気がします。
今では、頭皮が心配…ですが(笑)
父は、そんな自分を「変わり者」と思っていたかもしれなせんが、母は私の唯一の理解者でした。
眉を細くしようとも…
竹の子族のような衣装を着ようとも…
アイラインを引こうとも…
「自分らしいのが良いんじゃない?犯罪起こしているわけではないし」
と背中を押してくれました。
社会に出て、悩みや愚痴を話せたのも母。
「辛いなぁ…」
と話せば、
「辛いなら辞めれば?」
と、頑張らなくても良いことを教えてくれました。
頑張らなくてもいいと思えば、辛いこともそこまで考えずに済むんですよね。
20代後半は、母と毎年のように沖縄へ出かけていました。
色々な島巡りをして、自転車で走り回って…
母も私と同じで、引き寄せが凄く、島でシュノーケルを楽しんでいる時に、母が居なくなり、私は、いつものことか…というように、だらだらとしていたら、なんとその横で、地元のおばぁと談笑している母が。
あまりにも、場に溶け込みすぎていてわからなかった自分…。
「何話してたの?」
と聞くと、
「あぁ、なんか方言ばかりでわからなかったけど、『私の土地の半分をあなたに譲りたい』って言われたのよ」と。
土地を譲りたいって、絶対に怪しい!と翌日取引の約束をした母を、半ば無理やり引き止めたんですが、調べてみたら本当に凄い地主さんだったと判明。
しかし、時すでに遅し…。
や、その他にも、たまたま入った洞窟に、ツボがたくさんあって、母が写真を撮ろうとしたら、シャッターが切れなかったり、「気味が悪い」と、普段は勝ち気な母が、言うので早々退散し、沖縄の友達に、その話をしたら、そのツボはなんと…
「骨壷」
だった…なんて話も。
極めつけは、宮古島でまだ、下島にまだ橋がかかってない頃…とある、洞窟内の水が溜まっているところで、泳いでる3人組に遭遇したのですが、私はその雰囲気が気味悪くて(というか、その洞窟に行くまでに、晴天が急に雷雲に変わり嫌な感じがした)、
「帰りましょ」
といったのですが、好奇心旺盛の母は
「いや!何してるかきいてくる!!」
と儀式の最中に、間に入り話を聞きに。
結果は、
「胎内の蘇りの儀式」
をしていたらしいのですが…。
「なんだ…」
とその内容を聞いてがっかりしていた母を横に、私は
「そんな儀式を邪魔して…しかし、興味がある。」
なんて思っていました。
で、翌日ですよ。
母と、ホテルのモーニングを食べに行くか、持ってきてもらうか…散々悩んだ挙句、目の前でシェフがオムレツを焼いてくれる…とうことに惹かれ、席に座り、何気なく横を向いたら…
「あっ!!!!!」
そうです。
横に居たのが、昨日儀式をしていた方々だったのです。。。
全く異なる場所で、出会った人と偶然に…。
これには、私も母もびっくりしました。
なんて旅を2013年まで続けた気がします。
母と二人きりになる機会は、妹が誕生してからそうなかったので、案外新鮮でたのしかった思い出があります。
また、どこかに生きたいと目論んではいます。
なんて、母との二人旅を話すと
「マザコン」
などと、言われますが、
「マザコンで結構!!!」
日本だけですよ、そういう言葉で親を大切にする気持ちを踏みにじるのは。
韓国やアメリカは、
「母を大切にすることは誇り」
と言われています。
保育の現場でも、お母さんと離れたくない子どもをよく見かけます。
離れられないというのは、しっかりとした親子関係が結ばれている証拠。
そこを理解するのとしないのでは大きく異なります。
実際に、私がアドバイスしている殆どは、自分が体験してきた、育ってきた環境の中で培ったことを話しています。
こうあるべき。
こうでないといけない。
そんな決まりは、通用しなくていいんだよ。
あなたは、あなたらしく。
これは、子どもだけでなく、お母さんたちにもその気持ちを込めて伝えています。
貴女は、貴女にしかできない子育てがある。
それでいいんですよ。
さて…今日は、話がそれにそれましたが…
ここまで育ててもらった母には本当に感謝です。
母も子も関係に終わりはありません。
いつだって、親は子どものことを考えています。
子どもは、親のことを思っています。
たとえどんな関係でも…それは一緒。
とにかく、これからも元気はつらつで健康な母でいてね。
そして、お父さんと末永くお幸せに!!
今年か、来年は「屋久島旅」いきましょう!!!

