天の父なる神様 

きょうも一日 こんな私を支えてくださって 感謝いたします

礼拝ん中で ポンコツな事を言いながらも 何とか守ってくださり

恥をかかんで済むようにって 私を助けてくださって ありがとうございました

 

 

神様

あなたは きょうの礼拝で 牧師先生のメッセージを通して 教えてくださいましたね

私らぁ一人ひとりは イエス様のからだの 一つ一つの大切な器官であること

その 一つ一つの部分が それぞれに尊ばれなアカンのんやってことを・・・ 

 

 

 

でも 神様・・・ 

私は時々 腹立たしいと思うことがあるんです

あなたも既に御存知のように 私は時々 一部の信徒に言われます

『あんたは要らん 僕が 私が この事やるから』

こっちは 一生けんめい 教会の中のことを頑張ろう 何か役に立ちたいと思って

何とかして 誰かが何かしてたら 手伝おうと思うのに

『せんでいい 退いて あんたは要らん』と 物事を断られる事がある

その事に気づいて 

「千寿さん 〇〇さんに断られるなんて悔しいね」と 

そう 声を掛けてくれる そんな心安い信仰の友も居るんですが・・・

 

 

うちの教会ん中で 特に動きが上手くて目立つ存在であればあるほど 

牧師先生に用事を頼まれたり 個人的に目をつけてもらったりする 

そんな強い存在の信徒は こんなふうに考えがちです

『自分が この教会を仕切っとる存在なんや 誇れる存在なんや』と

でも うまいこと 自分の気持ちを主張できんかったり 

教会ん中で あまり動けんような信徒は 強い信徒に影響されて 

自分が意見を述べたいと思ても 下手をすると知らん顔されて 従わざるを得んなってしまう

それが どんだけ 悔しいと感じる事でしょう

 

でも逆に 私やら 私と同じように 何か特定の弱さを持った信徒は

『せんでいい あんたは邪魔やから退いて』と 邪険にされたりするんです

 

 

ある日 私は ひとりの年配の男性信徒に 問われた事がありました

『なぁ 千寿さん おかしいと思わへんか 自分が偉いと思とるような者が居るなんて』って

その 偉いと思とるような者いうんが 教会ん中で 目をつけてもらってる 強い信徒です

そういう人は どんどん 教会ん中で用いられていって

『私は役に立っとるんや この教会は 私が居るから成り立っとるんや』なんて

神様 イエス様 牧師先生よりも 自分の方が もっと偉いかのように 勘違いしやすいんです

そんな存在の者が居るんを見て 私に問うてきた男性信徒は そう言われたんです

 

その時 私は 腹が立つ気持ちのままに つい 言うてしまいました

『この教会にはね。言いたかないけど 神様やら牧師先生よりも偉いと思とる 勘違い野郎が居る。

自分が この教会を仕切っとったら それで良いんや 自分が この群れを牛耳っとるんやって。

そう思とるような 威張りくさった人間が 何人が居てるんですよ』

って・・・

 

 

でも そのことを言うた時 男性信徒のほうも そうやなと 返事されました

牧師・目立って強い信徒が 人間的な思いで教会を動かすんやない 

教会のかしらは 神様 イエス様やのに 

イエス様より自分が偉いと思うとは何ごとやと そんな気持ちが きっと強かったんでしょう

 

 

神様・・・

聖書に書かれてるコリントの教会も 確かに 問題だらけの教会やって 言われてきました

しかも 非の打ちどころのない完璧な教会なんて どこにも ない

それも 頭では 解ってるつもりです

 

でも 神様 ほんまに おかしくないですか

誰もが高価で尊い存在やと神様に認められて

 キリストのからだの器官として共に居る信徒ん中に

必要のない存在の人なんか 誰も居らんはずや ありませんか

そやのに 要らん 足手まといや 退いてなんて言われる

そんな信徒が出てくるなんて あまりにも 悔しいやないですか

誰にも目を留めてもらわれへん 誰にも声を掛けてもらわれへん

苦しい事があっても 誰も祈ってくれえへん そんな悲しい事が あって たまりますか

 

 

確かに今 ブログを書いてる者ん中に 問題だらけの人間が居てて・・・

何を呟いても 問題を指摘しても どうしようもないような 堕落したキリスト者が居ります

 でも 神様が居られることも気がつかずに 自暴自棄になるというか 何というか

誰からも 目を留められんようになると どこまでも堕ちていくんですね

そのことを どれだけ 神様が悲しまれることでしょうか

でも その人間が あまりにも 神様から目を離してしもとるから

何より 神様に愛されてること 人々に助けられとることに 気づいてへんから

 

 

でも この世の中で 必要とされてない人間が居るとしたら

その人間は 何のために生まれてきたんでしょう 何のために存在してるんでしょう

明日 このブログを読んでくださっとる皆さんに ひとつの曲を送りたいと思ってます

私も ゴスペル教室で学んだ ほって みんなで共に歌うた あの曲です

 

誰ひとり 目を留めてくれんかっても 

神様は いっつも一人ひとりに 優しい目を注いでくださる

寂しい思いをしてる人 悲しい思いで居る人にも寄り添って 

愛してるよって言ってくださる

そんな神様の御愛を 多くの人に知ってほしいと思っています

どうか その曲が 多くの人の心に 深く刺さりますように

その曲を通して 私らぁ一人ひとりが 必要な存在として生かされた者やって事が

よう解るように お一人おひとりの心を ときほぐしてください

 

まだもう少し この夜を過ごします

この新しく与えられた一週間 あなたが与えてくださる時間を 大事に使うことが出来ますように

水曜日には メンタルクリニックに行き 夜の祈祷会に出席します

土曜日には 地元の老人ホームをお借りしての 自治会合同避難訓練に参加します

リーダーの方々 施設の方 御世話になる方々の言葉に しっかり耳を傾けられますように

 

 

また 神様 

このブログを読んでくださる お一人おひとりに この1週間 神様のお守りがありますように

あらゆる困難 あらゆる危険からも お守りくださいますように

どんなトラブルに出会うとしても 上手に問題解決することが出来ますように

また 感謝できる事があった時 それを 多くの人々と 分かち合うことが出来ますように

感謝できること 心から喜べるようなことが ひとつでも多く 与えられますように

 

 

こんな小さな者でも こうして祈ることを通して 役に立たして頂けることを感謝します

決して 上手に祈ったりは出来ませんが 

あなたは いつも 耳を傾けてくださいますから 心から 感謝いたします

 

あなたの恵みと祝福を 自分一人だけのものにしないで

今週も 多くの人々に 分け与えることの出来る者としてください

 

 

イエス様のお名前によって お祈りします アーメン