こんばんは。千寿です。

今夜は、かなり長い文になってしまいますけど・・・。

あなたにとって、内容が煩わしいと思われたら、ごめんなさいね。

もし、そう判断されたなら、どうぞスルーしてください。

でも、この記事で、一緒に何か考えてもらえたらと思ってるんで、あえて書かせてもらいますね。

 

私は、このブログでも、様々な場所に出向いても、

クリスチャンとして生きてて、教会に行ってる事を、公にさせてもらってます。

イエス様と出会って幸せ。愛されてると感じられて幸せ・・・。

そんな事を、口にしてる者です。

 

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でも・でもなんですよ・・・。私ね。

自覚できとるはずやのに、時々、自分で自分を追い詰めてしもて、苦しむ時があるんです。

甘えた考えやなって、皆さんに言われるかもしれんけど、正直に書きますね。

 

 

皆さんは、こんな気持ちになる時って、ありませんか。

私は、あの人よりマシや。あの人よりは、幸せな生き方をしとる。

あの人にだけは負けたない。自分を低く見られたない。認められたい。馬鹿にされたない。

私も常に、そういう醜い心と闘ってるんですよね。

皆の前では、クリスチャンになった・感謝やって言いもって、

そういう汚い心・醜い気持ちが、時々、自分の前に出てきたりするんですよ。

恥ずかしいなぁ・・・ほんまに。(苦笑)

 

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ほって、何より、私にとって苦しいんが・・・『・・・ねばならない』いう思い込み。

私自身、クリスチャンとして生きとるって、しっかり心で覚えとっても・・・、

時々、こんな思いに襲われることがあるんですよね。

「何で・・・いっつも私こうなんやろ。何で他の人と私って。こうも違うんやろ」って。

自分の通っとる教会ん中に、すごい完璧な人が居はって、牧師先生の指示にも、ちゃんと従える。

教会の会規に書かれとる事も全部わかるし、その通りに出来る。

何も批判するようなところが無いように見える、非の打ちどころのない人が、傍に居る。

でも、私は人より苦手な事も多いし、他の人と同じように付いていかれへんような性格も持ってて。

やさかい、他の人と自分との如何する事も出来んギャップに傷ついて、自己否定するんですよ。

他人の姿を見て羨ましがったり、『なんでやねん』って妬んだりもするし。
そういう影の自分と、ありのままの姿を認められん・・・、そんな偏屈な自分も居るんですよね。

 

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でも、そんな私と同じように・・・

ちょっとした弱さを持っとる人が、うちの教会ん中にも、何人か居てて。

特に、私自身の性格・個性を理解してくださる方から、こう言うて頂く時も、あったりするんです。

「他の人がどうやろうが人と自分を比べんでも良いんやで。千寿さんは、そのまんまで良いんよ。」

とかって・・・。

牧師先生からも『こういうところは気をつけたほうが良いよ』いうアドバイスを頂いたりとか。
 

 

ただ、こんな弱気なこと書いとったら、皆さんに言われそうやんね。

「千寿さん!クリスチャンやって言いながら・・・心の修業が足りとらんのと違いますか?」って。

確かに、そうやと認めざるを得ません。恥ずかしいんやけんね。

 

 

でも、人間ってね。どうしても、誰かと比べてしまうとこって、ありませんか。

私も、決して例外やないんですよ。

「あの人は・・・あんな事が出来るのに。何で私には出来いへんのやろ」

「あの人には、あんな優れた所があるのに。私は・・・きっと。良いとこなんて無いんやわ」って。

他の人の基準でモノを見てしまう自分に、嫌んなってしまう時があるんやんね。

 

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通ってる教会の皆さんやら、親しい信仰の先輩・友達とかにも、よう言われるんですよ。

「千寿ちゃん。自分で自分を縛りつけてへんか?」って。

私は私でしか生きられへんのに、自分と同世代の様々な人を見て、

「やっぱり自分は人よりも遅れとんやろなぁ」「自分の価値は他の人よりも低いんかもしれんな」

なんて・・・考えてしまう時があったりしてね。

教会ん中で、何か役に立ちたいって物事を手伝おうとしても、ある人には『要らん』って断られる。

そんな時、『ほ~。ほんな私は。教会ん中で必要とされてないんやな。もうエエわぃプンプンって。

そう私に言うた相手に対して腹を立てたり、憎んだりしてしまう。

ほんまは赦さなアカンのに、『腹立つな。アンタに偉そうに言われたないわ』って、カチンとくる。

そんな厭らしさが、心ん中に、あったりするんですよね。

そんな心の奥に潜んでる罪の性質を、自分の力では、如何する事も出来いひん。

情けないけど、これが私なんですよね。

自分の罪を、自分の力だけでは解決できんって思たからこそ、私は、イエス様に縋ったんですもん。

 

 

『古い自我はキリストと共に死んだ。

私はキリストと共に新しく生まれ変わった』

あの時の決心は、何処に行ったんや・・・。

なんて、時々、情けないわ、恥ずかしいわぁって、立ち止まったりするんですよね。


 

そんな事・・・今さら思わんでもエエねん。

自分らしく堂々としとったらエエねん。

そう思える事が、実際は、いちばんの理想なんやけど・・・、なかなか難しいもんでね。

だって、私は人間であって、けっして神様ではないんやから。

でも、それって、単なる開き直りやないかいって言われたら、返す言葉も、ないんやけど。(^-^;
「アナと雪の女王」で、「ありの~ままの~姿・・・見せるのよ」って歌詞が、あるやないですか。

ねばならないを捨てて、のびのび自由に生きられる。そんな自分になれたら・・・って。

そう思いますよね。


 

かなり長い呟きになってしまったけど・・・、最後まで付き合って下さった皆さんに感謝します。