綾部市って言うと、アンネのバラが有名なんです。
今年も咲いたっていうんで、アンネのバラの前で写真を撮らしてもらいました。
でも、何で、アンネのバラが綾部市と関係あるんや思いますか。
実はね・・・、バラの苗木が日本に初めてやってきたんが、1972年なんです。
そもそもは、綾部出身の故・大槻武二さんが創設したプロテスタントのキリスト教団、
『聖イエス会の活動』がきっかけ。
聖イエス会は、平和発信事業の一環として「しののめ合唱団」を結成して。
1971年に、演奏旅行に出かけたイスラエルのレストランで偶然、
『アンネの日記』で有名になったアンネ・フランクの父親、オットーさんと出会うたんですよ。
「アンネの日記」は、皆さんも、たぶん御存知やんね。
あれは、アンネ・フランクって人がナチスドイツの迫害を逃れるために、
父親のオットー・フランクやら母親らぁとオランダの隠れ家で生活しとったんやけど、
1944年、その存在が明らかになって、一家が収容所に送られるんやんね。
「アンネの日記」は、その隠れ家での生活を綴った話(日記)。
でも・・・アンネは、終戦の直前に収容所内で病死してしまう。15歳やったそうですよ。
アンネの死後、暫くして一家で、ただ一人生き残ったオットーさんが、
1947年にオランダで、「アンネの日記」を出版。
アンネのバラは、ベルギーの育種家デル・フォルゲさんが作り出した新種のバラで・・・。
デル・フォルゲは、このアンネのバラを、1960年、オットーさんに贈ったんですって。
つぼみの段階では赤く、花が咲くと最初はオレンジ、やがて花びらがピンクに縁取られて、
散る間際には赤に近い色に変化するんですよ。
で、話は戻るんやけど・・・。
大槻武二さんの娘で、合唱団の代表でもあった道子さんとオットーさんは、手紙で交流。
そして72年の冬に、オットーさんから、こんな手紙が届いたそうです。
アンネの理想と理念に対し深い理解を寄せて
下さるあなたに『アンネのバラ』を託します
でも・・・、苗木は、船便で時間がかかったことやら、荷物が混雑し検疫が滞ったこととか。
様々な要因で弱ってしもとって、翌年に花が咲いたんは1本だけ。
その後、76年に再びオットーさんに10本の苗木を送ってもうて、
このうちの1本が、また、綾部市内の・・・別の男性に託されたらしいんですよね。
こういうことで、綾部市とアンネのバラとは、深いつながりがあるんです。
それで、このグンゼばら園以外に、綾部駅・聖イエス会綾部教会でも、花を観ることが出来ます。
私の通信を訪問くださる方の一人にも、バラを上手に育てて、写真に収める方が居られますが。
私は、到底・・・その方の凄さには及びませんけども。
でも、やっぱり、バラって良いですよね。華やかで可憐で。
もし私が、将来、天の御国に帰る時期が春やったら、色とりどりのバラを祭壇に飾ってほしいな。