おはようございます。おいでくださって感謝します。
頑張って結果を出す人は、相手から「ようやった!」って褒められますよね。
仕事・勉強・スポーツ・・・大人でも子どもでも、一生懸命に頑張れば、褒めてもらえます。
特に仕事の場合、結果を出したりノルマを達成できたりしたら、高い報酬・給与を得られますよね。
やさかい、私らぁは、どうしても、こう考えがちやないでしょうか。
「たくさん良い行ないをしたら神様に褒めて頂けて他の人より多くの祝福を頂くことが出来る。」
・・・って。
でも、神様の国っていうんは、そのような考えとは違うとこやってことを、
イエス様は教えられてるんです。
今回のイエス様のたとえ話には、大きい葡萄園をもっとる主人が出てきます。
ほんな、お話を始めることにしますね。
ぶどう園の主人
イエス様は、こんな「たとえ話」をなさいました。
ある葡萄園に、ようけ葡萄が実りました。熟した葡萄は、当然、早う収穫せんなんですよね。
葡萄園の主人は、葡萄を収穫してくれる人を雇う為に、朝早う市場に出かけました。
ほって、集まっとった人らぁに対して、こう言いました。
「葡萄園で働きませんか。一日1デナリ払います」
1デナリいうんは・・・、その頃の1日分のお給料にあたります。
「わかりました。あなたの葡萄園で働きます」。
雇われた人らぁは、朝早うから葡萄園で収穫を始めました。
遅れて招かれた者たち
でも、まだまだ人手が足りません。主人は、午前9時頃、また市場に行きました。
「葡萄園で働きませんか。相応しい賃金を払いますよ」って約束して、何人かを雇いました。
主人は、正午頃、午後3時頃にも市場に出かけて、何人かを雇いました。
それでも、仕事が終わらなんで、主人は、夕方の5時頃にも市場に行きました。
遅い時間やけど、何人かの人が集まってました。
「なぜ一日中何もしないで、そこに立っているんですか?」って主人が訊くと、
その人らぁが、こう答えました。「誰も雇ってくれないからです」
主人は、「私の葡萄園で働くと良い」言うて、この人らぁを雇いました。
主人の寛大さ
日が暮れかかった頃、主人は葡萄園の監督に命じました。
「働いてくれた人たちに賃金を払ってあげなさい」
最初に、夕方の5時頃から雇われた人らぁが来て、それぞれ1デナリを貰いました。
ちょっとしか働けんかったのに、1日分の賃金を貰えて、さぞビックリしたことでしょうねぇ。
次に午後3時頃に雇われた人、その次に正午頃に雇われた人の順に、1デナリの賃金を貰いました。
最後に、朝早うから働いとった人らぁの番になりました。
自分らぁは、いちばんようけ働いたんやで、当然、他の人より多い賃金が貰えるやろと思てました。
でも、手渡されたんは、他の人と同じ1デナリでした。この人らぁは、主人に抗議しました。
この「たとえ話」で大切なんは・・・、
雇った人が何時間分働いたかに関係なく、みんなに良うしたげたいって思う主人の気前の良さです。
この主人は、神様を表わしてて、みんなに同じ賃金を払う主人の気前の良さっていうんは、
人の頑張りに関係なしに・・・神様の国に招き入れる、神様の恵みの大きさを教えとるわけです。
朝早うから働いた人らぁは、小さい頃からイエス様を信じて、神様に従ってきた人かもしれません。
夕方5時頃から雇われた人は、人生の終わりのほうで、イエス様を信じた人かもしれません。
どんだけ神様のために働いてきたかに、確かに違いはあるかもしれんけど、
神様は、どっちの人にも良うしてくださり、神様の国に迎え入れて、祝福してくださるんやんね。
神様の国では、誰が一番に褒めて頂けるかとか、多くの御褒美を頂けるかってことを競うんやない。
そうやのうて・・・みんなで一緒に、神様の恵みを喜び合うんです。
確かに、人は、それぞれに・・・神様にお出会いする時が与えられてます。
あなた様にとって、その時期が早かろうが遅かろうが、それは、大きな恵みでもあるんですよ。
この週も、この記事を読んでくださるお一人おひとりに、神様の祝福が豊かにありますように。