ども。今回も、ちずさん通信を訪問してくださって感謝いたします。

7日・日曜の夜中には、うちんとこの教会での『人の呼び方』について書かしてもらいました。

 

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通信を読んでくださっとる方は、今年のお正月、どういうふうに過ごしはりました?

ほんでも、もう、お正月期間みたいなもんは殆ど終わっとる感じやで、もう時期違いなんやろけど。

大晦日は除夜の鐘。ほって元旦とかは初詣や・・・いう方が、たぶん多いんかもしれんやんね。
でも「クリスチャンの人のお正月って、どんなんなん?」って。

そういうふうに、不思議に思てん方も、もしかしたら、あるんやないか思うんですわ。

新米クリスチャンの河西(かさい)みのりさんっていう方が、

お正月の過ごし方みたいなんを、SNSで発信されとるみたいやでね・・・、

それも参考にしつつ、私も、これを書かして頂いとんですけども。

 

ただ、クリスチャンの方でもね~え。

行っとる教会のグループ(難しい言うと『宗派・教派』)の解釈・考え方とか、

クリスチャン家庭それぞれの独特なルールみたいなんも、もしかしたら、あるかもやさかい・・・、

人によって、まちまちなんちゃうかなって思うんですわ。ハイ (^^♪

ほやで今回は、私なら、だいたい、こんな感じで過ごしとるで・・・みたいな事を書こう思います。

 

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  元旦の日は何しとってん(何してるの)?

これ、たぶん思うやんね。

ついこないだも記事に書いたかもしれんのやけど、私は、教会の元日礼拝に行くんですよ。

まぁ、これが、クリスチャンやない方の初詣の代わり的なもんやと思てもうたら良いん違うかな。

その元日礼拝で、新年にまつわる聖書の言葉を聴いたり、これから新しいことを如何の、みたいな。

そういう礼拝メッセージを聴きもって、各々の信徒の心を新たにして、新年をスタートするんです。

ちなみに、うちんとこの教会の、今年の元日礼拝はね。

教職者(まぁいやぁ牧師・伝道師・宣教師)を目指してる神学生が、出席しとる信徒の皆に向けて、

礼拝のメッセージをしてくださったんですよ。

その神学生は、幼少の頃から当然のように教会に通われてて(クリスチャン家庭の人やからね)、

3年ほど前から東京の神学校に行ってはるんやけど、久々に、うちの教会に帰ってきはって。

「お帰んなさい。東京から・・・コッチに帰ってくるんって大変やったんちゃうん?」て訊いたら、

「いやいや。大丈夫。5時間ほどあったら帰って来れるんすよ」って、気さくに答えてくださって。

 

ただ、教会によっては元日礼拝をせん所もあるで、そういう人は、ゆっくり家で過ごしてんやろね。

テレビやったら、元旦特番とか箱根駅伝とかって、目の離せんような番組もありますやんか。

他にも、新春の演芸番組(新春笑点とか新春お笑いバトルみたいな)とか、元日の日の出特集とか。

あとね・・・、元旦から開いとるスーパーとかデパートに行って、福袋を買うぞ~みたいな(笑)。

我が家は、福袋は買わん家やけど、楽しみにしとる人は、そうしてん場合も、ある思いますわ。

 

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  初詣とかには行ってんか?

調べてみるとね・・・

本来、初詣は、その土地の守り神や、いう「氏神様」に挨拶に行くんが目的らしいんですよ。

やで、基本的に、クリスチャンの人は初詣には行かへんのやで・・・いうんが普通かもしれません。

何でか?いうたらね。

唯一神や言われる神様以外のもんを崇めたり拝んだりするんは、聖書ではNGや言われとんですよ。

そういう事をするんは「偶像礼拝」いう罪になるんです。

でも、まぁ、単に神社の境内を散歩したり、お寺の装飾とか建物を眺めるだけ、いうんやったら、

別に唯一神以外の物を拝んだりしとんやないで、まぁ構へんわいな・・・って話に、なるんやんね。

 

実は、旧約聖書の出エジプト記に、こんな言葉が書いたるんですわ。見てみましょか。

あなたは自分のために偶像を造ってはならない。

上の天にあるものでも、地の下にあるものでも、地の下の水にあるものでも、

いかなる形をも造ってはならない。

それらを拝んではならない。それらに仕えてはならない。

あなたの神、主であるわたしは、ねたみの神。

わたしを憎む者には父の咎を子に報い、三代、四代にまで及ぼし、

わたしを愛し、わたしの命令を守る者には、恵みを千代にまで施すからである。

 

(出エジプト記20章4~6節)

ついでに言うとね。

おみくじ引いたり、お祓いしてもうたり、破魔矢とか御守りを貰う、いうんもNGなんですよ。

私のブログでは、遊びで、おみくじ引いたりしとんやけど、厳密に言うと、実は、NGなんやんね。

特に、私以上に厳格な信仰を守ったはるクリスチャンの方々には・・・

「千寿さん。なんぼ軽い気持ちでも・・・おみくじ引いて遊んどったら、あきまへんで!」って。

そういうふうに叱られてしまうかもしれませんわ💦

 

 

 

ちなみに、同じ旧約聖書の申命記には、こう書いたったりします。合わせて見てみましょかぁ~。

あなたのうちに、自分の息子、娘に火の中を通らせる者、占いをする者、

卜者(ぼくしゃ)、まじない師、呪術者(じゅじゅつしゃ)、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死者に伺いを立てる者があってはならない。

これらのことを行う者はみな、主が忌み嫌われるからである。

これらの忌み嫌われることのゆえに、あなたの神、主は、あなたの神から

彼らを追い払われるのである。

あなたは、あなたの神、主のもとで全き者でなければならない。

確かに、あなたが追い払おうとしているこれらの異邦の民は、卜者や占い師に聞き従ってきた。

しかし、あなたの神、主は あなたが そうすることを許さない。

 

(申命記18章10~14節)

まぁ、こんなふうに御言葉を読んでみると、かなりクリスチャンの人って慎重派やねんなって。

そう思いはるかもしれませんね。

 

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  おせち料理・お雑煮・お餅とかは食べてんか?

そら・・・お正月に、おせち・お雑煮は欠かせえへんもんね。私も、もちろん、よばれますよ。

ただね、キリスト教には、縁起とか御利益とかいう概念がないさかい。

「黒豆=邪気払い・まめに暮らす」、「きんとん=金運を招く」、「数の子=子孫繁栄」とか。

それぞれに込められた意味を考えもって食べる、いうような事は、たぶん、せんと思いますわ。

やで、単なるお正月の御馳走として、よばれとるような感じなんやないかなぁ。

ちなみに、うちんとこの教会では、コロナ前まではね。

信徒の方が「どうぞ食べてぇ」とかって持って来てくれた、おせち・お雑煮も食べよったんですよ。

元日礼拝に出席したメンバーで、お餅つきとかも普通に楽しんでやっとったし・・・、

子どもやら男性陣が頑張ってついてくれた餅を、ワイワイガヤガヤ言いもって食べよったしね。

あんこ・きなこ・大根おろし・青のり・砂糖醤油とか付けながら、その場で自由に。(^^♪

ちなみに牧師夫人はユニークでね・・・、

お餅に小さく刻んだカステラをまぶして、そのお餅を振る舞ってくれたりも、しとったんかなぁ。

まぁ、コロナが流行りだしてからは、感染対策とかの事もあるさかい、取りやめになってしもた。

ちなみに今年も、もう、そういう事は、しとらへんのですわ。

信徒それぞれに「今年も宜しゅうお願い致します」って挨拶とかは、互いに言い合うとるけどね。

 

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  門松・しめ飾り・鏡餅は飾る?

我が家はね。

昨年までは買うてきよった鏡餅も飾ったりしとったけど、もう今は、面倒くそて飾っとりません。

ただね。でかい門松とかは飾っとらへんのやけど、しめ飾りは、玄関の上んとこに飾ったりますわ。

私はクリスチャンやけど、うちの両親は、そうやないさかい・・・。

もともと、門前とか玄関に飾る門松・しめ飾り・鏡餅っていうんは、神道における祭具なんやんね。

お正月に各家庭に幸せをもたらす「歳神(としがみ。年神とも書く)」を迎えるために、

あるいは、お供えするために飾るって言われとるらしいんですよ。
さっきも書いたんやけど・・・

聖書では、神様以外のもんを崇めるんはNGやさかい、多くのクリスチャンは飾らへん思いますわ。

 

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  お年玉は?

私は、クリスチャンやでとか如何とか関係なしに、子どもに渡すほどの余裕は無いでねぇ・・・。

申し訳ないけど、個人的には、お年玉とかは渡しとらへんのですけども。


ただね、調べたところによると。

もともと、お年玉は、歳神の生命を子どもらぁに分け与えることで、

子どもがスクスク成長するように・・・みたいな願いが込められとんですって。

正直いうと私は、そんな謂れがあるなんて、実は知らなんだんやんなぁ。

そもそも、そんなふうに、お年玉の正しい意味を知っとる人って、どんだけ居ってんやろねぇ。

解っとってん人の方が、実は少ないんとちゃうかって、私は、勝手に予想しとんですけども。はい。


やでね。

中には、厳格な信仰姿勢で、神道に繋がるんを避けて「おせちも、お年玉もナシや!」って。

そう考えるクリスチャンの方も居はるんかもしれへんのやけど・・・、

ほんでも、日本に居ってんクリスチャンって1%も居らへんのが、今の現状なんやんね。

韓国では、30%ほどは居ってやって聞いた事は、あるんやけど。

でも、やっぱり「あんたは、お年玉ナシや!」なんて、厳しい言われたとしたら、

みんなぁ・・・周りの子は普通に貰うとんのに、「何でアカンのん?何で、くれへんの?」って、

そんなふうに、貰えなんだ子どもがガッカリして、悲しみそうな気がするやんね。

うちの教会とかは、お年玉を子どもの信徒が貰うたら、

元日の翌週の教会学校(日曜学校)の礼拝で、『お年玉感謝』として献金する子も居るんですよ。

まぁ、お年玉を自分の思い・目的通りに使いたい、いう気持ちもあるさかい、

お年玉感謝として献金するんは、現実、100円・500円ぐらいの、ささやかな額かもしれんけどね。

 

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  私の考えのまとめ

まぁね・・・お節を食べようとか、お年玉をあげようとか。

・・・場合によっちゃあ、お寺とか神社に行く事があっても、常に神様に対して心を向けとれたら、

それは、それで・・・そのう厳しい拘らんでも良いん違うかなって。

それが私の思とる、お正月に関する考え方ですわ。ハイ (*^^*)

 

お盆にしても、動物みたいな野菜を飾るだの、盆踊りは踊れるんか?如何なんや?とか・・・。

考えれば考えるほど「ややこしなぁ。面倒くさいなぁ」って、思てしまうかもしれんのんやけんね。

この記事を読んでくださった皆さん・お一人おひとりに、神様の祝福が豊かにありますように。