こんばんは。千寿です。

前回の聖書のおはなしは、私の声と、事前に準備した画像で紹介しましたけど、

今回は、今までと同じような感じで、お送りしたいと思います。

あと、聖書の引用は、前回から『新改訳2017版』に変更さして頂く事にしました。

宜しゅうお願いします。

 

 

さて。今回のお話は、放蕩息子のたとえ話。

コレも、前回同様、比較的よう知られた、イエス様の教えて下さった、たとえ話です。

 

イエス様が居られた時代のユダヤ社会では・・・、

税金を取り立てる人とか、特定の職業の人々を『罪人=つみびと』と、みなしてました。

でも、そういう人々がイエス様の許に集まっとる時に、

イエス様の立場とは全く真反対な宗教指導者とか、律法学者と呼ばれとる人々は、

『何でイエスは、あんな奴らと食事をしてるんだ。』と、文句を言うてました。

そこで、イエス様は、放蕩息子のたとえ話を、彼らに教えてくださったんですよね。

 

・・・あるとこに、二人の息子を持つ父親が居りました。

大きな畑を持っとって、大勢の雇人も居るような、お金持ちです。

そんな、とある日。弟息子が言いました。

『お父さん。私がお父さんから頂くはずの財産を分けてくれませんか』

実際は、お父さんが亡くなってから受け取るはずの財産を、今、欲しいんや、と。

ここの聖書箇所を読んでて、私、ふっと思いましたよ。

『なんちゅう失礼な。厚かましい息子や』って・・・。

でも、お父さんは、弟息子の願いを聴いて、財産を分けてくれました。

そうすると、弟息子は、すぐに荷物をまとめて、さっさと出てってしまいました。

 

で、遠い国に来た弟息子は、もろた財産を使うて、面白おかしい暮らしました。

でも、頂いた財産を湯水のように使うてしもたせいで、お金は、瞬く間にスッカラカン。

しかも、弟息子が行った場所は、運悪う飢饉が襲ってきて、食べ物にも困り果てる始末。

どないすんねんな、もぉ~、って感じがしますよね。

で、結局、どうにか豚の世話をする仕事に雇ってもらうんやけど、全く食べ物がない。

豚の食べるイナゴ豆でもエエから食べたいな・・・って。

弟息子は、それほど空腹になってました。

彼は、どん底な生活を味わった中で、ふと我に返るんです。

『そうだ。僕のお父さんの家には、毎日の食事にも困らない雇い人たちが居る。

家に帰って、お父さんに正直に言おう。“僕は、あなたの前に罪を犯しました。

僕は、もう、息子と呼ばれる資格は、ありません。雇い人のひとりにしてください”って』

・・・と。

でも逆に、ほんまに反省しとんかいなと、疑いたくも、なるかもしれませんよね。

単なる、悪あがきちゃうんかいな、と。

でも、でもなんです。

弟息子に対する父親の態度は、決して、そうやなかったんですよ。

さあ、どういう態度やったんでしょうね。

このお話の続きは、次回の聖書のおはなしで御紹介します。お楽しみに。