いつもありがとうございます

最近
月に2回くらいの割合で
江ノ島線沿線に用があり
乗り換え駅の
鎌倉界隈に出没しています。
以前
ブログにも書きましたが
鎌倉にご縁が繋がり
鶴岡八幡宮に参拝し始め
時々散策するようになったのは
この3年くらいのことです。


4年半前までの10年間
フルタイムで働いていた期間は
やっぱり今考えると異常でした💧
いつも時間に追われていて

「自分さておき」をやっていたので
最後には
「自分の氣持ちがわからない。。」
そんな状態にまで
追い込まれていたのでした

2012年は
よく言われている
2000年振りに地球のサイクルが切り替わった年。
わたしにも
大きな転機の年でした。
はいは〜〜い
人生の前半の学びは
もう今年で終了だよ



と、、
強制終了がかかったのです。💦
(今にして思えばですが
当時はわかりませんでした
)

いったい誰から?
はい
わたしから

まさかの??

生まれる前に
全部決めてきてるんでしょうね〜

今回の人生ストーリーも。
そのストーリー展開になるように
わたしを職場から追い出す役を
買って出てくれた人がいました。
そのおかげで
めでたく(?)大晦日で退職。
(ただし
その人は無意識にやってたと思います)
そして
起きてる出来事を「どう捉えるのか」
なんでわたしがこんな目に💧
と嘆くのか
この出来事は
わたしに何を学ばせようとしているのか
と捉えるのか
この学びに氣付くコトが
すべてなんだろうな〜
と腑に落ちました。
腑に落ちるまでに
ご多聞にもれず
わたしも退職後
いろんなセミナーに行き
◎自分のニーズをまず満たす
◎自分の思いグセの枠から物事を見ているコトに気付く
◎起こる出来事は自分の内面の投影である
等々を学びました。
また
5年前に断捨離を知り
テレビや新聞を手放したら
比較的コントロールされてない情報が
自然と入ってくるコトに。
何かを手放したら
そこに時間的にも意識にも空間が出来て
違うモノが入って来たわけです。
今まで所属していた枠から外れる
外に出てみるコト
って、大事だなと感じました。
そして氣が付けば
古事記の勉強会の主催を
させていただいていた、、、
(講師は小野善一郎先生)
そんな感覚です。
当時のわたしは
人前に出ることに
恐怖心がとんでもなくあり
うっかり
「主催者は
人前に出て挨拶する役目があるよ」
というコトを忘れていたのです。
3年前の
第1回目の勉強会の当日に氣が付き
ガ〜〜〜〜ンでした💧💧💧
人は見られるコトにより
無意識レベルの心の傷が
刺激されるのだそうです。
先日の勉強会で通算37回目。
つまり37回
人前に出たコトになります。
でも
回数もあるかもしれませんが
大事なのは
逃げるコトをやめて覚悟を決める
これだったような氣がします。
大祓詞の勉強会に切り替わった時
主催を一人でやっていくコトを
コミットメントしてから
恐怖心に意識が向かなくなったようです。
意識を向けるから意識してしまう💧
今考えると
当たり前過ぎるんですけどね〜

基本この地球に身をもって
なんでも体験したくて来てるワケですから仕方ないですね

あらっ??
いつの間にか
書くのが止まらなくなってました

ここで今までを振り返るタイミング
だったのかもしれませんね〜
まずはここまでお付き合いいただき
ありがとうございます

さてようやく
今回の目的地に参りましょう



鎌倉駅西口の改札を出て
左側に進むと
御成通りに。。
観光客に人気の
小町通りとは
駅をはさんで真反対の方向。
以前に
間違ってこちらの西口から出たら
見慣れない風景にあわてた記憶が、、
でもその時から
何となく氣になっていた。
そんな前フリがあり
今回はあえて
こちらの通りを行ってみました。
なんだろう?
しっくり来る

落ち着いている。
歩いている人が
ほとんど地元の人!?
それぞれのお店の個性が
地に足着いてる感じで
さり気なくセンスが良い✨✨
通りが石畳風なのもいい雰囲氣。
途中立ち寄った
コーヒー店のご主人曰く
「地元の人から見たら
小町通りは鎌倉じゃないね
」

なるほど〜
そうだったんだ。
たまには
コースを変えてみる。
するとまったく違う側面が見えてくる。
直観で動いてみることを
日々実践中。。
前半のお話ともやっぱり繋がってますね

この4年半の積み重ねがあってこそ
見える風景の受け取り方も違います

鎌倉初級者⁂散策レポ
つづく

長文にお付き合いいただきまして
ありがとうございます
