つづきです。。
上り坂をしばらく歩いていくと、
ようやく銭洗弁財天の鳥居が見えて来ました。
正式には、
銭洗弁財天宇賀福神社
御祭神は、
本宮が市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)
奥宮が弁財天
通り抜けると、
また鳥居がいくつも出現。。
手水舎に寄って手と口を清めてから、
まずは本宮に参拝。
たまたま誰もいない一瞬があり、
写真にパチリ!!
でも実際は、
多くの参拝客で賑わっていて、
わたしは夏休みだからかな?
と、てっきり思っていたのだけれど、、
それとは違う理由だったことが、
このあと、
御朱印帳に記帳していただこうと
社務所に行って判明。。
今日は、
全く氣が付かなかったのだけど、
巳の日だったのです



(以下、御由緒より抜粋)
文治元年(1185)
巳年の巳の月の巳の日に、
鎌倉幕府の始祖源頼朝公の夢枕に
1人の老人が現れて、
「ここから西北の方向に仙境があり、
きれいな泉が岩の間から湧き出しています。
そこは清浄な地で福の神が住んでいて、
その水を使っています。
この水こそは真の霊水なのです。
この水を絶えず使って、
神仏をまつれば、
人々は自然に信仰心を起こし、
悪鬼や邪鬼も退散して、
国内はすぐに平穏に治ります。
私こそは、
隠里(かくれざと)の主である宇賀神です。」
というとその姿を消しました。
目を覚ました頼朝公は、
心から宇賀神を敬い、
夢のお告げの通りに西北の谷に泉を見つけました。
そこに岩窟を掘らせ、
宇賀神をまつり、
その水を使って神仏の供養を続けると
国中は静かになり、
人々は富み栄えるようになり、
これがここの起りだといわれています。
このことから、
- 縁日:巳日
- 例大祭:4月初巳日、9月白露巳日
- 銭洗弁天祭:1月初巳日
となり、
したがって、、
今日は縁日だったのです

知らずして、
そんな良き日にお導きいただけたとは

ただひとつ残念だったのは、、
縁日であることから、
参拝客が多くて、
御朱印帳に直接記帳していただけず、
事前に書いてあるものを購入してください、
と言われてしまったこと。
う〜〜ん

なんとも痛し痒し。。
巳の日には参拝はしたいけれど、
そうすると、
永久に御朱印帳には直接記帳していただくことは叶わぬワケです

まっ、でも、、
今回せっかくなので購入

さて、、
奥宮で参拝後に、
いよいよお金を
洗い清めさせていただく。。
柄杓でお金に水をかけながら、
ふと前を見上げると、、
吹き抜けになった天の方から、
光が差し込んで、
光の柱のように見えた。。
急いで写真を撮ったけれど、
見た時よりも瞬時に光は弱まってしまい
残念ながらハッキリとは写らず。。
4枚目
この1枚目の下の方にも
写り込んでいたあるモノ。。
それは、
2枚目には撮す前から、
スマホの画面にハッキリと現れていた。。
青く連なる光の粒
それは、
この場所を撮ろうとする時だけ何度も現れ、
形は一定ではなく、
そのさまは、
さながらヘビのよう。。
なんとなく、
そんな氣がしました



いつの間にか、
境内の売店も閉店時間のようで、
あわてて冷えた甘酒を購入。
「飲み終わったら、
紙コップをくださいね」
と言われたので、
あとで渡しに行き、
ついお店の女性と立ち話になる。
「初めて来られたんですか?」
と聞かれて、
そういえば、
遠い記憶がよみがえり、
20代の時に一度来ていたような!?
それを話すと、
「そういう方って多いんですよ。
今回来て、
あらたに人生が切り変わるのかもしれませんね」
えっっ

まさか、、
そんなお話を聴くことになるなんて

やはり、、
すべてはベストタイミングで
起こってる

今日、
ここに来れたことも必然なのかも

お導きに感謝して、
境内を後にしたのでした。。
長文にお付き合いいただきまして、
ありがとうございます



銭洗弁財天宇賀福神社
鎌倉市佐助2-25-16
社務所 8:00〜16:30


