私の気づきは誰かの気づき

私の気づきは誰かの気づき

自分の内側と深く繋がった時に生まれる言葉は私だけのものでありながら普遍的と感じられ、どこかの誰かと共有したいという思いから書いています。
人生で起こる全ては自分の本来の光を見つける魂の意図であり、その完璧なまでに入り組んだ美しさに驚嘆するばかりです。

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もう、「お金」「恋人」「やりがいのある仕事」をゴールに据えるのは止めましょう

 

 

お金があればそれだけで幸せになれると本気で考えていますか?

 

恋人ができれば人生がバラ色になると本当に思っていますか??

 

やりがいのある仕事や役職に巡り会えれば人生が動き出すと思いますか?

 

すべて、自分以外の外側の条件のことです

 

 

 

 

「地の時代」の価値観を未だに(無意識に)信じ込み

 

無意識にそれがゴールだと思って

 

無意識に生きるのを止めにしましょう

 

 

 

 

今日、本当にしたい事は何ですか?

 

今、本当に食べたいものは何ですか?

 

今、何に興味がありますか?

 

何が得意なのですか?

 

 

 

思考ばかりで求めることを終わりにしましょう

 

頭と心ばかりで求めることを止めましょう

 

 

 

たましいが求めていることは頭で考えても分かるようにはなっていません

 

天職に巡り合ったら輝くのではなく

 

運命の人に愛されたから輝くのではなく

 

 

お金が沢山あれば安心だというのはもはや古い常識なのでは?

 

 

 

世間の人や常識で言われている"人生の目的"をそのまま信じ込むのを止めましょう

 

 

 

なぜ収入アップを望んでいるのか?

 

お金があれば「安心」できるからではないのでしょうか

 

 

恋人ができれば「孤独」「不安」を感じなくて済むと思っているのでしょうか

 

 

自分が無意識に望んでいることのベースにあるものに気づきましょう

 

 

 

 

 

本当にしたいこと

 

苦もなくできること

 

それで人が喜んでくれれば尚更

 

 

心から楽しいと思えることが即収入につながらなくてもいいのです

 

 

 

一足跳びに人生のゴールのことばかり考えたって

 

それで日々の小さなことをおろそかにしているんじゃあ

 

ちっとも前に進みません

 

 

 

第一、今想像できる範囲の幸せなんて

 

ちっぽけなものだと思いませんか?

 

望む場所にまだ辿り着いていない今のあなたが想像でき得るゴールは

 

どれほど魅力あるものでしょうか?

 

 

 

今、できることをして下さい

 

あなたが得意なことは何ですか?

 

条件が整わずに諦めていることはありますか

 

それをもっと別の方法でやることは出来ないのでしょうか?

 

 

 

 

細かく、細かく自分の要望を掘り下げていけば

 

 

必ずしも

 

 

それをするためにどうしてもお金が必要ということには

 

なりにくいと思います

 

 

 

今本当にしたいこと、身体が望んでいることは大抵少しの工夫や動きで出来るもんなんです

 

やってみて違ったらまた試せばいいのです

 

 

そういう小さなステップを重ねて

 

少しずつ夢に近づいてゆけばいいのです

 

一度に一歩ずつ

 

 

 

本当に充足を感じるのは

 

夢が叶った瞬間ではなく

 

 

誰にも認められなくても、何と言われようと

 

心からやりたいこと

 

 

それを見つけた時ではないでしょうか

 

 

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被害者意識でいるうちはそこから抜け出す事が出来ないのです

 

「この環境のせいで...」

 

「この相手のせいで...」

 

「この体調のせいで...」

 

私もつい最近ハッとしたことがあります

 

 

 

人間関係において、相手に良かれと思ってしていた事が実は相手を苦しめていたという事がありました

 

 

でも同時に相手のその苦しみは幻想だということも分かっていたので

 

そこから脱する事は相手のやる事だとも思いました

 

 

 

私が気にしなければならないのは、

 

「相手のために良かれと」思ってすることではなく

 

「自分が本当にどうしたいのか」を感じて行動する事です

 

 

 

 

私はその時、自分の長年の行動の癖を見つけることができました

 

 

長女という事もあるのでしょうが、自分にとって利益になる相手「の利益」を自分の本当の気持ちよりも重んじてしまう

 

 

無意識から発する行動にずっと気づかなかったのでした

 

 

 

そしてそれは自分自身が起こしていることなんです

 

 

 

 

自分がそれを起こしていたと気づく時

 

意識の光でそれを見る時

 

それは消えてゆく過程になります

 

消えた分だけあなたの本当の光が輝き出すのです

 

 

 

私たちは内側にある本来の光を現すためにこうして身軽になってゆくのだと思います

 

 

 

 

 

どんなに相手側が悪く見えようとも

 

どんなに自分が被害を受けたように感じられても

 

結局のところ、大いなる意識(の自分)があなたにとってちょうど良い時期に

 

ちょうど良いタイミングで

 

全ては守られている安全な条件が揃って初めて

 

起こされています

 

 

 

 

その法則そのものが愛だと思っています

 

 

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母との時間を大切にしています。母だけでなく父との時間もです
 
 
 
 
 
割と近くに住んでいるので夏はスイカを半分こし、できれば週1回は一緒に食事をして
時々お互いに作ったものを交換したり
 
 
 
 
この身体を与えてくれた、という事は当然感謝なのですが、それよりも一人の人としての関係性を大事に思っています
特に母との絆には他にも理由があるのですが...
 
 
 
 
理由の一つには、唐突な話ですが、
親子という関係性で過ごす生はこれが最後のような気がしているのです
 
 
 
 
 
少し前、何か別の事を考えていた時不意に私のこの人生においてとても大切な事の一つが今の両親の元に生まれる事だったと
自分で親を選んで生まれたのだと気づいた事があります
何故か分かったのです
 
 
 
 
 
私は両親に甘えたくて甘えたくて、両親を喜ばせたくて仕方なくて
そういう気持ちが根っこにあるのだなぁと自分で自分に認めたら
胸の奥があたたかくなって、何か許されたような解放感を覚えました
 
 
 
 
 
 
そして高齢になった親は、どこか人間臭さが抜けて(垢抜けてとも言う)
実の親に対しての適切な言葉ではないけど、可愛らしさを感じるのです
 
 
 
 
 
この親を喜ばせたくて生まれてきたのだし
仕事が何故か続けられず、親の世話になった心苦しい期間
 
 
 
 
 
散々運命を呪い、環境や他人を呪い、エネルギーが枯渇して
ただ、生きていた期間を経て
あの何もかもが上手くいかない時期は自分にとって何だったんだろうと考える余裕ができたころ
 
 
 
 
 
また、上手く行かない時、それでも一つでも自分にとって「利益」となっている事は何だろうと考えた時
それは、「親に思い切り甘える」ことが出来たという事に気づきました
そのために自分自身で起こしていたのかも知れないとも思いました
 
 
 
 
 
長女で責任感が強く、自分の感情を捉え上手く表現する事が苦手な私なので
記憶はないですが子供の頃から我慢をしていたかも知れません
 
 
 
 
幸い二人とも健康で何でも自分でする事ができています
この事に私は常に深い感謝を感じます
 
 
 
 
 
人生が大きく動こうとしている時
心配ごとが一つでも少ないことは
本当に有難い、得難い奇跡のような事です
 
 
 
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聞いて嫌な気分になる情報は自分に取り入れない事です





影響力のある著名人の言葉でも





聞いて嫌な気持ちになるのなら






自分の内に取り入れないという選択もあります





ただ、なぜそう感じるのかを考えることによって






自分自身を知る助けにはなります





あなた自身がどう感じるか、が大切です





悲しい個人的な事件の詳細を知る必要があると感じますか?




人には人それぞれの運命や課題があって誰もが道の途上にあると分かれば






批判や非難、出来事に対するジャッジメント(判断)は少なくなるのかも知れません




私たちは聖人になろうとしてる訳ではないんです





より本来の自分に近づくために
全てはあなたがあなたになる為に
あなたを目掛けて





やって来るご縁や情報や機会に過ぎないので






敵と見えるものは全て






本当のところは味方(敢えて分かりやすい表現をすれば)





いつも、いちいち自分の胸に





どう響くのか、どんな感じや印象があったのか






それだけがあなた自身を知る手掛かりなのです















不安や心配なことがある時

なにかちょっとした事も(お昼に何食べよう?とか、今買い時?とか)

私は自分の内へ向かって質問します




⚪︎⚪︎、どうしようかねぇ〜




自分自身に尋ねるのですから




気軽に


いつでもどこでも


人には話しにくいことこそ





ただ、尋ねる時は内なる自分に対していつも真摯です


言葉で言えば、「本気で」が近いでしょうか


必ず答えをもらえると信じているので


現実生活と同じようにひとにものを尋ねるように


真面目に質問するのです




少し考えれば決められることや


単に不安を鎮めるためではなく


気分によってコロコロ質問を変えるのでもなく




ある程度、抱えている内容でどうすれば良いかわからない時、どう考えれば良いかざっくりな方向を知りたい時



軽い質問の時は

なんか気分が決まらないなぁという時





すると数時間後や翌日…




全く関係ない事をしている時や考えている時に

パッと「答え」が降りてくるんです




久しぶりに訪ねたブログの記事に


なんとなく開いた雑誌の1ページに


唐突にイメージとして頭の中に




軽い質問の時は


気持ちが定まって来たり




その答えは現実的な示唆ではなくても

私が安心できるものなのです




たとえ現実的には問題が解決しなくても

気持ちや思考が安定すれば

態度や行動を自ずと決められます




これを繰り返すうちに


内なる自分との繋がりが強くなり太くなり


ちょっとやそっとの事では揺らがないブレない


そして、自分が本当にやりたいこと言いたいこと


が自然と分かってきます




少しずつ

少しずつ



内なる自分と重なってゆけばいいんです