こんばんは🌙 ちよみんです☺️

今日は昨日の記事の続きを
書かせて頂きます。

精神を病んだ私は
小学生低学年だった息子くんを置いたまま
まだ赤ちゃんだった娘ちゃんだけを連れて
元旦那と住んでいた家を
衝動的に飛び出し、
娘ちゃんと二人で
父と母の住む実家に身を寄せていました。

優しい母とは真逆の自分勝手で気難しい父。
子供の頃から親に逆らったことなど
無かった私でしたが、
当時は精神疾患が酷くて
父への積もった感情を抑えられずに
言い返してしまい、
何度も喧嘩をしました。
父を憎みました。
日に日に父との関係が悪化。
「早く出て行け!」
と何度も言われましたが
その度に母が間に入って
「ちよみんちゃんは病気なのよ。
 まだ一人で生活出来る状態ではないと
 見れば分かるでしょ?」
と父をなだめてくれました。

でも、ついに父がブチ切れました。

娘ちゃんが幼稚園に入園する前の
2月のある日。
些細なことがきっかけで
また父と言い合いになってしまいました。
いつも以上に怒り狂った父は
「すぐに出て行け!
 これ以上お前と一緒にいたら
 僕が疲れて死んでしまう!」
と怒鳴り
母が何を言ってなだめても
「今月中に絶対出て行け!
 出て行かないのなら
 引越し業者に来てもらう!
 何があっても追い出すからな!」
私一人なら今すぐにでも出て行く。
その頃は人生に絶望しか感じられず
自分の事など、
もうどうでもいいと思っていました。
でも、
心身共に病んだ私と二人で暮らすなんて
そんな生活を娘ちゃんにはさせたくない。

娘ちゃんのために
私は父に頭を下げました。
「今まで生意気な態度をとって
 すみませんでした。
 今はまだ、私一人では生活できません。」
「あかん!今月中や!
 生活できないなら
 生活保護でも受けろ!」
怒りとショックで身体が震えました。
私が実家でお世話になっていたのは
身体と心を病んでいたからです。
お金に困っていたからでは無い。
お金は若い時からの貯金を切り崩して
自分達の食費や衣服代の
生活費にしていました。

もう父には何を言っても
無駄だと悟りました。
母はその後も何度か父に
掛け合ってくれたようですが
私は「もう父とは一緒に住めない。」
と思いました。
最終的には母も同居を諦めて
「ちよみんちゃん、ごめんね。
 この家はお父さんの家だから。
 家から出ても、お母さんは
 ずっと協力するからね。」
と言ってくれました。

父に言い渡された期限の2月中になんとか
実家から徒歩15分のアパートを契約。
3月から借りました。
わずかばかりの荷物を
少しずつ実家から運び込み
貯金を崩して家具を買い
電化製品は母が買ってくれました。
娘ちゃんの入園までに
何とか引越しを完了させました。

3月に実家を出てから
翌年のお正月まで
父とは一度も会いませんでした。
父の事を考えると苦しくなるので
出来るだけ考えないようにしました。
関係は冷め切ったままでした。
お正月には両親と弟夫婦と
新年の挨拶だけを交わして
両親と弟夫婦が酒宴を楽しむ席を避けて
私は娘ちゃんと奥の部屋で
二人で取り分けたお節を食べました。

実家を追い出されてからの1年間は
娘ちゃんの幼稚園入園とも重なり、
子育てをしながら
自分の身体と心の病気と闘うのに
とにかく必死でした。
精神科の担当医には
「実家を出て生活するのは、
 今はまだ無理です。」 
と言われましたが、
娘ちゃんがいてくれたので頑張れた。
娘ちゃんの存在に救われました。

優しい母のサポートもあり
1年くらい経つと
娘ちゃんと二人の生活にも慣れて
私の身体も心も少しずつ良くなりました。
「もしあの時、父に追い出されていなければ
 私は実家に頼ったまま
 娘ちゃんと一緒に自立する機会を
 逃していたかもしれない。」
と考えられるようになりました。
それからは、誕生日、父の日、敬老の日、
クリスマスにお花とプレゼントを
「ありがとうございます。」
の言葉と一緒に毎年贈っています。

そして、発達障害のある
息子くんや娘ちゃんと接する中で
「間違いなく父にも
 発達障害がある。」
と気が付きました。
自分勝手な父ですが
父自身も生きづらい人生だったと思います。
父にはたぶん、愛情という感情が無い。
自分の子供や孫にさえ愛情を持てません。
言葉の暴言はあっても
暴力を振るわれたことは
ほとんどありません。
そして、愛情が無くても
私と弟を中学校から私立に入れて
大学までの高い授業料と生活費を払って
育ててくれました。
今は父に感謝しています。

子供の頃からの父への
積もった複雑な思いは消えました。
父を許すことで
私の中の「子供の頃の私」は癒されました。

一昨日の父の日に花束を渡した時
珍しく
「ありがとう。」と少し微笑みながら
言ってくれました。
こんなことは初めてでした。
花束を持って微笑む父は
とても老いて小さく見えました。
私は嬉しかったけど切なかった。

そして、
私は気が付きました。
本当は私は父が大好きで
父から愛されたかったのだと。


最後まで読んで頂き、
本当にありがとうございます。



















 











私の親孝行

 

 

 

 

 

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