おはようございます☀️ ちよみんです😊


今日は楽しい雛祭り🎎ですね!🥰


我が家は家が狭過ぎて

雛人形🎎が置けません。🥲

(代わりにこの雛あられを飾ってます。)


そんな貧乏な私は、

ぼんぼりに明かりを灯さず

爪に火を灯して生きています!😤

僕らはみんな生きている!

♪ミミズだって オケラだって

 アメンボだって〜 ♪

のオケラって何?

見たことないし、

この歌以外で聞いたことない。

ラップの歌詞のチェケナッ!

みたいな物ですかね?

(絶対に違う!😡)


話は飛びますけど✈️


はい、着陸!🛩しましたので

書かせて頂きますね。😉


毎年雛祭りのたびに思い出す

悲しかった雛祭りの話です。😢

泣き上戸の方は、

ハンカチをご用意して下さい。🥲

笑い上戸の方は、

笑い飛ばして下さい。😆

(そんな鬼👹みたいな方はおらん!😡)


私の母は私とは全然違って

とても朗らかで優しい人なんです。🥰

そして、

父は短気で超わがままな人なんです。🤣

でも、優しい母が父とケンカするのを

見たことがありませんでした。

あの日までは…


実家の雛人形は

母の母、私の祖母が買ってくれた

とても大きくて豪華な雛壇の

本格的な雛人形でした。


私が小学校の低学年の頃

雛祭り前の休日の朝でした。

母が私のために雛人形を飾ろうと

一階の座敷部屋で

雛壇の土台の組み立てに

一人で奮闘してくれていました。

微力ながら、私も頑張って

一生懸命に手伝いました。


昼前に寝ていた父が起きてきました。

祖父、祖母、(父の両親と同居してました)

父、母、私、五人で

母が作ったお昼ご飯を食べた後、

母が父に

「もうすぐ雛祭りだから、

 今日はちよみんちゃんの雛人形を

 出したいので、手伝ってもらえます?」


すると、父が

「え⁉︎僕も手伝うの?」

大きな土台を組み立てるのは大変なので、

毎年父も一緒に手伝ってくれていました。

でも、その年は父が転職した年で

とても仕事が忙しくて

いつも疲れ切っていました。


母「すみませんけど、

 一人ではちょっと無理なので

 お願いしますね。」


父はとても嫌そうな顔をしました。

それでも、仕方なさそうに

土台の組み立てを手伝ってくれました。


何段もある大きな雛壇、

なかなか作業が進みません。

父はどんどん不機嫌になっていきました。

そして、

父「こんな大きな雛人形はいらんやん!

 なんでこんな大きいのを買ったんや!」

と怒り出しました。


すると、今まで父に怒った事のなかった

優しい母が

怒りに震えながら言いました。

母「これは私の母がちよみんちゃんのために

 買ってくれたんです。

 嫌ならもういいです!

 手伝ってもらわなくていいです!」

そう言うと一人で二階に駆け上がり

涙を浮かべながら

コートとバッグを持って降りて来ました。

唖然とする父。

驚きで固まった私。


そして、そのまま母は無言で

車に乗り込み、出て行きました。


「お母さーん!」

私はそのまま座り込んで号泣しました。

私の雛人形のせいで、

母を泣かせてしまった。

私のせいで、母が出て行ってしまった。

どうしよう。どうしよう。


父は無言のまま、私を置いて

台所に行ってコーヒーを入れました。

初めて母を怒らせてしまい、

父も混乱して

どうすればいいのか

分からなかったのだと思います。

一時間くらい経ってから

父は座敷部屋で座り込んだままの

私のところに戻り、

ボソッと

「電話したけど、

 お母さん実家には帰ってないらしい。

 あんた、お母さんが行きそうな所

 分からへんか?」


その頃は、まだ携帯電話は無く

母と連絡を取るには

行き先を探して電話をするしかありません。


私「坂川さんは?」

坂川さんは母が独身時代からの親友です。


父「電話してみるわ。」


しばらくすると、

父「お母さん、坂川さんのとこにいたわ。

 夕方には帰って来るって言ってた。」


私は安堵でまた泣きました。


たぶん、坂川さんの家に電話をした時に

父は母に謝ったのだと思います。

私は母の帰りを不安な気持ちで、

まだかまだかと思いながら待ちました。


夕方に車の入って来る音が聞こえ、

私は庭に駆け出しました。

「お母さん!お母さん!」

と泣きながら母に抱き付きました。

母も涙を浮かべながら

いつもの優しい声で、

「ごめんね。

 ちよみんちゃん、ごめんね。

 もう大丈夫だから。」

と頭を撫でてくれました。


庭に出て来た父は

「お帰り。」

と一言だけ言いました。

でも、

母の帰りを父が庭まで迎えに出たのは

その日が最初で最後でした。

母への謝罪を父なりにしたつもりだったと

今では思います。


帰宅してからは

いつもの優しい母に戻りました。

そして夕食後、

夜遅くまで家族三人で

頑張って雛人形を出しました。


毎年、雛祭りのたびに

思い出します。

自分のせいで、父と母がケンカをした事。

母が私を思って泣いた事。

母が私を

どれほど愛してくれているかという事を。



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本当にありがとうございます。🥹🥹🥹