世間がミレニアムだと言ってた2000年の8月26日に東京代々木野外音楽堂で行われたYOYOGI HARD FOLK JUMBOREEに千代延大介としてソロで出演させてもらった。
前年1999年に単身上京してきた僕は、決死の覚悟でミュージシャンになるべく、来る日も来る日ももがいていた。
やがて渋谷駅前でストリートライブを行うようになった頃、駅の反対側で沢山の人を集めていた元メジャーバンド、ローランのボーカルであったYASSさんがいた。
彼をリーダーとして、全国のストリートミュージシャンを一堂に介してイベントをやろう、という企画が先のハードフォークジャンボリーであった。
人を介してYASSさんを紹介してもらって、代々木野音に向けてのリハーサルライブというのに声をかけてもらったように思う。
まるで青春の1ページのような時代であり、たくさんのミュージシャンともこのイベントで知り合いになった。
東京で友達がいなかった僕にとってはターニングポイントとなったイベントであり、やがてこのイベントが元でテレ朝でストリートファイターズという番組がはじまり、サルーキ= としてテレ朝ミュージックからCDをリリースする運びになった。
その時のプロデュースもYASSさんだった。
そのあと何年もたって東日本大震災が起こり、
ライブハウスが自粛して営業を取りやめる中、最初に被災地チャリティーイベントを呼びかけたのもYASSさんだった。
サルーキ= としてすぐに参加して、その翌日には個人的に福島にボランティアに行ったりした。
2012年には僕は35歳になり、YASSさんが2000年にストリートライブの手売りだけでチャレンジした渋谷公会堂ワンマンライブに当時のYASSさんと同じ年に僕も同じステージに立った。
YASSさんにはスペシャルゲストとして出てもらって愛と平和の歌を叫んでもらった。
若い頃にはYASSさんが下北沢に忘れたギターをチャリで淡島通りを爆走して渋谷まで届けたこともあった。
渋谷セブンスフロアでYASSさんの結婚パーティーにもでたし、
ぼくの結婚式にもYASSさんに参加してもらって「路上のうた」を歌ってもらった。
今日は思いがけず、YASSさんが58歳の若さで旅立ったとメッセージをみたときには呆然とした。
けど渋谷区の自宅まで会いに行くことができた。
思い入れのあるYASSさんの自宅で久しぶりにご本人に再会できた。
人生はあっという間だ。
だから今日、いま、愛をしっかり捕まえるんだ。
ありがとう、お世話になりましたYASSさん。
あなたの歌は底力があって、誰も敵わないほどの愛と情熱のある歌でした。
今日は悲しくてやりきれません。