今、虹橋マリオットの展示場のほうで
今日から、日曜日まで中国の全域の物産展
を開催されていて、それはそれは上海のいろいろな
ところから、みなさん、
バスで乗りつけて買い物をしています。
地方に行かなくても、雲南のコーヒー、きのこ。
新疆のドライフルーツや果物。
各地のお茶。干した肉。などなど、
ありとあらゆるものが並んでいます。
私もあとで、ブルーベリーとかはちみつとか
でっかいざくろとか、買いに行こうと
思っています。
仕事帰りでそのまま行ったので荷物を
持てそうもなかったのですが
会場のエスカレーターを降りると
「狗不理」の文字が
ご存じない方のために
直訳すると「犬も食わない」とか
「犬も相手にしない」という意味ですが
天津の有名な肉まん屋さんの
名前です。
ついつい、なつかしくなって
買ってしまいました。
そのへんのショーロンポー屋の
ショーロンポーのほうがそれはそれは
おいしいと思いますよ。
でもこれは、私の思い出の味といいますか・・・
94年に中国に初上陸したのは、北京でした。
まだ、その頃の北京って、文字通り何もなかったの。
デパートすらなかったの。国営の友諠商店とかは
あったけど、買えるものなんて、ないのね。
スーパーとかはヤオハンとルフトハンザのスーパー。
とはいえ、まだまだ国営なみの感じの悪いスーパー。
パンもないし、薄切り肉もなければ、
コーヒーもまともに売ってなく
コーヒー飲んだり、お茶したり
ケーキもまともに食べれるところもなく。
習い事も中国語、中国書道、中国画などだけ。
もちろん、パソコンもなければ、インターネットもなく
雑誌を購読するようなこともなく、もちろん
DVDなんかも売ってませんよ。
そのころは、駐在員も今の上海のように
人数も多くなく、若い駐在員なんて、ほとんどいないころで
中国進出しはじめた会社の中堅以上の方々。
なので、周りは、若くても30歳以上で子持ちの奥様方。
年の離れた主人は、ばっちりその枠なのですが
20代の乙女なんて、ほとんどいませんでした。
こんな、うら若き乙女。
週2回の中国語やテニスを多少入れてみたものの
時間はうまらず。
今でこそ、家にばかりいる主人もそのころは
夜中まで、ドンチャン騒ぎで
帰ってきてるのか、帰ってきてないのか
いまいち分からない状態。
暇で暇でしょうがないのに、なぜか主人は
あいさんだけ用意してくれて、
家事さえやらなくていい状態。
やることもない。
ショッピングさえできない。
食べ物さえ、日本人が好むものも
売ってないんだもの。
ケーキやコーヒーでお茶もできない。
若い友達もいない。
煮詰まるわよね・・・
本当に苦労したわ。
あの頃。今、思いだしてもつらいわ。
そういう泣きごとを母にも主人にも
言わなかったわ。
主人はそれどころじゃないし
もう20代のころから、中国駐在していた主人には
そんな気持ち理解できないと思っていたから。
そんな頃、マンションがたまに
バスを出して、天津に行ってくれたの。
天津には伊勢丹がすでにあってね。
伊勢丹+狗不理レストランのセットツアーだったの。
本当になつかしいわ。
その頃、思いだして、肉まん買っちゃった。
なつかしいんだけど、ものすごく辛かった時代。
食べてて、複雑だったわ。
本当に、本当によく頑張ったわ。
えらい、自分・・・
そんなこんなでやることもなくて
4年生の大学に編入することに
なったんだけど
そんなつらい頃があるから、今の自分が
あることも、忘れないようにしなくちゃね。
