小さいですが私が、最後にできることです。
3.11 の為に。
2012年に
被災地へ、向かわせて頂く機会がございました。
その日に感じたこと、一部を
その当時に書いたブログです。
皆様にも、忘れない気持ちを持っていただけたら・・・。
9時くらいに仙台に到着しました。
バスを用意していただいていたみたいです。
おもてなしがすごすぎて、「本当にたくさんの方々に伝えたい」という気持ちも高まりました。
仙台駅周辺は無事だったとのこと。
河北新報社の佐藤様(女性)に教えて頂いたのですが、「仙台駅周辺は無事だったんだけど、古い建物はやっぱり崩れちゃったりしたから、建て替えたり、修理したりしているのよ」とのこと。
夜に国分町の中を通らせて頂いたのですが
とても賑わっていて、なんだかほっこりしたのを覚えています。
ボランティアで復興支援などしてくださっている方々が、ご自分の住まいに帰られる際に、国分町で打ち上げなどをされるらしく、それもが復興支援になるそうです。
「テレビで取り上げられない地域」は、ボランティアの方々はあまり見えないそうです。
佐藤様が教えてくださった話に、いくつかの地域の名前が挙げられていたのですが、どれもが聞いたことがなく、テレビの力はすごいと思うとともに、なんだか切なくもなりました。
「今では、テレビでよく取り上げられていたところは綺麗なんだけど、取り上げられなかったところはまだ片付けが追い付いていなくて、さらに時間がたったのと、寒いから、ボランティアの方々も減っているのよ、」と、申されておりました。
それでもボランティアが来てくれることはありがたい、と
現地の方々の心のあたたかさにとても感動しました。
佐藤様は、女性の方で、「ちうちゃんは22歳でしょ?私の娘も、22歳なの」と、言ってくださって
私のことをきっと娘のように、接してくださったと思います。ほんとに嬉しかったです。
「第2回萌えクイーンコンテスト」の会場を巻き込んだバトル、「真面目に募金バトル」の354,650円と
ちうの萌えクイーンコンテスト優勝賞金、100,000円、計「454,650円」を寄付させて頂きました。
少しでも被災された方々のお役に立てたら嬉しいです。
秋葉原のみんな一同、そう思っていると思います。
また、コンテスト時に募金して下さったご主人様・お嬢様、有難うございました。
「お財布のお金、すべて募金したんだよ」とおっしゃってくださる方が何人もいらした。
「4月の募金、ちうちゃん頑張ってたから、自分もコンテストの募金、頑張った」とおっしゃってくださる方も何人もいらっしゃいました。
みんなみんな、大好きです。
この後、気仙沼へ向かいました。
建物付近の砂利、
打ち上げられた船、
ところどころにある鉄柱。
気仙沼近くの海を見せて頂きました。
私が過去、釣りをしていた場所くらいの広さで。
それなのに、これだけの被害をもたらすことができるなんて。
上の方が逆光で見えつらくて申し訳ないのですが
丘?の上にホテルがあります。
ちゅちゅさんがあのホテルで撮影された、震災時の動画を見たことあるとおっしゃっていたのですが
その動画では、ホテルに居ても危ないくらいの津波が押し寄せていたそうです。
もし、その場に私が居たら。
きっと怖くて動けなくて。
気仙沼近くのお魚いちば、というところで昼食を頂きました。
津波でこの建物も流されてしまったらしいのですが、今では修復し、定食屋さんもあり、ごはんも食べれます。
お米ウマーでした。
お刺身定食頂きました。
気仙沼で採れたお魚らしく、とっても美味しかったのと
あのような事件の後、もう魚が採れて、食べることもできるんだってことに感動しました。
本当に美味しかったので、皆様ぜひ、気仙沼のお魚を食べてみてくださいませ。
☆できごと☆
旅の間にあったほっこりな出来事はさんでいきますです。
箸休め程度にご覧くださいw
おさしみ、うんたん大好きなんですw知る人ぞご存知の、「これ買って?これ買って?ガブリ(ちう2歳のころの事件)」事件があるくらいw
河北新報社、広報部部長の佐藤様(男性です。萌えクイーンコンテストの時にお見えになっておりました。)が、ちうのお皿に、知らない間にエビ乗っけてくださいましたw
エビ大好きなので、ありがたく頂きましたw
気仙沼、おさかないちばの近くに、小学校があります。
ちょっと見え辛いのですが、画像の身長が高い建物です。
「かまぼこ校舎があるんだよ。写真撮っておいでよ」って河北新法社の方が教えてくださり、写真撮っておきました。
かまぼこみたいな頭が体育館だそうです。
屋上に体育館があるってすっごいなぁ・・・夏、辛そうだなあ・・・。
☆できごととりあえず終わり☆
気仙沼の漁礁?みたいなところにも行きました。
地面の煉瓦がはがれています。
どこかに流されてしまったのでしょうか。
鉄のパイプも、ところどころ折れていたり、曲がっていたりです。
津波の力が強かったんだと、すぐにわかるくらいでした。
以下、
バスの移動中に撮った写真です。
移動中なので画像が荒れていたり、見えづらかったりしますがご了承くださいませ。
丁度トラックがあり見え辛いですが
2階の窓のフェンスがひしゃげています。
高須様が、これでも綺麗になったほうで、6月に行ったときはもっとひどかったんだよ、と教えてくださいました。
こんな大きな船までもが、陸にあげられてしまうほどの津波。
ここ一帯の地面に、建物の跡があります。
ああ、ここに家があったんだなって思ってしまうほどの。
ちゅちゅさんがおっしゃってるのを聞いて、涙をこらえてしまったのです。
「1年前まで、ここで過ごして居た人たちがいるんですね。」と。
地震、津波。とても怖くて、ちうは想像できないのです。
もし自分が体験していたら。
怖いだけじゃすまされない。
自分と同じ年の方々がつらい体験をされている。
じぶんの弟と同じ年代の子が、つらい体験をしている。
親戚の同年代、部長の同年代、母と父と同年代・・・。そう考えると、身近な人がって気になって。
力になることがしたい。次の場へ、次の場へ、と場所を見ていくたび、その気持ちは強くなりました。
最後は、昨夜上げた一本松のある場所へ。
こちらの松の存在は、AKBの映画を見て知っておりました。
映像で観るのと、実際に見るのでは、感じることがまるで違いますね。
一本松のある、高田松原へ行く間の移動中に撮った写真です。
バスの中から撮影したので、先ほど同様に見辛かったら申し訳ございません。
上の白い建物と、天井がまるい建物は、おそらく同じ宿舎だったのだろう、と教えてくださいました。
赤い鉄骨が風でゆらゆらと揺れておりました。
近くまでちゅちゅさんと私、オタポケの方と一緒に向かいました。
歩くまでの間、地面の砂に埋まったものを見て、津波によって本当にいろいろな物が流れたんだ、と思いました。
建物の近くにより、間近で目にしました。
オタポケの担当の方に、「何を思った?」と聞かれ
本当に、怖い、としか
応えられませんでした。
言葉に表せません。
津波の力でこんなにも、と唖然することも
悲しくなることも
驚くことも
一気にいろんな感情が押し寄せていて、
怖い、としか
答えられないくらいだったんです。
移動中に撮った一本松の写真です。
近くで撮った一本松の写真。
ここら一体は、美しい松の森だったそうです。
気になってしまい、以前の姿の画像をさがしてしまいました。
奥の白い建物は、下の画像の建物なのでしょうか。
きっと美しい松の森だったんだな、と心から思いました。
一本松の枝に、見えますでしょうか。
松ぼっくりがついています。
高須様が夏に見られたときは、緑だったそうです。
その松に、まつぼっくりがついている。
もう、枯れてしまって
切り倒されてしまうらしいのですが
この一年、この松は、一生懸命生きていたのだと
松ぼっくりをみていて感じました。
この松は、松の森の時から
身長が高かったそうです。
一本だけ高く、周りと比べてみても
本当に高い松だったそう。
津波の時に
他の松は流されてしまったそうなのですが
この松だけ身長が高いうえ、きっと他の松が流れを吸収してくれていたのか、
無事だったみたいです。
昨日一日、感じることがたくさんありました。
実は昨日を迎える前から、「何もできない自分にきっと絶望するはず」と思っていたのです。
それは、確かに大きく思いました。
先月、高須様の本「飲んで暴れて惚れて」の増刷記念イベントでお会いしました、
ローバー美々さんがおっしゃられていたのです。
「伝えられる媒体があって、伝えられる場所があるなら、伝えられる人が伝えないと!」と。
まず、私のできることは
こうやって、ブログ上ではありますが
皆様にお伝えすることだと思い、ブログを書かせて頂きました。
皆様に私が感じたことなどお伝えし、
忘れない、ことを大切にできたらいいと思います。
ちうも絶対、忘れません。
長々と読んでくださって、どうも有難うございました。
お散歩メイドな
ふらっとメイド
ちう