(先日起ったことの気づきをシェア)
自己啓発セミナーなどで自分は苦しみから解放されたと、
聞いてもないのに他者の問題を苦しみや不幸と決めつけ、
断っているのにそのセミナーを押し付けて来たり
(宗教の勧誘とソックリ)、
的外れなアドバイスをして来る人たちを観察していて
例外なく常々思うことは、
自分の問題から目を背けているだけ…の様な気がする。
(結局あなたもまた同じこと繰り返してるよ💧と思うし、他者に問題を転換していることに気付いていない分、周りに迷惑かけていて厄介。)
少しは気にすることで気づくと思うけど、
遠回しに言っても全く気づかないし、
はっきり伝えるとキツくなる。
それって伝える方が胸が傷む…。
けど相手が気づかないと、こちらに度々ストレスが掛かる。
しかし、キツくなっても思い切って気持ちを伝えても、
「気にしない」と言うから、
そこに気づくことは永遠にないのが分かった💧
ポジティブとネガティブのバランスって
大事だと改めて思う。
その日は楽しくて充実した一日だったけど、
申し訳ないけど、
感情というエネルギーのないマニュアル通りの会話は、
一気に疲れてしまった。
(笑顔だけど目が笑ってない宗教信者と話している感覚。)
ここまで表現しても、
きっと「気にしない」から気づかない。
…気づく、傷つく、、
傷つくことで、相手の痛み、気持ちが分かり、
それが謙虚な思いやりの言動に現れるのかも知れない、、
と、ふと思った。
問題と向き合うことは、ネガティブな感情と向き合うことだから、
そこから向き合うことを止めさせてしまう様な
自己啓発セミナーが多いけど、
(そうじゃないものもあると思うけど)
私もその様なセミナーに流れで何となく参加したことがあるけど、
「これは本物!他とは違う!!」
と言っても、誘う人たちや講師を観ていると、
どれも一緒だと改めて感じた。
参加者や講師を観ていて、
ホントにブレてないな… 考え方、ものの見方、
心が安定してるな。
そして、しなやかさも併せ持つ竹の様な人たちは、
昨年からのんびり通っている
古武術(韓氏意拳)の人たちや、
ヒモトレの人たちだなぁ…と私は思う。
身体が整うと、心も整うのだな✨ということを
何も言わなくても姿形で魅せて下さる。
教える。という上から目線ではないところが、
自然と周りに共鳴させていくのかも知れない…。
思考のように複雑でもなく、
シンプルなのに奥深い身体のワークは、
私は身体に染みついた悪癖がなかなか取れないのだけど、
(そりゃ長年の癖だから当然だ^ ^)
自然と(無意識に)自分と向き合える(繋がる)から面白い。
頭で考える(新たに思考を作り出す)より、
身体は元々知っている。
今回、私は傷つく(気にする)ことで、
改めてそこに気づいた気がする。
気がする。と断言出来ないのは、
まだ身体が出来てないから^ ^
でも身体は分かってることを感じているから、
私はそこを信じていこうと思う。
(私に必要だと誘われ、強く勧められた自己啓発セミナーには、行く必要がないことが改めて分かった。)
人のあれこれより、
自分の身体を整えていく。
笑う身体作りの案内人
リウマチに見えないセラピスト・愛
※他者にストレスを掛けていることを伝えても、気づこうとしない(自分を観ないポジティブ過ぎる)人たちとは、私の身体がまだ出来てないので、
やむなく距離を置くことにしています。
未熟者でごめんね