母「あなたって本当に友達がいないわね。」
私「そう?
そう見えるならそうかもね♪」
そうなのだ。
私には頻繁に時を共に過ごしたり、
常に同じ感想を言い合ったり、
いつも同意見だと相槌を打ってくれる友達はいない。
その代わり、、
互いの相反する思いを伝え合ったり、
全く違う見解をシェアし合ったり、
時には厳しい指摘をくれたりする仲間がいる。
何年かぶりに再会するような
滅多に会わない仲間であっても、
まるで昨日も会ったばかりのような感覚で、
自分たちの世界観を見せ合い、
また、相手の世界観に良いも悪いも刺激を受けて、
時を楽しんだりすることが出来る。
母「独りでいて、寂しくないの?」
私「まったく。」
母「まだ若いからね…」
………。
若くても年寄りでも、
寂しいと感じる人は、グループの中にいても
寂しさを何かで満たすことは出来ないと思う(^^;;
独りを一人という視点から観れば、
一人ぼっちで寂しいと感じるのかも知れない。
一人でいることを独りという視点から観れば、
「唯我独尊」「互尊独尊」であり、
寂しさとは縁遠いものだと思う
そういえば、そんな記事を昔綴ったね^ ^
http://ameblo.jp/chittychittytrains/entry-11858419975.html
だから、私や私の周りにいる学びの友たちは、、
年齢差に関係なく、相反する意見を表現し合っても、
それはそれ、これはこれ。として、
根に持つことは無い。
私が一目置く人たち、つまり、仲間たちは、、
独である自分に自信があり、
自信があるけど柔軟さも持ち合わせているので、
自分とは違う世界観を持っていても、
「嫉妬」や「軽蔑」な目で人と接することが無い様な氣がする^ ^
人と張り合うことはしないし、
張り合うとしたら、
それは自分自身と常に向かい合っている感じがする。
相反する意見を持つ私に、
自分の意見をぶつけて来ることが出来るのは、
そんなことで人の善悪や、
意識レベルを決めつける様なことはしない。
という互いの信頼関係があるからだと思う。
そりゃあ、感情ある人間ですから^ ^
ときに熱く語り合い過ぎて互いの言葉に
と来ることもあると思うけれど(^^;;
自分の中にある愛にブレが無ければ、
相反する意見を表現し合っても、
互いに高め合える仲間になるのだろうな♡
そんな仲間が私の周りにいてくれて、
私を高めてくれるので、
私は独りであっても、常に満たされているんだな愛