威風堂々と。2-2 | チキチキ☆トレイン

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チキチキ列車に乗りながら
行こうよ愛の終着点

威風堂々と。1-2のつづき)

先日、こんな話が私のもとへ届きました。

私が「第三回わんコインチャリティ」を
7月7日に開催しますと最初にブログで綴った日の
直後だったそうです。

ある方のブログで
「動物のチャリティを行う人がいますが
その人の飼っている犬はペットショップで購入した犬です。
そういう人がチャリティをやるのはどうなのでしょうか?」
ということが書かれていたけど、
これって思い切り愛ちゃんのことだよね?

という話でした

はい。(私はそのブログを見ることはありませんが)
それが本当でしたら、そうでしょうね^^;
確かにその記事の辺りに私の記事を見たという
その方の形跡(足跡)が残っていましたから・・・;;;

確かに私はペット産業の命の大量生産と
大量殺処分に反対しているものの、
今いる愛犬はペットショップで購入してきてしまいました。
その様な人に反対される筋合いは無いわい☆
と普通の人なら当然思うことなので
私は謝ります。

ごめんなさい。

これから話す話は、ハッキリ申し上げまして
言い訳です。

そしてこれらの言い訳は、
その方に今の愛犬を購入した時に愛犬を見せながら
直接話したことでもあり、また、ブログや
日常でも私が度々話していることでもあるので、
「知ってるよ~^^」と、私をよく知ろうとして
理解して下さる人たちもいるとは思いますが、

記事を見逃したり、聞いていても忘れてしまったり、
そもそも話を聞いていなかったりすることも
あると思いますので、改めてお伝え致します。
(その様な機会を与えて下さったことに感謝し、
今までより詳しく書こうかな^^
その方もきっと忘れてしまっただけなのでしょう。。)

今の愛犬の前に飼っていた先代の愛犬は
捨て犬でした。
ですがペットショップの現状を特に意識して
飼い始めたわけでもなく、
その先代の愛犬が亡くなる年まで
私の意識は動物の命の実態をなんとなく
分かっていたもののまだ意識が浅かったのだと思います。
「仕方がない」「だって」
「自分の子は大切に育てているのだからいいじゃない」
そんな感じでした。

ですが徐々に無関心ではいられない情報が
私の中でキャッチ(意識)し始めたのです。

調度その頃に捨て犬だった愛犬が亡くなりました。
三歳で捨てられたので
三年で窒息死処分されるところが十年生きてくれました。
心臓の弁が弱く、弁が破れてしまったことが
死の直接な原因です。

今の犬猫の身体が弱いのは
先天性(運)なものもあると思います。
そしてその後の人間のような生活習慣によって
体が弱くなることもあると思います。

ただ、もう一つ私がその時まで知らなかったことは
産休もなく子供を次から次へ産ませる為に、
母体がボロボロという現状と、小さい子ほど売れるからと
3ヶ月は母親のお乳を飲んで免疫をつけ、
兄弟と過ごし動物なりの秩序を学ぶべきことを
人間が取り上げることで様々なトラブルが起きている
実態があるということでした。
それらのトラブルにより「飼いづらい・・・」と安易に
保健所に命を捨てるという人たちも多いということです。

そう意識し始めると、私は過去に無関心だった為に
気づかなかったことが次から次へと腑に落ちて来ました。

私は亡き愛犬が忘れられない両親に
「もしまた犬を飼うときはペットショップではなく
動物愛護団体から頂いて来よう!!」と、
ペット産業の実態を話ながら伝えました。

ですが、両親はその残虐過ぎる実態を聞こうとも
見ようともしません。
悲し過ぎることであり、それが知らないうちに
自分たちも加担していることを認めたくないのだと
思いました。

「あなたが正義なの?
あなたの話を聞いていると頭がおかしくなりそう!!」
母が明らかにおかしくなりそうだったので、
私は反省しました。
「私は動物を助けたいばかりに人を苦しめている」
と気づいたからです。

私は今、家賃を払っているものの、
いい年して未だ両親と暮らしている居候の身です。
(まもなく独立します。)
私が両親を養っているのでしたら、
私が動物愛護団体から犬を頂いて来て
「大切に育てよう!」ということは出来ましたが、
居候の身で自分一人で育てられない犬を勝手に
つれてくることは出来ませんでした。

「誰が飼うの?」という無責任なことになるからです。

そうこうしているうちに、
父が亡き愛犬の面影を追って
近所のペットショップに足を運ぶようになりました。

私はペットショップで売れ残った犬の運命を
知っているのですが、、
その需要と供給があるので年間80万頭の命の生産と
30万頭の命の処分が繰り返されるのです。
私は必死に両親に伝えました。

母は聞きたくないものの、
「もう飼うつもりはないから・・・」という意識でしたが、
父は「何だかよく分からんなぁ・・・
おかしなことをいうなぁ???
大切に育てればいいじゃないか?」という、
まだまだ腑に落ちていなかった(点と点が線で繋がらない)
昔の私の意識でした。

ある日、父が言いました。

「犬買ってきちゃった

私は伝えることの難しさを痛感しました。;

そもそも、伝えたいことは人に強要することは出来ません。
強要をすると間違った支配になるからです。
人に伝える時は、
正しい支配=共に「支」え合い、愛を「配」る。
でなければ人に伝えることは出来ないのだと思います。

だから親子といえども
私の考えを強要することは私には出来ませんでした。
でも、私の真我は「仕方がない」は苦痛そのものでした。
時にはもうこんな世界嫌だなぁ~・・・と、
人間の世界から卒業したい気持ちになり苦しみました。

でも、時折休憩しながら
それでも自分の中の違和感と向かい合うことで
段々と進むべき答えが見えて来ました。

今回の、私が動物救済金を集めることに
違和感を抱かれた一見で、
父と母が思いにふける私に謝って来ました。
母は目に涙を溜めながら
「なんだか私たちのせいで、
あなたの活動の足を引っ張ってしまって
申し訳ないね・・・ごめんなさいね・・・」と言いました。

私はそれこそ仕方がないね・・・と言いました^^;
飼っているのは事実だから
突っ込まれても当然でしょう^^;;;

母は「もっと楽な道を選べばいいのに、
どうしてあなたはいつも苦労を選ぶの?
捨て犬を助ける募金を集めましょうだけで、
そんなペットショップのことまで言わなければ
あれこれ言われることはないのに・・・」とも言いました。

私は答えました。

「苦労と思ってないよ。
もっといえば、苦労を悪だと思っていないってこと。
私にとって苦痛なことは無関心であること。
知っているのに仕方がないと正当化して
見なかったフリして生きていることの方が
苦しいことなんだよ。

でもね、それは私の考えであって、
みんながそうだとは思っていない。
それを人に強要しようとは思っていないよ。
私が法律とは思っていないし、
私がスーパーマンだとも思ってはいない。
私だって失敗や間違いは沢山あるし、、
そう思わせてくれているのはお母さんたちや
応援してくれる人、そして相反する意見を持つ
批判をしてくれる人のお陰だよ。

私はたまたま動物のそれに関して意識がいくだけで、
私にはまだまだ意識がない事柄があって、
動物に意識がいかない人でも、
私が気づかない意識に気づいている人々も沢山いる。

だから、私は私が特別。私は偉い。なんて思わないよ。
ベジタリアンに関しても同じこと。
私はお肉を食べない選択が楽しいからしているけれど、
食べる選択をする人たちを食べるなと
強要はしていないつもり。すれば支配になるから、
間違った支配にならないよう、気をつけているよ。
調べると食べることも必要な人たちもいることを知ったし。。
(問題はその生産の在り方なんだけどね・・・)

ただ、私は塀に隠されて見ることが出来ない
動物の実態を情報として流してくれている人たちの
お陰で選択肢が広がったので感謝しているの。
今までは一つの情報しか知らなかったし、
当たり前、仕方がないで、選択することが出来なかった。

だから私は、私の情報をキャッチしたい人たちに
私の知っていることを伝えたいだけ。強要はしない。
私と同じ選択をしなくても「知る」ということは
いずれは何かの意識に繋がるから大切だと思う。
だけど、その知ることも苦痛に感じる人は
その情報をキャッチしなければいいだけだと思っているよ。

情報の受け取り方、解釈も自由だと思ってる。」

母は心配しながらも納得してくれた様でした^^

その日はなんだかそんな家族の雰囲気を察したのか
愛犬恋ちゃんもソワソワしていました・・・;
分かるんだね・・・;

私は毎朝、お経や祝詞をあげて、
そして様々な命にヒーリングを送っています。
その中に、ペットショップで飼ってきた恋ちゃんを
最後まで大切に育てる誓いと感謝も捧げています。
また、同時に、恋の両親や兄弟が幸せであるよう
祈りを捧げています。

そんな矛盾と愚かな罪づくりな私ですが、
今回のチャリティイベントも成功できるよう、
温かな気持ちで見守って下さると嬉しく思います。

どうしても違和感が拭いきれないときは・・・
勘弁して下さい^^;

それでも威風堂々と私なりの活動をさせて頂きます^^

私には誇りはあってもプライドはありません。
私のプライドはペラペラです^^;
謝れというなら謝ります。

私の様なものが謝ることで
少しでも動物の命に意識が向いて下さる機会が
得られるのなら、お安いごようです☆^^

私の目的は自分のプライドを守ることではなく、
見えない壁の向こうでむやみに捨てられる
動物の命を守ることですので。。


威風堂々だったでしょうか?

※この記事は私の動物救済活動に対する違和感(質問)への
答えを綴るものであって、私への共感を求めるものではないので
コメント拒否させて頂いています。

注:ペット(動物)を扱うご職業の中には、動物の意識を考慮し、
誇りを持って働かれている方々もいます。
実態を通して、不当に扱われる命を無くす為に
何を選択していくのかは個の意識の問題だということです^^
(意識によって表現の仕方も様々なのではないでしょうか?)

そんな意識の表現の一つに、
犬猫飼う前教室というものもあるそうですよ♪
買ってから「飼うのは無理でした・・・」とならない為にも
大切な意識の選択かも知れませんね^^ 愛