女の子のお節句とされていますが、由来は少し違います。
一つは『上巳節』。
3月の初めの巳の日、紙や藁で作った人形に穢れを移して川に流す(流し雛)という行事がありました。
この流し雛はまだ一部地域で行われています。
もう一つは『ひいな遊び』。
いわゆる人形を使った、女の子のおままごとですね。
これらが合わさった事、江戸時代には人形作りの技術が発達し、ひな人形は『流すもの』から『飾るもの』への変わっていきました。
そして男女一対の『ひな人形』に子供の幸せを託し、ひな人形に厄を引き受けてもらい、健やかな成長を願う行事になったのです。
今日はせっかくの桃の節句なので、少し贅沢をしてちらし寿司を買いました。
皆さまはこの『上巳の節句』に血生臭い事件が起きた事をご存知でしょうか。
『桜田門外の変』です。
安政7年(グレゴリオ暦では1860年3月24日)、上巳の節句を祝うため江戸城内では盛大な祝宴が行われる事になっていました。
井伊直弼を含む水戸藩士達が登城する中、江戸城桜田門外(現在の東京都千代田区霞が関)で水戸藩からの脱藩者17名と薩摩藩士1名が行列を襲撃、大老井伊直弼を暗殺という大きな事件が起きました。
当時は季節外れの大雪だったそうです。
真っ白な雪が地を彩る中、無数の紅い花が咲いたのでしょうね。
桜田門外の変はが起きたのは『安政の大獄』が原因なのですが、安政の大獄が起きるまでの経緯が長い事、まだ私も勉強中のため、これには触れずにおきます。
ふぅ…
安政の大獄の説明も出来ないなんて薫に知れたら、嫌味言われちゃうな。
皆さま秘密でお願いしますね(笑)
