桜が咲き始めてから数日が経ちました。
昨日降り続いた雨は朝には上がり、空にはところどころ青空が見えました。
背に当たる陽射しはあたたかいのに、吹きつける風は冬に逆戻りしたようです。
冷たい風に揺れる花は美しく、それでいてどこか寂しそう。

早めにいただいた湯から上がり廊下を歩いていると、風が上気した体を冷ますように吹きつけます。
私にとってこの風は寒いというより、洗った体に神聖さを与えてくれるような気がしました。

本文はここから
喧嘩と言うより…
私が一方的に怒ったと言う方が正しいのです。
怒った理由は相手が『私は必ず許す』と思っていると感じたからです。
その事について半日ばかり考えていて、さっき冷たい風にさらされながらぼんやりと思った事があります。
人は『許せない』ほどの憎しみを感じる事は少ないのだろう
私には赦せない人がいる。
もう何年経つのかわからない。
私は相手を憎む【自分】を赦した。
それは憎しみを抱えている自分が苦しかったから。
だから朝起きた喧嘩は、するべきではなかったのだと思う。
結局私は相手を許してしまう。
何故なら、私は憎むほどの強い怒りを相手に感じていないのだから。
喧嘩とは何の得も得られない、遠回りするだけの物のような気がしています。