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固く閉ざした襖をそっと開けると、真正面に淡い柑子色の月が見えました。
空にある月はぼんやりと霞がかっていて、気のせいでしょうか、いつもよりひと際大きく見えます。
今晩の月は、地上により近い場所にいるのでしょうか?
「こらっ!今晩は部屋から出るなって言ってんだろうが。襖閉めてサッサと寝ろって言っただろ。人の言う事を聞かねぇなんて、お前最近総司に似てきたんじゃねぇか?」
「あっ…すいません。皆さんが月が大きいって騒いでいたので気になって…つい…。でも、土方さんの言いつけを守らなかった事は、隊規に反していますね。申し訳ございませんでした」
頭を深く下げ謝罪をした私は、慌てて襖に手をかけ閉じようとしました。
それを阻止するように土方さんは襖に手をかけ、少し困ったような笑っているような顔をして、廊下に座り込みました。
「お前、最近何時に寝ている?」
「日付が変わる前には、お布団に潜っていますが?」
「じゃあ、昨日は何時に寝た?」
「昨日は…その…日付が変わって…少しばかりしてから…でしょうか」
「…お前まで夜遅く起きている必要なんざねぇよ」
どうやら私が夜遅くまで起きている事は、すっかりお見通しのようです。
「でも、私は少しでも皆さんの役に立ちたくて…日中に出来る事も限られていますし」
「不器用なくせに慣れねぇ繕いものなんざしたら、無駄に時間食うばっかりだろうが」
不器用な点を指摘され、恥ずかしさを誤魔化すように私は笑ってみせました。
「あははは…ばれましたか」
顔を上げた先にはいつもの険しい顔つきではない、微かに笑った土方さんがいました。
「今晩は満月だ。月の光の狂気に晒される連中がいるかもしれねぇ、だから部屋から出るなって言うのはいつもの言い訳で、今晩の言い訳は疲れが溜まるから無理すんなだ。早く寝ろ。俺の部屋の灯が落ちるのを待ってたら、一晩中眠れねぇよ」
「…」
端正な顔立ちを、淡い月明かりがさらに引き立てています。
そして笑った顔はあまりにも珍しすぎて…
「…なんだ?人の顔じろじろ見やがって」
「土方さん…月の狂気にさらされたから、それで笑っているのかと思って…」
「はははっ!そうかもしれねぇな」
私の戯言に笑って答えるなんて、絶対に月の光のせいに違いない。
今夜は月が地上に近い分、きっと人はより深く強い狂気に犯されているのです。
そしてこの私も、言いつけを破り月明かりを浴びた事で、心惑わされているのです。
「これ以上の狂気に晒されて、お前を頭から骨ごと喰っちまう前に退散するか」
惚けたように襖の縁を掴んでいた私の目の前が、ふっと暗くなりました。
顔を上げると、いつもの険しく厳しい顔の土方さんが立っていました。
「さっさと寝ろ。いいか、これは命令だ。隊規に背けばどうなるか…お前でも十分にわかっているだろう?」
「…はい」
パチンと襖の閉まる音と同時に、全身の力が抜けました。
「寝よう…」
まだ覚めぬ狂気に酔いながら、私は静かに目を瞑るのでした。